ハニーチ

スロウ・エール

- epilogue -





日向くんとのことを一生隠すつもりはなかった。



けど、だからって、気持ちを伝えた次の瞬間、すぐ誰かにバレるなんて考えてない。

しかも、よりにもよって日向くんに……




「おめでとうございます!」

「ちっちがうから!!!」


唇から手を外して即答する。

お祝いの言葉を発した相手は固まった。

い、いや、違くはないんだけど!


「へっ!?」


友人は肘を軽くぶつけ、私を現実世界に戻してくれた。

目の前には、1年生3人。
卒業おめでとう会に向かっていた私たちが途中で会った。

彼らはこの学校の貴重な男子バレー部員で、自主的に部員募集のポスターも作ってくる、頼もしい後輩たちだ。

そんな彼らの手にあるのは、私が友人たちに用意したものと同じだった。


「それ、……色紙?」


問いかけに、1年生たちは頷いた。


「これ、先輩のです」

「日向さんはこっちです!」

「うおおぉー! なに!? スゲー!!」


日向くんも私と同じものを受け取り、両手で空へと高く突き出した。

どちらの色紙にも、中央付近に、大きくマジックでこう書いてある。


“卒業おめでとうございます!”




先輩!?」

「大丈夫、ちょっとした勘違いに気づいただけだから」


いきなりしゃがみこんだ私を不審がる鈴木君たちに、友人が状況を説明してくれた。

膝を抱えて自己嫌悪する。


ああ、もう。

そりゃ、そう、だよ。

今日、おめでとうございますって言ったら、“ふつうに”考えたら、こっちのおめでとうに決まってる。

何をどう取ったら、“卒業”以外のおめでとうだってかんちがいするんだ。
私ってホント。


「だいじょーぶ?」

「!?」

「ほらっ」


肯定より先に日向くんがしゃがみ込む私の手を取って引っ張り上げた。

日向くんの目元が光っている。


「……泣いた?」

「なっ泣いてない! そのっ、これは、なんでも!! それより、さんのも見せてっ」


言われるがまま、お互いの色紙を見せ合う。

日向くんは、さんの色紙の方がみんなの書き方が丁寧だってこぼす。
森くんも川島くんも慌てて否定した。
日向くんはその色紙を関向くんたちに見せて笑っている。

楽しそうだ。


先輩」

「ん?」


鈴木くんが耳打ちしてくる。


先輩のは、ピンクのペンも使いました」


言われてみれば、さっき見せてもらった日向くんの色紙は黒い文字だけだった。
その他大きな見た目の違いはなかった気がするけど、彼らからしたら、細やかでも大きな違いかもしれない。

鈴木くんと目が合うと、お互い笑いを噛みしめた。


「私の分までありがとう、バレー部じゃないのにわざわざ用意してくれて」

「そっそんなことないです! 先輩は、バレー部だって思ってますっ」


鈴木くんの言葉に、日向くん程じゃないけど、じんわり視界がにじんでくる。


「差し入れ、いつもしてもらってたし、あ! あとっ、一緒に試合もしました!」

「そうだね」


あの体育館。
私の思い付きによる、大切な1試合。

相手コートでがんばる後輩たちの姿は記憶に新しい。

影山くんの後輩二人とも、またバレーをすることがあるんだろうか。
連絡先、交換したって言うし。

女バレの子たちの練習にも、4月からも変わらず参加するのかな。

聞いてみたい気もしたけど、それは私たちのいないこの学校の未来のことだ。
黙っておくことにした。

去っていく立場の人間が言うことは他にある。


「がんばってねっ」


進む道は同じじゃないけど、共に過ごした時間はたしかに存在する。


「ずっと、応援してる。今までありがとう」

「……は、ハイ!!」


やけに彼の肩が上がって見えて、つい笑ってしまった。


「そんなプレッシャー感じなくていいよ」

「やっ、そういうわけじゃ!」


「なんの話!?」


日向くんたちが私と鈴木くんの間に割って入る。

色紙を抱きしめ直して言った。


「バレーの話っ」


私の返事に日向くんも目を細めた。

ふと気づく。



「なっちゃんたち、いなくない?」

「ホントだ、どこいったんだろ」


って、向こうに小さく背中がみえる。
関向くんたちも。

私たち、卒業おめでとう会に大遅刻中だった。


「ごめんね、3人とも!!

