あなたのとなり、きみの背中
35
日向くんと並んでみる映画。
去年の夏に観た内容はけっこう忘れていたのに、途中の回想シーンで一気にあふれ出す。
映画じゃなくて、日向くんと過ごした時間。
日向くんと眺めた景色。
あの時は、不可思議な天気だった。
雷が鳴って、でも、向こうの景色は日差しがこぼれている。
灰色の雲をどんどん流れていく。
蒸し蒸しとした空気と冷たい流れが入り混じり、暑くてひんやりとする、おかしな気温。
そう、奇妙な天気に煽られ、一歩、踏み出そうとしたんだった。
“ もし、明日で世界が終わるとしたら、日向君どうする? ”
「さん、ごめん!」
暗がりで、日向くんの手が、私のに重なった。
日向くんはドリンクを取ろうとしたらしい。
映画の盛り上がるシーンと合わさって聞こえづらかったけど、日向くんはそんな説明をしてくれた。
私も小声で返した。
大丈夫だよって。
気づけば二人の間の手すりを掴んでいたのがよくなかった。
そんなやりとりをして、また静かにスクリーンに向き合う。
ちらりと盗み見た日向くんは、ストローを銜えて映画の世界に舞い戻っていた。
私は、手の甲に残る感覚が気にかかる。
あの時と同じ。
なぜか、置いてけぼりを喰らった感覚。
けれど、着実に、あの時立っていた場所から遠くに来ている。
「映画、おもしろかった!! さん、最後のあれ!? どかーんってなって、ばっと画面がばばってなって、すっげー怖っ……、いや! こわくはないっ、怖くはなかったけど、その!
さん、映画どうだった!?」
日向くんは大きく咳払いをしたのち、私に尋ねた。
その態度が面白かったけど、笑ってしまわぬように注意して頷いた。
私も映画おもしろかったよ。
そう素直に返事をすれば、日向くんはうれしそうに感想を口にした。
「じゃあ、日向くん、ここで」
「もう帰んのっ?」
私の家の方面に向かうバス停近く、日向くんはまた違う方。
お互いの分かれ道で、日向くんが少しの不満も隠そうとせずつぶやいた。
けれど、すぐ、『帰んなきゃだめだよなー』って、私に聞かせるというより、自分とおしゃべりするみたく日向くんは続けた。
「帰りたくないの?」
「さんは帰りたい?」
ずるい質問だ。
「帰りたいわけじゃないけど……、帰らないとなって」
夕ご飯は外で食べるとは家に言ってきていない。
日向くんもそれは同じで、ガクッとわかりやすく肩を落とした。どころか、しゃがみこんだ。
日向くんは、オーバーリアクション。
そう思った途端、シャキッといきなり立ち上がったので、びっくりした。
「さん!」
「はい!」
日向くんにつられて自然と声に気合いが入る。
「次、会う時、烏野だね!!」
満面の笑み。
夕暮れ時。
沈んでいく太陽とは裏腹に、日向くんの輝きが増したように映った。
「そ、そうだね」
「いよいよだなー、烏野! バレー部!!」
日向くんが心底うれしそうに両手を昼と夜の混ざりあう空に突き上げたかと思うと、そのまま動かなくなった。
ぴたり、誰かがスイッチオフにでもしたみたい。
なに、考えてるんだろう。
答えはわからず、黙って待つばかりだ。
日向くんが、ゆっくりと拳を引き下げ、しばしぼんやりと地面を見つめていた。
烏野のこと。
バレーのこと。
これからのこと。
シャボン玉のように浮かんでは消える。
「おれ、さ」
日向くんが息を吸い込む。
「バレーする!!!」
きっぱりと、やる気と前向きさにあふれた宣言。
「さんっ、おれっ、烏野でバレー部入って、練習するっ。
“王様”に“勝つ”っ!!」
不意に、決意に満ちた眼差しを向けられ、ドキッとする。
日向くんの熱意を真正面から受け、なんともいえない違和感。
恋心だけじゃないことだけはわかった。
「え、と……、王様って?」
「あっ、ほら、さんたちが見に来てくれた公式試合……おぼえてない?」
日向くんが少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「あのときの学校にさ、“コート上の王様”ってやつがいて、一番コートの中にいるやつだから……
だから、そいつに勝ってっ、おれが、一番コートの中にいるっ。
一番、いっぱい、バレーする!!」
勢いが、ふと、止まる。
「勝ち続けたらさ、バレー、ずっとできる」
日向くんが静かになる。
私に出来ることなんか、なにもない。
のに、なんでもいいから、したくなるのはなんだろう。
沈黙は悪いことじゃない、のに、動いていた。
「できるねっ」
例えば、こんなささいな同意。自己満足。
声は、いつも通りを心がけた。
真意を悟られたくなかった。
日向くんは目を丸くした。
勇気をもって続けた。
「できるよ、日向くん。
バレー、これから、もっとたくさん」
間を置いて、日向くんは応えてくれた。
「そ、そうだよね! バレーできる。そのために今日も宿題やったしっ」
「そうだよっ、ちゃんと宿題やったから、すぐバレー部入れる」
「だね!! さんの、言う通り……」
不安と期待が交互にふくらむ。
似て非なる物? 同じ、なのかな。
ゆらゆらと、先を進もうとする私たちを惑わせる。
それでも、時計の針は着実に進む。止められない。
だったら。
「楽しみだね、これから」
胸が高鳴る。
緊張、不安、逃げ出したい気持ち。
「きっと今までよりぜったい楽しいよ」
期待、好奇心、それでも前に進みたい意欲。
塗り替えられたら、と、願う。
「さん!?」
「あと、もうちょっとだけ、一緒にいよう。だめか「ダメじゃない!!」
日向くんの言葉があまり早くて、つい笑ってしまった。
日向くんは、私がそうしたよりずっと強く手を握りかえしてくれた。
「ダメじゃない……、
おれも、さ、もっとこうしてたい」
いつもと同じ、繋がった手と手。
めずらしいことでもなくなったのに、なぜだか、お互い気恥ずかしさがこみ上げてきて俯いた。
「さん」
「なに?」
「おれのこと、みてて」
照れ隠しに外した視線がぶつかる。
日向くんは、優しくて、おだやかで、少しだけ男の子の目をしていた。
「さんが見たいって言ってくれたの、いまも、うれしい。さんが思ってる以上に、最近思い出す、あのときのこと」
北川第一に負けてしまった、たった一回の公式試合。
忘れるはずがない。
日向くんの、はじめてのデビュー戦。
「これからもっとカッコいいところ見せる! いっぱい勝って、ずっとさん、コートの中のおれ、見てられるから」
お礼を言うと、日向くんが照れた様子で表情を歪めた。
なんで?って声がやさしい。
「うれしいから」
日向くんのこと、みてられるのが、本当にうれしい。
「お礼、言いたくなっちゃった、ごめん」
「な! なんで謝んの? おれは、さんにそう言ってもらえてうれしいのに」
「うれしいの?」
「うれしい!!!」
「そっか」
「手、離したくなるくらい……」
離す、けど。
日向くんが私の手を自由にしてくれた時、目当てのバスのヘッドライトが私たちを照らした。
to be continued...