ハニーチ




夏影



狙ったわけじゃなかった。

ただ、飛び込んできた。










「『KBに会えたら会えますように』

 ってなんだよ」

「木兎!?」

「けーびーってなんだ、あっ! カービーか!!」


の脳裏に、ゲームのCMで見かけたことのある、ピンクのまるいキャラクターが浮かぶ。


「ち、……がう!!」

「じゃあなんだよ、KBって」

「な、なんでもいいっ」

「気になんだろー、俺が今夜『KB』気になって眠れなくなったらどうすんだ。責任とれよ」

「なんでよ!
 ぜったい木兎は忘れるか寝れるっ」


が言いきると、木兎は明るく笑った。



「確かになっ、さすがだ。

よくわかってる!」



近所のスーパーの入り口にあった七夕コーナー、短冊がこれでもかと飾られた笹、のとなりの笹はまだそこまで飾りつけされてなかった。

その笹に括りつけた短冊の一つはのもので、木兎ほどの身長であれば容易につかめる高さにつるされた1枚は、木兎に引っ張られたせいで、どこか歪んでいた。

は一度自身が結んだ短冊を眺めてから、木兎に視線を移し、そのわき腹に肘鉄を食らわせた。


「ぐっ! な、にすんだ……」

「人の、短冊を、勝手に見るな!」

「見たくて見たんじゃねーよ、俺の高さにあったからだろ」

「読み上げた!」

「字がでっかかったからだ」

「ふつう読まないっ、声もおっきいっ」

「悪かったなあっ」


木兎の反論はさらに大きな声で、夕方のスーパーにいる客の視線を集めるには十分だった。

は、木兎の上から下までを眺めると、木兎も自分のかっこうをチェックしてを見た。


「なんだよ、おかしいか?」


所属チームのTシャツにジャージのズボン、スニーカー。

ラフそのものの格好に、は首を横に振って腕を組んだ。


「おかしくないよ」

「だったらなんだよ」

「ほんとーーに、あの、木兎かどうか確認しただけ」

「他にいねえだろ」

「だって、卒業してから会うの初じゃん」


7月7日、去年の今頃は、雨がぱらつく中、一緒に学校から帰った記憶がよみがえった。

卒業は3月、いまは7月とあれば、顔を忘れるほどではないにせよ、ずっと同じ学校だった頃に比べれば、ずっと、すべてが懐かしかった。

は一つため息をついてから、また少し身長が伸びた気のする木兎を見上げた。


「元気?」

「元気だ!!!」

「みたいだね」

はどうなんだ」

「どうって……、見た通り、……なっ、なに?」



じーーっと顔が近づいてきたから、いくら相手が木兎光太郎でも、は一歩うしろに後ずさった。

当の本人、木兎光太郎のほうは身体を起こして顎に手を当て、一人うんうんと頷いた。

が怪訝そうな眼差しを向けた。



「なんですか、木兎せんせー」

「先生が見るに、は元気がないっ!!」


私は犯人か、と言いたくなるくらいの指差しを喰らって、は木兎から身体の向きを変えた。


「まあ、ね」

「当たったな」

「木兎ほど元気がないってだけだよ」

「そーかっ、俺もいつもに比べれば元気なかった」

「そうなのっ?」


意外過ぎる、と、が呟いたものの、木兎から返事はなく、何事かとも見つめ返していると、木兎が叫んだ。


、時間あるかっ」

「え、なに」

「時間があるかって聞いてんだ」

「いや、それはわかるけど」

「あんのか?ないのか?」

「……どれくらいかによる」


あれ、デジャブ。


が小首をかしげるよりも木兎がの手を引く方が早かった。


「ついてこいっ」


その行動も一言の響きも、このスーパーにいる人たちの注目を集めるには十分で、は俯きつつ、引っ張られていった。




















「あのさあ、木兎」


は、しゃがみこんだ背中に話しかけた。

が、相手の方は特に気にする様子はなかった。



、これでいーか?」

「じゃなくてさ」

「こっちもいいな、打ち上げられるぞ」

「あのね、ここ都内。木兎、ここは都内」

「なんで二回言ったんだ?」

「大事なことだからね」

「そうか!」

「かごに入れないで!!」



木兎に連れてこられたのは、隣接していた品ぞろえ豊富なホームセンターで、夏休みが近いとあって、所狭しと夏らしい商品が並んでいた。

その中の花火のコーナー、さっきのスーパーでも見かけた花火のセットはもちろん、もっと本格的なものが説明書きとイメージ写真と共に飾られていた。


! !!」

「はいはい、なに?」

「これやろーぜ!」

「いやだから、打ち上げは無理だから、それに今日は、「わかってねーな、

「!」


立ち上がるとやっぱり木兎光太郎はよりずっと身長は高かった。大きかった。

相手は木兎とわかっているのに怖気づいてしまったが、木兎の方はの機微には気づかなかった。


、この近くに川がある」


確かに、駅からも電車からも、木兎の言う『川』はも覚えがあった。


「……だから?」

「そこならやれるだろ、花火!」


ほら、見ろ。

そう言って木兎が再びしゃがみこみと、商品棚の下にある花火をいくつか取り上げて、立ったままのに見せた。

花火のやり方講座の紙もある。
そーだ、火つけるやつもいるな。
線香花火、は、俺は興味ないけど、はやっぱり欲しいか、欲しいよな。


「今日の天気は、「木兎」


も隣に並んでしゃがみこんだ。

視線は感じたけど、はそっちを見ないで棚を真っ直ぐ見据えていた。



「花火は、……いいよ」

「おぉ」

「線香花火じゃなくて、ぜんぶ」


木兎が棚に戻した線香花火だけじゃなく、かごに入れられた花火を一つずつが元の位置に戻していった。
木兎はただ見守った。

かごは空になって、木兎はから視線を外して膝を抱えた。



「なんでだよ」

「気分じゃない」

「気分って、……なんだ」

「木兎だって、ほんとうに私と花火したいわけじゃないでしょ?」


は立ち上がって、少しだけ着崩れた服を引っ張って整えた。


「ほら、行こっ」

「……」

「スーパーになんか買いに来たんでしょ、今なら「は、いま、どんな気分だ」


しゃがみこんだままの木兎でも、幼稚園児でもないんだから、ずっとずっと身体は大きいのに、なんでだか、その姿がには小さく見えて、はぐらかす言葉が出てこなかった。
それは、できなかった。


「なあ、、教えてくれよ」


学校にいた時と変わらないと思っていたのに、いざ、こうやって核心を突かれると、なんでだか、は動けなかった。



名前を呼ばれるのなんて、当たり前だったのに。

3か月、4か月?