 日向くん、あの建物っ、早くっ」


日向くんの腕を掴んで、今しがた教えてもらった会場を目指して猛ダッシュする。

1年生たちと盛り上がっていたからって置いてくなんてひどい。
ひと声かけてくれたらいいのに。

文句はいくつも浮かぶけど、置いてかれた意図も汲み取れる。

日向くんの手には、目指せ春高の文字が入った色紙ががっちり握られている。


「日向くんっ」

「なにっ」






よかった ね

言葉にしようとして、躊躇った。






「……なんでもないっ」

「え!?」


日向くんは何?って何度も聞いたけど、おめでとう会の場所に着いても、ないしょにした。

一言で説明できなかった。
言葉にした途端、その意味から外れる気がした。
色んな想いがあふれ、混じり、滲み、溶け合い、変化する。

ただ一つの確信。

今日、この日を迎えられてよかった。

心からそう思った。

















さんっ」


卒業おめでとう会も一通り終わり、早めに親と帰る人もいれば、生徒だけ残っている席もいくつかあった。

日向くんはちょうど一人だった。


さん今いい?」

「大丈夫。なに?」

「これ書いて!」


手にはサインペン、黒。

開かれたのは卒業アルバムだ。
真っ白い見開きにはメッセージがいくつも並ぶ。


「すごい数。そんなに書いてもらったんだ」

さんに会う前に一回教室戻ったから」

「あ、その時に」

「他のクラスも回った!」


日向くんが得意げに言った。

色んな人のページを見たけど、1番書いてもらってるかも(男子がふざけて書いてスペース消費してる部分もあるけど)

キャップの外されたペンを受け取って、空いたスペースに何て書こうか、ペン先を浮かばせる。

どうしよう。
なんて書こう。
他の人と同じ内容を書くのもな。

あ。

友人のメッセージを見つけた。

私の反応に気づいた日向くんが笑った。


「おれが高校で全国目指すって話したら、東京じゃんって書いてくれた」

「いやだからって……『東京で待つ』って、果たし状みたい」

「果たし状? それかっけー!」


日向くんが瞳を輝かせる。

どうかっこいいのかまでは想像できないけど、友人らしさにこれくらいの気軽さで書けばいいんだなとヒントをもらった。

書き出そうとしたときだ。


さんの影響でちょっと覚えたって」

「え?」

「春高のことっ」


オレンジコート。東京体育館。

野球部でいう甲子園、サッカーなら国立競技場、だったかな。

全国のバレー部の人たちが憧れる、夢の場所。

友人はこれまでバレーに特に興味を持っていたとは聞いてない。


「日向くんがよく言ってたから、きっと」

「言ってないよ」


日向くんがそばの椅子に腰を下ろした。


「そういうのは、他の人には言ってない」


“他の人には”

つい、言葉の含む意味に気を取られてしまう。
ペン先がまた迷う。


「あの、日向くんも私のに書いて」

「お、書く書く! えっと、ペンは」

「そこに色々あるよ」

「すげっ、種類あるっ」

「漫研の子が……」


ふと、もう帰ったその子が話していたことを思い出す。


「“もういらないから使ったら捨てて”って、置いていって」

「……こんなに色あるならすごいのいっぱい書けそうなのに、もったいない」


日向くんがカラフルな中から一本手にして、私の卒業アルバムを引き寄せた。

私も早く書こう。

書かなくちゃ。

お互いしばし無言になってアルバムと向き合う。
日向くんが書き進めてるのがわかる。
同じようにペンを走らせればいいのに、視界に入るたくさんのメッセージに気を取られる。


