いつもと変わらない部活終わり、後は家に帰るだけ。
木兎が校門を出ようとしたとき、目に飛び込んできたのは自転車一台を押している見知った人物だった。
「!!!」
「わっ!びっくりした」
「何やってんだ?」
「帰るんだよ」
「んなのわかる」
「図書委員の仕事してたの」
いきなり横に現れた木兎に戸惑いつつ、は折りたたみ傘を開いてまた閉じた。
「なんだよ、雨降ってないだろ」
「今、ポツッて来たの! ほら、後輩くん、木兎のこと待ってるよ」
「なあ、、今から時間ある?」
「……、……どれくらいかによる」
「わかった! ちょっとついてこい」
「はあ!? 木兎!?!」
「あかーし、俺、と帰るから! また明日なー」
「いっいいの!?」
「いいんだって、行くぞっ」
「ど、どこに……待ってってばあ!」
*
「木兎、ほんと足早いよねー」
走る木兎の横を、彼女が自転車で並走する。
「そうか?」
「私、自転車じゃん」
「もっと早くできるぜ?」
「やめて」
談笑できるくらいの速度を保って、木兎は前を見て、時折彼を気にしながらは自転車をこいだ。
風が気持ちいい。
「久しぶりだよなあ、こうやって話すの」
木兎の言葉には頷いて、風になびいて視界を遮る髪をよけた。
「クラス分かれちゃったもんねー」
は急に笑い声をこぼすと、木兎がとなりを見た。
「なに笑ってんだよ」
「いや、一昨日さ、テスト返ってきたじゃん」
「ああ」
「木兎の声さあ、ほんとデカすぎだから、うちのクラスまで聞こえたから」
「なぬ!?」
「窓空いてたからねー、よかったね、悪い点じゃないなら」
一昨日は気温が低く、のクラスは小テスト、女の先生がクーラーばっかりもどうか、と言い出して、窓を開けていた。
そこに響いた木兎の喜びの声。
「あれは笑ったー、みんなちょっと笑ってたよ」
「し、しょうがないだろ、購買のパンがかかってたんだ!」
「焼きそばパン?」
「甘いな! この時期限定の焼きそばコロッケパンだ」
「すっごい味、想像つく」
「月曜が楽しみだっ」
「待って、木兎、信号チカチカしてるから次!」
「おー!」
の指示に従って、横断歩道前で二人止まった。
自動車が何台か過ぎていって、バスも通り過ぎるのをは眺めていた。
「あ!」
「なに?」
「今、木兎の後輩くん乗ってたかも」
「赤葦!?」
「たぶんね」
「声かけるか!?」
「やめて!!もう行っちゃったから」
「赤葦なら俺の声に気づく」
「みんなこっち向くわ!! ほら、信号変わったよ、てかどこ行くの?」
「こっち!」
「え、だったら信号待たなくてよかったじゃん!」
横断歩道を渡ってすぐに右折する木兎に文句を言いつつ、若干の坂道ではペダルを勢い付けて踏みしめた。
「、遅いぞ!」
「坂道、きついんだよ! も、無理、押す」
「これくらいどうした」
「体育会系と一緒にしないでって、ば」
「あとちょっとだ」
「あ、いいよ」
「また雨降るだろ」
木兎がの自転車を奪うようにして押し始めた。それも、ものすごい勢いで。
「待ってよ、待って!」
なんで自転車に荷物も全部乗っけている自分の方が、木兎より遅いんだろう。
息を切らしながら、大きな背中と自分の自転車を追いかけた。
吸い込まれるように、とある施設の門に入っていく。
なんちゃらかんちゃら、天文館。
が見上げると、夏休みから始まる星の科学展の横断幕が目に飛び込んできた。
木兎がまた大きな声で叫んだ。
「へっ閉館、だと!?!」
「え、なに、まさかこのプラネタリウム入るためにこの長い長い坂道を登ってきたの」
「前に来たときはやってたのに」
「移築してから夜やるのは隔週で……」
言いながら、は視線を真っ暗な建物から隣に移した。
「もしかして、覚えてたの?」
「ん!?」
「私が、また来たいって言ったの」
高校入りたての頃だろうか、まだ友達が少なくて、クラスの皆に声をかけてプラネタリウムに行くことになった。
男子女子合わせて10人くらいだったか集まって、夜の回にみんなで入って、そこまで盛り上がったわけじゃないけど、話題の一つにはなって少しは打ち解けて帰路についた。
そのとき、木兎に言った気がする。
また、来たいって。
「いや!」
「え!」
「そーか、ここだったか、たちと来た星のやつ」
呆れたをよそに、木兎は建物から逸れて自転車を押した。
「木兎、どこ行く気?」
「閉まってんなら仕方ないだろ」
「帰んないの?」
「いいから。こっちだ」
言われるがまま木兎についていくと、建物の脇の小道がある。
自転車をここに置いていいか、と聞かれて、誰もいないしとが了承すると、さらに奥に木兎が突き進む。
開けた先は、これだけ坂道を登ってきただけある景色が広がっていた。
すご、い。
の小声は、木兎にかき消された。
「見えねーなー、天の川」
同じ夜景に心奪われているかと思えば、隣の木兎は真ん前ではなく真上を眺めていた。
「あ、天の川?」
「今日、七夕だろ。見えんじゃないの、どっからでも」
「どっから、で、も……って、木兎せんせー、今日の天気知ってる? 曇りのち雨って」
「風が吹いてるから雲もなくなっかなーって思ったけど無理か」
「そりゃあ、無理、だよ」
