ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

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“スポーツとデータ分析”


みなさん、どこかで聞いたことがあるでしょう。

技術が進化し、これまで以上に人の動きを計測することができるようになりました。

白鳥沢学園では、一貫してスポーツ分野におけるデータ分析に協力してきた経緯があり……云々かんぬん。


本日受けた講座の内容はよく思い出せるのに、どこかちぐはぐとした違和感は、自分の勝手に抱いていたイメージと違うからだろうか。

かといって、何を期待していたかは言語化しにくい。


『“人”』


白鳥沢学園高校を歩いていると、あの冷え込んだ午後を思い出す。

プリントを抱えた男子の人と偶然顔を合わせた、白鳥沢学園の合格発表の日。

まもなく雪が降りだしそうな、グレーの濃淡が広がった空の下。

我ながら、唐突な質問だったと思う。


『一般入試でこの学校に入ったんですか?』


相手はびっくりしていた。

当然だ。

尋ねた理由をあわてて説明したことも、よく覚えている。


『推薦じゃないなら、どうして白鳥沢を選んだのか聞いてみたくて。ぶしつけですみません』


私が質問したのは、あの辺りかな。

体育館がよく見えた。

夏の日と同じ、バレー部を見学した光景がよぎった。



『“人”』



あの人は、私と違って、迷いがなかった。



『この学校にいる人と強いバレーがしたかった。

 ……質問の答えになってる?』


つい、胸に疼く迷いが引っかかり、みっともなく質問を重ねてしまった。

他の学校じゃあ、できないんですか、と。

できない、と、バレー部のジャージを着たその人は即答した。
ほんとうに、すぐ答えてくれた。


その姿こそ、白鳥沢にぴたりとハマっているようにみえた。
“私”はここじゃないかもしれない、とも。


あの時と同じ道を、いま、辿っている。

合格書類の入った紙袋はない。

今日のテキストが新たに追加され、違うところで活かせるようにと歩んでいる。


すぐそばを、数人のジャージ姿の人たちが走っていった。

高校生、じゃなくて、中学生、かな。

たぶん、同じ教室にいた。
オリエンテーションのなかでも、幅広い学年が参加してくれた、と講師の人が話していた。

中学生のジャージにも“白鳥沢”と印字されている。
……身長だけで言えば、ぜんぜん中学生にみえない。


「あ、どうも」


ぼんやりしたせいでぶつかりかけた相手もまた、同じ講座を受けた人のようだった。

他校生が珍しかったのか、声をかけられた。

合格発表の日、どうしたものかとチラシを適当にもらった中に見つけたこの講座。
こんな風に知らない人たちと学んでいく。
はじまったばかりだというのに、前途多難、これからどうなるかイメージが付かない。


マネージャー、か。

マネージャーねえ……。


白鳥沢学園高校の、堂々とした校門を抜ける。


“なんで、烏野にした?”


従兄の声が浮かぶ。

なんでだろうね、と頭の中で返す。

勉強は、一人でできるとおもう、なんて、随分かっこつけた理由だ。
たぶん、親も納得した訳じゃなくて、私の好きにさせようってだけだろう。


“今の烏野に、じーさんいねーぞ”


知ってる。

よく、知ってる。










“ さんっ ”










日向くんがコートにいる姿が見たい。

できることなら、近くで。

叶うなら、だれよりそばで。


それだけだった。












「あ」


ぼんやりしていて、古い生徒手帳を出しかけた。

ごそごそとカバンからお金を取り出し、バスに乗り込んだ。














ちゃん、すっかり大人になって!!
 今度、高校生?」

「はいっ」


元気よく答えれば、ご近所のその方は、私以上の明るさで返事をしてくれた。

祖父の家の近くの、とても元気な女性だ。


「そうだ、一繋さんにコレ持っていって!」

「え」

「お母さんにはないしょよ」


フフ、と楽し気な笑い声まで付け加えられて、手渡されたのは、お酒の瓶。

これは、どうしたものか。

顔に出ていたらしく、だから内緒よと念押される。

なんでも、この方の旦那さんと祖父は先日楽しくお酒を交わしたらしい(検査入院が終わったばっかりなのに!)