月日は無常だ。

居心地のよかった関係が、ある意味で変わっている。



「! なんだ、今の音っ」


駆けだした木兎が、お店のかごをそのままに行ってしまったから、はすかさず手に取った。


、なにやってんだっ」

「……木兎の後始末だけど」

「音すんぞ、音!」

「花火じゃない?」

「はなび!?!」

「ここの売ってるやつじゃなくて、ほんとの花火大会」



さっき木兎に話を遮られて伝えられてなかったが、今日、川で花火はできないのは、その川で花火大会があるからだ。

は時間を確認する。


「やっぱり今始まっ「行くぞ、っ」

「えっ!!」

「俺は花火の気分だ!!」

「待って、かご!!」


このまま木兎につられていったら、お店のかごを盗んでしまう。

思い切り腕を振りほどいて、かごをお店の一角に戻すと、どこかしょんぼりとして見える木兎の腕を、今度はの方から引いた。

















「無理だね、これは」

「なんだよ、“つーこーきせい”って」

「そのままの意味だよ、通行を、規制していますって」



警察だろうか、ともかく迂回するように指示を出すスピーカーの爆音が耳に響く。

駅までの道は、利用者のために通れるようにはなっていたが、途中で立ち止まろうとする人でずいぶん進みづらくなっていた。

木兎がいてくれるおかげで、その後ろに立つはまだ歩きやすかった。



「木兎、諦めて帰ろう」

「ここまで来たのにか!?」

「近づけないもん、もう始まってるし」


こういうのは事前に場所取りをするか、有料席でも確保しておく必要がある。

いっそのこと、どこかのビルの屋上から眺めた方はまだ花火を見られる可能性がある。

これだけの人混みで立ち往生するなら、この花火の打ちあがる音だけを楽しむほかない。


は木兎のTシャツを引っ張った。


「ほーらー、帰ろうよ」

「まーーだだー」

「なんでそんな花火見たいのさ」

「バーーンって気分だろ、今!」

「はあ……」

「待て」


ほっといて帰ろうとしたのがばれたらしい。

木兎は、しかとの手首をつかんでいた。


「薄情者め」

「だって暑いし、熱中症なる」

「じゃあ、帰るっ」

「いいじゃん、木兎は花火の気分なんでしょ?」

「俺はっ」


ぐいっ、と思い切り引っ張られてがよろけると、木兎はしっかりと支えた。


「“と”花火の気分だっ」


駅のホームのある方へ歩き出す。


「ぼ、木兎」

「ん?」

「帰んの?」

が帰る気分なんだろ、だったら付き合う!」

「そ、か」



自動改札機、聞きなれた電子音と共に通り抜ける。

駅のホームから花火を見ようとしている人もいたが、二人の乗る方面の電車は、ビルの合間から見える花火を遮るようにホームに入ってきた。

各駅停車は人がほとんどいなかった。

ダイヤが乱れているらしい。


「おー、涼しいな!」

「うん」

、これ、橋の上、通る時に花火みえんじゃねーか」

「……かもね、そっこー通り過ぎるけど」


誰もいないのをいいことに、子どものように窓に張り付く木兎の隣に、は座って背もたれに寄りかかった。

まだ電車は発車しない。


「どーーした?」


窓を開けるかどうするか一人呟いていた木兎も、に合わせてきちんと座り直した。


「なんかあったのか」

「べつに」

「俺に言えないことならいいけど、今日、会えたのも、こう、運命 ってやつじゃねーの? よくわかんないけどさ」


駅のアナウンスが、急行が遅れているため、各駅停車が先に発車すると説明した。


、今、どこ住んでんだ?」

「あの駅」

「ふーん」

「木兎は?」

「家」

「……寮じゃなかったの?」

「今だけな、またすぐ出る」

「そ、か」


電車の扉が閉まった。


花火の打ち上がる音がする。

大きくなる。



加速して、


 近づいていく。







「なあ、