「うらやましい」


唐突に日向くんが言った。

視線を向けると、日向くんがアルバムをとある箇所を指さした。

それもまた友人からのメッセージだ。


「夏目、さんと会う約束してる」

「あー、うん」


具体的な日付と、東京で遊ぼうの文字。

今日が卒業式なら、明日からは春休みになるのは必然の流れだ。


「なっちゃんが泊まりに来てって。日向くんもやっぱり東京行ってみたい?」

「そ、そっちがうらやましいんじゃなくて! ……そうだっ」


日向くんがなぜか自分のアルバムの空きスペースにさらさらと書き出した。

授業中にノートの隅っこでやりとりした時を思い出す。


春休み あそばない?


明らかに他のメッセージと異なる内容だった。
なんで私宛てのメッセージをここに書くんだろう。
でも、つられて、日向くんのそれのすぐ下に返事を書いた。


遊ぼう!



「やった!! 今日、電話するっ」

「日向くん、夜になんかあるって」

「そ、だった! んじゃ明日!」

「明日はー……、あ、メールでいつ電話するかも決めよう」

「んーー、わかった」


日向くんは少しだけ不満そうだったけど、一つ頷いた。


「翔陽ー、帰るぞー」


関向くんたちが日向くんに向けて手招きしている。
日向くんもすぐ行くって返事する。

さっきの走り書きだけじゃと思って、すばやく日向くんのアルバムにメッセージを書いて閉じた。
日向くんも私のアルバムをケースに戻してくれた。


さん、電話っ、じゃなくてメールするっ」

「うん、じゃあね、日向くん」

「夏目にもよろしく」

「ん、わかった」


日向くんに手を振る。

その向こうに泉くん達がいて、お互いに手を振り合った。


「またね、関向くん、泉くん!」

もまたなー」

さん、翔ちゃんのことよろしく」

「イズミン、な、なんでそう…!! おれが、さんのことよろしくされるんであって」

「そういやそっか、、翔陽のこと頼んだ」

「なんでだよ、コージー!」


「はーい、そこ通してー」


友人たちが日向くんたちと入れ違いに戻ってきた。
他の子たちとも話がはずむ。
会話が行き来するほど、いつもみたいで、これ以上ないくらい、これまでの日常で、なんだかさよならするタイミングが見つからなかった。