そのときにけっこう量を空けたらしく、そのお礼だそうだ。


「……どうしよ」


たしかに、これから祖父の家に行く。
ご近所の方の好意ではある。

けど、母とのやり取りを思い出せば、酒瓶を持っていくのは憚られる。

かといって自分の家に持ち帰る訳にも……、従兄がいれば上手いこと片づけてくれそうだけど、残念ながらこの場にいない。

仕方ない。
祖父の家の鍵はあるから、さっさと家に行って、それっぽいところに隠す。

祖父にお酒なんて見せたら、私のことなんか後回しにされそうだ。

今日、ここに来たのは理由がある。
お酒はなし、だ。

そうと決まれば瓶を落とさぬように注意しつつ、祖父の家に向かって駆けた。










準備万端。

酒瓶もとうに隠し終えて、今日の目玉の準備も完了し、祖父を待っていた。
けれど、祖父ではなく親から電話があった。

検査入院が終わったはずの祖父は、少しだけ病院に用事があるそうだ。

大したことはないと繰り返していたから大丈夫なんだろう。
私は祖父の家でそのまま待っているよう言われ、電話を切った。

おじいちゃん、大丈夫かな。

お酒を隠したのは正解だったとぼんやりする内に、外はすっかり暗くなっていた。




「すみませーんっ」


知らない声がした。

こんな時間に誰だろう。


もしかして、お酒をくださった方の旦那さん、とか?
今夜も飲もうって?


でも、この辺の人がわざわざ祖父の家を訪ねるのに、すみません、なんて声かけするだろうか。

外履きに変え、門灯をつけようとしたものの、あいにくチカチカと瞬くだけだ。
今度、電球、換えとかないと。


「こんばんは、夜分遅くにすみません、あれ!」


相手の人が『あれ』と声を発したタイミングで、明かりがきちっとこの辺りを照らした。

眼鏡をかけた、ネクタイをつけた、男の人。

その人は、こちらの返事を聞くよりはやく、私を指差した。


「うちの制服!」

「うち?」


いま身に着けているのは烏野高校のものだ。

今日の目玉こそ、晴れて高校生となる自分の姿である。

が、この人が思いのほか反応してくれた。

戸惑う私に気づいて、その人は謝罪後に続けた。


「僕は烏野高校で教師をしている武田です。今度バレー部の顧問になるので、烏養監督にお渡しする書類を持ってきました」

「あぁ、烏養は祖父で、私が渡しておきます」

「ありがとう! お孫さんってこと、だよね?」

「はぃ……」

「そっか……」


先生と聞けば、先生らしく見えてくるものである。

はつらつとした武田……先生は、チラとだけ祖父の住む家に視線を投げた。


「あの……?」


まだ何かあるんだろうか。

眼差しを投げかけると、なんでもないことを示すよう相手はぶんぶんと腕を振った。


「そーだ、烏養さん、って、君とかぶるね」

「あ、私の名字は烏養じゃなくてです、


勢いだった。
聞かれてもないのに、この春から烏野に入ることを告げると、武田先生はどこかうれしそうに歓迎してくれた。


さん、こんなことを聞くの失礼かもしれないけど……」

「はい?」

「烏養監督のご病気はやっぱり……」


祖父の体調については答え方に窮してしまう。

黙っていると、武田先生も私を悩ませたことに気づき、すぐ謝罪を繰り返した。


「いやっ、実は、……この春から指導してくれる人を探していて」

「指導? って、バレーのってことですか?」

「そう!! 残念ながら、バレーボールは未経験だから……書類を直接もってきたのも、本当は、烏養監督に、だれか他に指導できそうな人を教えてもらえないかと思って訪ねてきたんだ」


おじいちゃんの代わりに、バレーボールを教えられる人、か。


さん、もし誰か浮かんだら教えてもらえないかな? これ、連絡先っ」


武田先生は流れるように名刺を差し出したかと思えば、にこやかな笑みを見せ、颯爽と帰っていった。学校に。
なんでもやることがあるらしい。山ほど。

先生って忙しそうだなあと家に戻った時、はたと気づく。

あの人が烏野高校男子バレー部の顧問なんだ。



next.