ハニーチ

スロウ・エール 244







多目的室に向かっているあいだ、私はどこか浮かれていた。
気分が高揚している、というべきか。

委員会の仕事があるといっても、メインの卒業式は終わったから、晴れやかな気分だった。

一方で、日向くんとの『式の後』が気になって、じわじわ緊張もしていた。

泣いてないけど、卒業生らしい寂しさも感じ始めていた。

ぜんぶまだ後回しにしたくて、いつもならそこまで弾ませない会話も率先して交わした。


同じ委員会なだけじゃない。

ずっと同じクラスだった。

2年生の林間学校のときも同じ班だった。


クラスが同じだから、同じ出来事をいつでも共有してきたことになる。

私が覚えていないことも相手のなかに存在して、同じ3年間なのにちがう“3年間”があった。

情けなくなるくらい、出来事一つ一つをきちんと覚えていなかった。


「ご、ごめん、あんまりよく」


何度目だろう。
思い出話に相槌を打ち続けることが心苦しくなり、素直に白状することにした。

自分の記憶力のなさに驚くし、相手もよく覚えていてくれた。

私たちは、とくべつ仲が良かった訳ではない。
ただのクラスメイトだった。

否定されても、そうとしか思えず、いたたまれなくなって話を断ち切ろうとした。


「ここだよねっ」


目的の教室の扉をひらいた。

ガラン、と広がる室内は、机も椅子もない。

黒板は真っ白、カーテンは束ねられたまま、後ろのロッカーも全部空っぽだった。


「ここで受け取るもの、

 ……あるんだよ、ね?」


よくわからず振り返ると、目がばっちり合う。

これまでと雰囲気のちがう同級生が立っていた。

多目的室を眺めて、もう一度相手を見つめる。

“なんにもない”
そのことに意味があったと、ようやく理解した。


渡したいものがある。


彼にそう切り出された時、声を発せられなかった。
さっきまでと同じようにできなかった。

ほんとうに、見たことない表情をしていた。

私の戸惑いに気づいているのか、困ったような、それでいて優しい眼差しだったから、声は発せられないけど、かろうじて手のひらを差し伸べることはできた。


彼がくれたのは、第二ボタンだった。









さん、おかえり!」


教室の入り口に手をかけたタイミングで、日向くんとばったり顔を合わせた。

室内は、まだにぎやかだった。

翼くんはいなかった。
卒業アルバム委員の仕事で段ボール箱を運んでくれたそうだ。

机の上には大き目の冊子がクラス全員分置かれていた。


「せっ先生、まだなんだ」

「隣のクラス来てるからもうすぐだと思う。 ほらっ」


日向くんの言う通り、担任の先生が廊下の向こうから出てきた。
そばに彼もいた。第二ボタンをくれた彼が。


さん?」

「!な、なに」

「いや、なんとなく……」

「席に着こう、ホームルーム、はじまる」


日向くんの背中を押しながら、密かに、罪悪感がチクリと刺さった。


席に着いてからも、このクラス最後のホームルーム中も、ずっと、ずっと、胸の中がギュッとする。

この感覚は何だろう。

ポケットに入れっぱなしの小さなボタンが、なんだか重い。

自分の分のアルバムも開けずにいる。

なんでこんな気持ちなんだろう。





友人に呼ばれて肩が飛び上がってしまった。


「あ……、ありがと」

「ううん」


最後の成績表を受け取る。

一喜一憂するのもこれでおしまいか、と思いつつ、中身を確認しないで机に置いた。

日向くんは前の席の泉くんとしゃべっていた。その前にいる関向くんとも。

卒業式の記念品も配られた。
それも受け取るだけだった。

まるで機械になった気分だ。

流されるまま、やり過ごす。


なんで、こんな気持ちでいるんだろう。

教室内にいる彼が気になる。

席は離れていた。意識なんてしたことなかった。
よく見れば斜めの方向で、ちょうど黒板を見る時、その気になれば、いつでも視界に収めることができた。


声をかけてくれた、て、言ってた。

そうだっけ。

手伝ってくれたって、……そんなことしたっけ。


励まされたって、なんだろう。


わたしは、なんにも



「ここで、遠くに引っ越す人たちにクラスからプレゼントがあります。

 