しゃべった。笑った。いっぱい。

今日が最後なんだって呟いたとき、みんな一瞬だけ言葉をなくした。

そのタイミングでいきなり誰かがやってきた。

日向くんだった。


「わ、忘れもの!!! ……した」


忘れ物という単語に、私以外は笑った。

日向くんが真っ直ぐ私たちの方にやってきて、誰かが何忘れたのって話しかけた。
日向くんは、大事なものって端的に答えた。

日向くんが、どこ、やったかなってぎこちなく呟きながら、私のすぐそばでしゃがんだ。

私も手伝おうかと思ったとき、さんって呼ばれた。
手を、握られた。


「忘れもの、あった!」


日向くんが立ち上がり、颯爽と出て行った。

なに忘れたんだろうねってみんな話していた。
私だけが正解を握っていた。

小さなボタン。第二ボタン。

それは、日向くんのくれた心の代わりだ。

大事に握って、そっとポケットに忍ばせた。






、さっきからなんか音しない?」


今日は本当に最後だからと、結局、友人と帰ることになった。

音というのは、私の鞄の中からだ。


「携帯のバイブ、メール届いたみたい」

「日向から?」

「違う! ……たぶん」

「見なよ、付き合って初日なんだし」


後でもよかったけど、そこまで言われたら、念のため、携帯を開いた。
いつも通りの帰り道すぎて、卒業式帰りという感じがまるでない。

鞄に手を突っ込んで操作し、メールを開いた。


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受かった

約束、今度な

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絵文字も愛想もない、短い文章だけのメール。

誰からなんてアドレスを見なくてもわかる、『送信者:影山飛雄』。


ぱたん、と二つ折りの携帯を閉じて鞄を持ち直す。


「彼氏、なんだって?」

「ち、が、う!!」

「この期に及んで照れなくてもいいのに」

「そうじゃなくて!!」

「もっとすごいの目撃してるし」

「……! それ、本当に言わないで」


私の反応に、友人は心底楽しそうに笑いながら頷いた。

気恥ずかしさに肩をすくめる。
日向くんとのことを私と日向君以外に知られてしまったんだと実感する。

何度となく受けてきた3月の風で、頬の熱をたしかめた。


私、日向くんと……付き合ってるんだ。


カバンの中でまたバイブ音がした。

たぶん、メールだろう。携帯は一度揺れただけだ。
メールの中身は見なかった。

家に帰ってから見てみると、それも飛雄くんからだった。

ありがとな

その一言だけだった。






「ここでいいよ」


いつもの別れ道で足を止めた。

バス停前で手を挙げる。


「じゃあね、なっちゃん!」

と次会うのは東京か」

「だね、先に行って詳しくなっといてね」


とは言ってみたものの、すでに受験で都内の学校も下見していた友人には、わざわざいう必要もなかったか。

向こうにバスがみえている。


「東京はいつぞやのアイドル並の人がゴロゴロしてんだよね」

「アイドル?」

「ほら、が応援してたじゃん、体育館でさ」

「え、だれ」

「オオカワだったか、オオイワだったか」

「オイカワ?」

「それかな?」


適当な記憶力だなと思いつつ、自分もはっきり覚えたのは後でバレーボールの雑誌で読んでからだ。

及川徹。

いつぞやの黄色い悲鳴に囲まれていた、バレーボール選手。


「そんな人が東京にいるの?」

「及川さん並の人は街中に行けばいる」


それ、どんな人だろう。

申し訳ないけど、髪型となんとなくの雰囲気しか記憶していない。
雑誌のインタビューに載っていた写真も、ユニフォームの色がオシャレだなと思ったくらいだ。

友人が東京のアイドル事情?を説明し始めたところで、バスが止まった。
続きは今度会ったときだ。

またね、と手を振り合って分かれた。

いつものバス、だけど、これからはここで降りなくなる。

こんなにいつも通りなのに不思議だ。

別に気に入っている道でもないのに、最後だから、と、立って景色を眺めることにした。

なんとなく目に焼き付けておきたい。
特別な景色じゃないけど、私が3年間通ってきた道だ。


「!」


感慨深い気持ちに浸っていても、バスの運転がとびきり順調ということはなく、大きく揺れ、手すりをしっかりと握った。


にしても、東京って及川さん並の人がいっぱいいるんだ。
キャーキャー言われてるのかな。みんな、見慣れてて逆に無反応になるのかな。

……東京、謎だ。

また携帯が揺れた。
今度はメールじゃない。電話。何度もカバンの中で携帯が着信を主張する。

すぐわかる、点灯したカラー。


日向くん。


出たかったけど、現在、バスの中。

日向くん、帰ってから用事あるって言ってたのに、予定、変わったのかな。

後で話せたらいいな。明日でも。


……いや。


停車ボタンを押した。

他は誰一人降りる気配はなかったけど、バスは、突然のボタン点灯にもきちんと対応し、バス停を通り過ぎることなく止まってくれた。

スキップしたい気持ちで、けれど転ばないように注意して、バスから下車した。



「もしもし、日向くんっ。


 え? バス。バスに乗ってた。


 あ、降りたっ、から、大丈夫。


 いいの、私も、だし。


 ……声、聞きたかったんだ」



空は、昼と夜の濃淡がきれいだ。

なぜか、いろんな人が浮かんだ。

この空の下にみんないる。

明日はどんな一日になるだろう。




「えっ、今から!? それは、ちょっと、いや、日向くん待って、待って!!」



end. and their days go on...