- prologue -
また雪がふりだしそうな午後のことだった。
白布賢二郎が彼女を見つけられたのも、他の外部生が雪が降る前にと足早に帰ったからかもしれない。
今日は白鳥沢学園高校の合格発表日だった。
かつて白布も同じように合格発表を見に来たおぼえがある。
合格発表のやり方はその当時と変わっていない。
事務局の入るビルのエントランスに合格者の受験番号が一斉に張り出される。
遠方の受験者に配慮して電話でも合格確認できるが、電話での受付時刻は合格発表日の翌朝からだ。
受かれば、そのまま入学手続きの書類が受け取れるから、電話を待たずに学校まで見に来る受験生も多い。
そういった中学生やその親の姿を見かけるのは、この時期の風物詩だった。
といっても、ほとんどの人たちは合格書類を腕に抱えていることはない。
答えはシンプル。
入学が既定路線のスポーツ推薦じゃないから。
一般入試で、この学校に入るのは並大抵の学力でできることじゃない。
白布が彼女に目を留めたのも、かつて自分が意気揚々として受け取った合格書類一式とこの学校の校章がプリントされた紙袋を手にしていたからだった。
この学校に一般入試で合格できた人物。
バレー部の先輩である天童覚の言葉を思い出したのもある。
“あの若利君が去年の夏にナンパした子だよ?”
牛島さんが、ナンパ。
アンバランスな言葉の組み合わせが記憶にあった。
そのあとの視聴覚室での出来事も含めて、部内であんな風に女子生徒が連れ込まれたことはなかったから、なんとなく覚えていた。
名前は、そう、『ちゃん』
と、天童さんに答えていたはず。
「あ」
なんてことない記憶をたどったせいで、注意力が散漫になっていた。
自分は、この後配布するプリントを運んでいた。
途中で教師に頼まれ、冊子の束も抱えていた。
めんどうだからと両方一気に持ったのが悪かった。
半端な量だったプリントが、数枚、地面へと落ちていった。
きちんと押さえてなければならなかったのに。
屋根のある歩道からあと少し、雪の残る植木に飛ばされそうになったところ、そのプリントは救出された。
彼女の手によって。
2枚目、3枚目と拾われていく様子を、白布は眺めた。
すばやい所作のおかげで、間一髪、先日降った雪の上にプリントが落ちることは免れた。
彼女はプリントをまとめ、白布の腕にある紙の束に重ねようと手を伸ばした。
「ここで、いいですか?」
「いいけど……」
白布を濁したのは、彼女の好意に対する申し訳なさだった。
「その紙袋、取り替えてもらったら?」
彼女は白布の言葉に目を丸くし、腕にかけていた紙袋がプリントの代わりに汚れてしまったことにいまさら気づいた。
しゃがみ込んだ時に、自然と紙袋が地面に触れてしまったんだろう。
彼女は首を横に振った。
これくらい大丈夫ですと、模範解答も付けくわえて。
白布は納得のいかない表情で紙袋を見つめた。
「言えばすぐ代えてもらえると思うけど」
この学校の校章が付いている。
それだけで価値があったし、なにより合格して早々それじゃあ、と、かつて同じ受験生だった経験を思い起こした。
彼女は、唐突に切り出した。
「一般入試でこの学校に入ったんですか?」
質問の意図が分からずにいると、あわてた様子で彼女は説明した。
この書類と紙袋を見て一般入試の合格者だとわかるのは、同じように一般入試を受けたことがある人物くらいだ。
と、ついさっき誰かに教えてもらったらしい。
彼女の説明から察するに、もしかすると某先輩が偶然(かどうかは知らないけど)彼女を見つけて、また余計に絡んだのだと想像できた。
ただ、彼女の推測には一理ある。
この学校の大半の生徒は、スポーツ推薦で入学している。
その他技能を認められた生徒がいても、通常の試験で入る生徒は少なく、同じ部の連中と受験の話になった時も、