さっきからぽつっ、ぽつって雨粒も来てるんだから、どうやったって星が見えるわけがない。
は急に悲しくなった。
見えないだろうとは思っていたけど、こんな風にいざ見ようとすると、かえって見えない事実が誇張される。
「また来年か」
木兎がぽつりとつぶやく。
「来年?」
「しょうがないだろー、今年も見れなかったんだから」
木兎が腕を組んで一人うんうんと頷く横で、は混乱した。
「そんなに、木兎、星に興味あったっけ?」
「が見たいって言ったんだろ、天の川」
「言っ……」
天の川、見てみたいよね。今日みたくプラネタリウムでもいいから。
「……た、かもしれない」
けど、ここは都内だし、たとえ晴れていても街の明かりが強すぎてとてもじゃないけど星の図鑑で見るような天の川は見れるはずがなかった。
「そうなのか!」
「……そうだよ」
そうだよ、
見れるはずがない。
ここにいる限り、今年でも関係ない、来年も、その来年も。
「じゃあ、どこ行ったら見れるんだ? 山か!?」
「まあ、山なら見れる、かもだけど」
「おーしっ、じゃあ、夏休みの合宿、森然でやるからも来るか?」
「合宿? それ、バレーのやつだよね?」
「おう!」
「行けるか!!」
バレー部と何の関わりのないは当然のごとくツッコむと、木兎は頭の後ろに腕を組んでため息をついた。
「俺、つまんねーよ、いないの」
ぽつっ、
空から、水滴が降ってきた。
「は? 俺のいないクラス、楽しいか?」
木兎が、片手をおでこにあげて空をもう一度見上げた。
「降ってきたな」
手を引いて、木の下に逃げ込んだ。
ぽつ、ぽつ、と雨音が急激に大きくなっていく。
たくさんの葉のおかげで、なんとか雨ざらしにはならずに済んだ。
木兎が大きくくしゃみをすると、は驚いて肩をすくめた。
「だ、だいじょぶ?」
「おー、平気」
「寒いんじゃない? 濡れてない?」
「大丈夫だって、俺は風邪ひかない!」
「もし風邪なんか引かせたらバレー部の皆に顔合わせできないよ!」
本気で心配するに、木兎が片手を差し出した。
「んじゃ、あっためて」
「これでいい!?」
「!?」
「木兎のが、手あったかいんだけど」
「ん、お、おおぅ……」
「もういいの?」
「あっあったまった!!」
「ならよかった」
「あーーー!!」
「!? 自慢の髪がぼっさぼさになるよ!?」
ミミズクヘッドがあっためたばかりの手でもみくしゃにされる様子をは眺めた。
「!」
「なに?」
「さっき聞いたの、教えてもらってねえぞ!」
「さっきって」
「俺のいないクラス! 楽しいかって!!」
「あー」
「なんだよ、楽しいのかよ! そうかよ!」
「何も言ってない……、
言ってないじゃん!!!」
しとしとと雨が弱まったのもあって走り出す木兎の背中めがけて、は叫んだ。
その呼び声に木兎も足を止めた。
「た、楽しくないって、言えばいいの?」
「そ、んなことは言ってねえよ」
「そうみたいじゃん」
「そうじゃねーし」
「木兎だって楽しそうじゃん、今のクラス。楽しくないの?ほんとに?」
畳みかけるように言葉を重ねて、は木兎との距離を縮めて見上げた。
た、楽しい、時もある、と小声でつぶやく木兎をは指差した。
「ほら」
「だっ、で、でも」
「いいじゃん、別に違うクラスでも。こうやって話せれば」
今度はが木兎を置いていくように自転車のところに向かった。
「た、足りんのかよ」
「なにそれ、もっと話せばいいじゃん」
「いいのかっ?」
「なんでダメなの、2年の時もしょっちゅうしゃべってたじゃん」
「ああ、そうだな!」
木兎が声を弾ませると、が握ろうとした自転車のグリップは彼の手に包まれた。
「それ、私の自転車ですが」
「俺がこぐ」
「私、走れない」
「後ろ乗れ」
「やだよ、びしょ濡れだもん。木兎、後ろでいいじゃん」
「立てばいいだろ」
「ズボンとか今日はいてないから」
「俺の貸すか?」
「バカ!」
が強引に自分の自転車を取り返して、顎で後ろに乗るよう木兎に指示した。
実際、木兎が後ろに乗ると、そのまま自転車がひっくり返る心地がした。
「本当に大丈夫かー?」
今さら重いから無理、とは言い出せない。にも意地があった。
「しっかり捕まっててよ、安全運転はするけどさ」
まだ坂道まで来ていないこともあって、ふらふらとの自転車は進みだした。
「おいおい、本当に大丈夫か?」
「ただの安全運転、うちのエース乗っけてんだから、あ!」
自転車のペダルが急に軽くなったのは、木兎が降りたからだった。
「変われ、。なに意地張ってんだ」
「……張ってないし」
「おー、素直が一番だ、変われかわれ」
「木兎ムカつく」
「なんだよ、俺がこぐ自転車に乗れるってのに」
「私の自転車だっつーの」
が後ろに立って、木兎の肩に両手を置いた。
いいね、と軽く呟く木兎を揺さぶりたくなったけど、自分が自転車から落ちそうになるからそれをしなかった。
「飛ばすぜ!」
「飛ばすな!!」
の時とは違って力強く自転車が進みだす。
雲の合間から月明かりがこぼれた。
「木兎、月」
「んーーー?」
「いいやっ」
さっき見たきらきらした風景、今、その中を二人走っている。
end.
おまけ