 ?」


「!は、ハイッ」


担任に声をかけられたというのに、日向くんに机を叩いてもらわなければ、いつまでも気づけなかっただろう。

そうだった、やること、まだあった。

忍ばせていた2枚の色紙を机から取り出した。

ちゃんとしなくちゃ。ちゃんと……


「じゃあ、えーっと、二人からそれぞれ挨拶してもらうか。

 いや、色紙が先か?」


先生の間の抜けた仕切りに、笑いが広がった。

いつもの調子も見納めだ。
先生は、二人を呼び出し、あいうえお順で遠野から挨拶、と指示した。

話を聞くことになるなら、まだ席にいた方がよかったような。
かといって、自分の席に戻るに戻れず、端っこで、先生の横に立つ二人を見守った。

話が終わるたびに拍手した。

知っている二人、知らないこともたくさんあった。

それでも、今日が終わればお別れになる。


「じゃあ、クラスからの寄せ書きをから……、え、あ、おいっ、ちょ、ティッシュっ、だれか! 、ほらっ、あー色紙はっ、うおっ」


なんで、今、このタイミングでって強く思った。
おもえば思うほど、視界はにじんだ。

生徒がいきなり泣き出して先生は焦るし、あせったせいで、教卓は前の席の人めがけて落っこちて、ちょっとした騒ぎだった。

腕の中の色紙は先生が受け取って、二人に手渡した。

拍手をたたく間もなかった。

涙が止まらなかった。

卒業式だから?
二人が遠くに引っ越すから?

たぶん、先生もみんなもそう考えたはずだ。

私の泣いた理由を、だれも知らない。







「じゃあ、号令ー」


きりーつ、と声がかかって、頭を下げて、ホームルームも終わった。

ぐちゃぐちゃと、ごちゃごちゃと、とっちらかった胸の内そのままに、教室内はまた賑わった。

この後は場所を変えて、卒業おめでとう会だ。

その間、卒業生は自由になる。

もう後輩たちが迎えに来ている部活の人もいた。
クラスの中で、卒業アルバムを見て楽しんでいる姿もあった。

声を、かけなきゃ。


「ひ、「翔ちゃーん!」


別のクラスの人がやってきた。
先にホームルームが終わっていた人たちだろう。こっちの教室も先生がいないとわかって、中に入ってきていた。
それと入れ違いに、女の子たちが扉から室内の様子を窺っていた。翼くんが出ていった。


「翔ちゃん、写真撮ろうっ」

「待って」


席に着いたまま、動けずにいる私のほうに、日向くんは一歩近づいた。

日向くんの後ろには、不思議そうにこっちを見る同級生の手には使い捨てカメラがあった。

約束がよぎった。


「あ! えと、その」


式終わったら時間が欲しいって言ったの、私だ。


「やっ約束は後で」

「ん」

「ごめんね、私の方が準備できてなくて」

「わかった!」


もう一度ごめんと言いたくなったけど、言われすぎても日向くんが困るかと口をつぐんだ時だった。


「え」

「写真、後でもいいよな? おれ、さんと話ある」


ぽかんとしていたのは、カメラの彼だけじゃなく、私もだった。

写真を撮ろうと言った彼が頷くと、日向くんは軽やかに私の手首をつかんだ。


さん、行こっ」


え、


な、


  んで。



「ど、


   ど、
     こ行くの!?」


「決めてない!!」


高らかに日向くんは宣言した。


「……けど、さんとしゃべりたかったっ」


屈託なく言い切った日向くんは私の手首を掴んだまま、校舎を突き進んだ。

在校生のクラスが静かなのは、卒業生を見送るために来てる人だけだからだろう。

廊下から見えるグラウンドには、運動部の人たちがみえた。
あれはたぶん記念写真だろう。

サッカー部。


「なんかあった?」


日向くんは足を止めて、窓を開けてもたれかかった。

冬の風が日向くんの髪を揺らした。


「な、なんで」

さん、……泣いた」


それは。

言いかけて、上手くごまかせそうになくて、ただ、日向くんの隣に並んで、窓の向こうを見つめた。

薄雲が風にさらわれていく。

青い空。

校長先生が、君たちの門出にふさわしいって言ってたっけ。

ほんとうに相応しいかはわからないけど、青空はきれいだった。


「日向くんは、卒業式、泣かなかったね……予行練習の時は泣いてたのに」

「そっそれはっ、やっぱ、本番だから! ちゃんとしよって」


卒業式当日だからこそ泣くんじゃないかな。

そう返せば、当日だから泣かない!卒業式だし!と日向くんは気合いが入った様子で言い切った。

わかる、ような、わかんないような……

不思議な感覚だった。

ただ、日向くんの言うことが面白く感じられて、つい笑い声を漏らすと、日向くんが言った。


「よかった!」

「へ?」

さん、笑った!」


思わず日向くんの方を見ると、日向くんもまたいつもみたく明るかった。


「かわいいっ」


ふ、不意打ち。


「泣いたの、気になってた。 いや、泣く前からずっと」


泣く、前、ということは、教室に戻ってきた時から今の今まで、私の様子がおかしかったこと、気づかれていたということか。

はずかしさが込み上げ、同時に申し訳なくなった。


「きっ気にさせてごめんね、日向くん」

「なんで?」

「私がちゃんとしてないせいで、さっきも写真撮るところだったのに、邪魔したから」


今もこうやって時間を取らせている。


「もう、大丈夫だから!!」

「ん!」

「だから、もう」

さん!」


窓枠に置いていた手と手が重なった。

日向くんはさらりと続けた。


「おれもさ、たぶん、エスパーなんだと思う。

 さんのこと、わかるよ」




next.