『へー、そんないっぱい試験、受けるのか!』
なんて驚かれることもあった。
みんな、良くも悪くもバレー以外のことに関心が薄い。
白布は、彼女を見据えて言った。
「だったらなに?」
自分が一般入試でこの学校に入ったからといって、彼女にいったいなんの関係があるのだろう。
彼の疑問を受け、彼女は、白布ではなく、もっと遠くを見つめた。
視線の先には、建物が見える。
体育館だった。
「推薦じゃないなら、どうして白鳥沢を選んだのか聞いてみたくて」
ぶしつけですみません。
彼女は頭を下げた。
変な質問だと白布は思った。
受験前ならともかく、いま合格書類を手にしている人間が、いまさら在校生に尋ねることだろうか。
理由だって白布が答えずとも想像がつくと思われた。
この辺りでどこよりも偏差値が高く、これだけ施設が整っている学校は他にない。
受かれば誰もが喜んで入学するだろう。
ただ、と白布は思考を止めた。
彼には、彼女に対して、拾ってもらったプリント数枚分の義理があった。
「“人”」
白い息が立ち上る。
ひと……
彼女がくりかえした言葉もまた冬の寒さを現した。
「この学校にいる人と強いバレーがしたかった。
……質問の答えになってる?」
彼女はまばたきして続けた。
他の学校じゃあ、できないんですか。
白布は即答した。
「できない」
できるはずない。
考える余地もない。
絶対的な、確信。
二人の間に流れる空気を一刀両断する勢いで、白布が答えた。
彼女は納得したのかしないのか、しばし意味を咀嚼したのち、ありがとうございましたと会釈した。
事務局に戻って紙袋を交換するつもりはないらしく、校門のある方へ彼女は歩いていく。
その後ろ姿は次第に遠のき、ついには見えなくなった。
マネージャー、ね。
「なにやってんのー、こんなところで」
噂をすれば、だ。
いや、自分はこれっぽっちも天童さんの話題を出してはいないけど、彼女のことを思い出すと決まってこの人もセットになっていた。
白布の気も知らず、天童は、荷物大変そうだねえ、とだけ呟いて渡り廊下を歩き出した。
別段、白布を手伝う気はなさそうだ(もともと、そのつもりもないけど)
「賢二郎もナンパするんだね、若利君と同じ趣味?」
彼女とのやり取りをどこかで見られていたらしい。
全くこの人は。
白布は呆れた様子で適当にあしらっている内に、校舎へ入った。
天童さんはいつまで付いてくるんだろうと白布は思っていたが、別の教室に用があるらしく、ひょいひょいっと軽快な足取りで階段を上がっていった。
かと思えば、天童は階段途中で大胆にも背中を大きく反って振り返った。
「でもさー、当たったよね」
この人の会話はすぐ切り替わる。
「……なにがです?」
「ちゃん。会ったときから受かると思ってたけどさ」
「そういえば、そんなこと言ってましたね」
この間の3年生の追い出し会のときか。
天童さんがやたらと彼女をかまっていた。
話半分にしか聞いてなかったけど、彼女に対して合格するだの、仲間にするだの言っていた。
「じゃあ、次はマネージャーですか?」
熱をもたない白布の問いかけに、天童はビシッと指差しでポーズを決めた。
「どう思う? ちゃんがマネージャー」
「いいんじゃないですか」
くるりと先輩のいる階段から向きを変え、白布が荷物の運び先へと足を進める。
「それって、どういう意味?」
足を止めて振り返ると、壁際から顔をひょっこり出している先輩がいる。
驚くこともなく、白布は慣れた調子で答えた。
「“どうでも”いいです」
“どうして白鳥沢を選んだのか聞いてみたくて”
体育館を眺める彼女の横顔がよぎった。
「4月になればわかることですし」
そう言い残して白布が歩き出すと、そうだね!と元気よく天童の声が響いて消えた。
end.