ハニーチ

お昼休み2




ちゃん、なんて名前で呼んでくるものだから驚いた。
黒尾君は急に黙る。
食堂はこんなに騒がしいはずなのに、このテーブルだけ音をなくしたみたい。
何で今、下の名前で呼んだの?

黒尾君は両腕を頭の後ろに添えて、長い足を投げ出して椅子にもたれた。


「あーあ、ちゃんから思い出してもらいたかったんだけどなあー」

「…私たち、どっかで会ったことあるの?」

「会うどころか、毎週会う約束してたんだけどね」

「ええ!うそ」

「ほんと」

「どこで?」

「スイミングスクール」

「すい、みんぐ、スクール…」


確かに、幼稚園から小学校まで通っていたけれど…

記憶をたどる。あの広い水面、赤い浮き輪、青いビート版、きゃあきゃあと声が反響したプール。
そうだ、隅っこにいたんだ。ちゃぷちゃぷと、足で水を蹴っていた男の子。


「ああー!てっちゃん!てっちゃんだ!
だよね!目が変わってない、うわー、うわー」


思い出してみると、確かに顔は黒尾君だ。

いや、変わってない。人間、意外と変わらないものだ。
でも、こんなに大きくなかったし、髪の毛だってこんなにツンツンしてなかったし、こんな性格じゃなかったし。


「…俺、どんな印象だったんデスカ」

「いやー」


どっちかというと、引っ込み思案?
プールの隅っこで静かにぱしゃぱしゃとバタ足をしていた気がする。

といっても、あんまりよく覚えていない。もう何年も前だもの。

それに、一人でいたのは最初だけで、その内みんなの中心にいたと思う。



「黒尾くん、…私のこと、憶えてたの?」

「モチロン」

「なんか…ごめん」

「謝んなくていーよ。いま、思い出したんなら」

「まあ…、はい」


「んで、今、彼氏はいますか?」


何で急にその話が出てくるんだ。


「いるの?いない?」

「い、いない…」

「フーーン」


なんでにやにやしてるんだろ、この人。
ツッコミを入れるのも面倒で腕時計を見た。


「話、終わってないけど。ちゃん」

「その呼び方はかんべんして…」


黒尾君のファンの方々に目を付けられてしまう。

空のどんぶりが乗ったトレイを手にしようとした。
私が手に触れる前に宙に浮いた。

黒尾君が片手で持ち上げたからだ。


「行こうぜ」

「重くないの?」

「余裕だ、これくらい」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「なんか、優しいね」

「好きな子には優しいんです」

「そうですか」

「あれ、通じなかった?」


食堂の返却口に黒尾君は二つのトレーをのせた。


「友達からどうですか?」

「何が?」

「大きくなったら結婚しようって話」


また黒尾君がとんでもないことを言った。


「ふっ……ざけてるでしょ」

「割と本気」

「やめて」

「約束したのにひどいナー」

「そんな約束した!?ほんとに!?」


まったく記憶にないんだけど。いやむしろ、てっちゃんが黒尾くんってのは思い出したけど、何話したかなんて覚えてない。


「…結婚は嘘」

「ちょっと」

「半分だけ」


え、結婚、半分ホンキなの?


「…あの、頭大丈夫ですか」

ちゃんと再会した時からイカれてっかもな。まさか高校同じになるとは思わなかった。

では、改めて…」


黒尾くんが私の手を握った。


ちゃん、俺と付き合ってください」


end.