花火の話が続くと思っていた。










「いま、フリーって本当か?」








すぐ駅について、電車の扉がまた開いた。

冷気と外の熱気がみえないのに混ざり合っていくのを肌で感じた。


扉がしまった。電車が揺れる。





「それ


 聞いて、どうすんの」


「……」

「笑うとか?」

「笑わねーよっ」

「木兎は」


がそう言ったタイミングで、電車が急停止した。

しばらくお待ちください。

車掌さんのアナウンスが慣れた様子で流れた。


また花火の音がした。今度は連続していた。ドン、ドン、ドン。
車内にいるのに、花火の圧を感じた。



「なんだよ、。続きは?」

「たいしたことじゃ」

「気になんだろ、夜眠れなくなる」

「それはないって」

「ある!!」


さっきも似たようなやり取りをしたな、とは内心思ったけど、木兎の返しはまるで違った。
向けられた眼差しも。


「気になんだよ、今のは」


力強い、一言。


木兎光太郎って、こういう人だった。

知っていたはずのに、この瞬間、思い知る。




電車はまた動き出した。何の前触れもなく。








「木兎、彼女と別れたってほんと? 好きな人が、「もか?」







間髪入れずに返されて、は面食らった。


なにごともなく、電車はすべる、かのごとく走っていく。スムーズに。何もありませんでしたってふりして。

木兎が返事を待っているのはわかっていた。
でも、気まずかった。

は窓の外を見るように座り直した。




「木兎っ。もうすぐ橋の上だ、見えるかも!

あ、見えそう!!」



花火を理由には立ち上がって、車内の扉の窓に駆け寄った。


鼓動が早まった。



花火、見られる。



打ち上がる。


高鳴る。


不意に、バランスを崩した。




「っぶねーな。 、大丈夫か?」


「う、うんっ」



緊急停止ボタンが押されたため、電車を急停止しました。

ただいま、駅のホームにて緊急停止ボタンが押されたため、電車を急停止しました。

しばらくお待ち下さい。ただいま……


片手は転ばぬように電車の扉に、吊革をつかめなかったのもう一方は木兎の胸のあたりの服を掴んでいて、自分自身は肩ごと木兎に支えられていた。抱きしめられていた。顔を上げれば、そこに、いる。


「も、だいじょうぶだから」

、花火みえるぞ!!!」


「み、みえるね!!」



鼓動が早い。

ドキドキ、どころじゃない。ドン、 ドン、  ド  ン。


川の真上、橋のど真ん中、駅のホームまでもう少し、のところで、二人の乗る電車は停まったまま。

とまっていても、花火は上がる。


「すげえな」

「う、ん……近い」


ドキドキドキ、あれ、おかしいな。これ、私のじゃ。


そう思った時、この心音は手のひらを伝って届いているとは気づいた。

自分の手は、木兎にふれている。勘違い、な、はずがない。この至近距離、誰が間違えるか。





呼ばれてないのに、呼んでいるような目つきだった。


ぱらぱらぱら、火花が散っていく。歓声が電車のドア一枚向こうで聞こえていた。それなのに、の瞳には、花火に照らされた木兎だけが映っていた。
そこに、確かに自分をうばった唇がある。


ガッタン、と、電車がまたなんにもありませんでしたって顔して動き出したものだから、が木兎のTシャツを反射的に掴むと、木兎のほうは両腕でを抱きしめた。

ドン、ドン、ドン。

心音が、空気圧が、体温が、筋肉が、重力が、全身に満たされる。
いつかの体育館みたいな匂いがした。いつかの教室でかすめた香りがした。


「ぼ、木兎……」

「わかった」


木兎は腕の力を緩めたけれど、力一杯にの両肩を掴んでいた。


「俺、ずっととこうしたかった!」


電車、もう、着く。


言葉は発露することなく、木兎の影がをもっと覆った。





end.



おまけ