スキまでの距離
気づくのは、簡単だった。
視界に飛び込む世界にいるその人は、明らかに色を帯びて見えたから。
だから、反射的に言ってしまった。
「さんって夜久さんのこと好きですよね」
沈黙、
沈黙、
ふぁさっ、とその人の手から落ちたタオルを床に着く直前で拾い上げる。
ちょうどレギュラー陣は宮城遠征に行っていて、他のメンバーも練習を切り上げていた体育館は、俺とさんしか音を立てる人物はいなかった。
1秒、
2秒、
3秒、
これだけ待っても、さんは動かない。
「……えっ」
「あ、動いた」
「いや、えっと、その、…ごめん、意味がよく」
「さんって夜久さんのこと好きで「もおおおーー、ち、ちょっと待ってー!」
こんな風にさんが顔を真っ赤にするところがやっぱり面白い。
もっと、見てみたいって思う。
「俺、応援します」
「えっ、と、だ、だから、なんで」
「さんとくっついたら、夜久さん優しくなりそうだから」
「ない。それはないよ…」
「それに、夜久さんといるときのさん可愛いです」
「…っ、あの、ほんとーーにやめて…」
完全に俯いて両手で顔を覆うさんを見て、やっぱり面白いと確信した。
*
「灰羽くん、ほんとうに、本当に何もしなくていいからね」
「いいんです。俺に任せて下さい」
「な、なにを!?」
「あ、俺、コンビニ寄って行きます」
「私も寄る」
練習終わりでお腹がすいたので、今日もおいなりさんを買う。
さんはおまけつきの紅茶を買った。
一緒にお店の前のベンチに座った。
こうやって帰るのはよくあることで、さんは俺の練習にも遅くまで付き合ってくれる。もちろん他の人についている時もあるけど、高校からバレーを始めた1年生に細かい部分も教えるように監督から言われているらしかった。
だから、とも思うが、夜久さんとレシーブ練習で人より遅くなる時、夜久さん、さん、俺の3人で帰ることももう何度かあった。
「さん、お茶で大丈夫なんですか」
「何が?」
「家に帰るまでお腹すかないですか」
「私は練習してないよ」
「でも、いっぱい走ってたじゃないですか。ボール拾ったり、洗濯したり」
他にも監督がいない分、今日は色々体育館を行ったり来たりしていたのを思い出す。
さんはいつものように落ち着いた様子で首を横に振った。
「大丈夫。それより、灰羽君の方が足りないんじゃない?」
「はい、これは家に帰るまでのエネルギーです」
「…すごいエネルギーだね、それは」
「今に音駒のエースになるんで、さん、見ててくださいね」
「うん、…それは、けっこう楽しみ。あ」
さんのスマホがバイブで揺れた。
画面にはLINEのメッセージのようだった。
「あ、試合盛り上がったみたいだね」
さんのスマホの画面を覗き込む。
「研磨さん、『疲れた』しか書いてないっすけど」
「あー、うん。でも、連絡来るだけ楽しかったみたいだよ」
「?そういうモンなんですか」
「そういうもん、ですね」
さんは、研磨さんとも仲がいいみたいで、こうやって連絡を取っているのを見かけたことがある。
もう一回、さんのスマホが揺れた。
「あれ、黒尾さんからだ。なんだ、ろ…!?」
「今の」
「な、な、なんだろうね。もう、なんだろ、今日」
「よかったですね」
「な、…何が」
「待ち受けにしたらいーっすよ」
「何を言ってんですか…!」
新幹線の席で眠っている夜久さんの写メ、なんだ、さんの好きな人ってけっこう知られているんだ。
現代文で今日出てきた形容詞のしどろもどろ、という表現がぴったりのさんは面白かった。
空のプラスチックごみと、さんのおまけの袋を受け取ってまとめて捨てつつ、これからのことを少し考える。
次の練習には夜久さんもいる。
「よし、頑張るぞー!」
「はは…、灰羽君、声はもうちょっと落とそっか」
「さん、俺、さんの連絡先知らない」
「…うん、教えるから静かにしよっか。ちょっと目立ちすぎてるから。ね」
さんは、さんという名前のままで連絡先を登録した。
「俺のこと、リエーフでいいですよ」
「灰羽くんって…やだ?」
「やじゃないですけど、俺はさんって名前で呼んでるから」
「いいよ。みんなそう呼んでるし」
「さん」
ちょうどスピードを出した自転車がさんギリギリまで向かってきていたから、その腕を引いた。
「今の、スピード出し過ぎ」
「そ、だね。ありがと」
「さん、抜けてるところがあるからこっち!」
車道側に移動して歩くと、さんの影が伸びて俺のと重なった。
*
宮城への遠征メンバーが帰ってきて、1週間が経った。
「リエーフ、ちょっとこっち来い」
「なんですか」
ふと練習中に主将である黒尾さんに呼ばれて、ついていく。
少し声を落として、親指で背後にいるさんが示された。
「最近、あからさまに何かやってるみたいだけど」
「えっ」
「あの二人のこと」
「あ、はい」
「もうやめとけ」
「!なんでですか」
「夜久の方、どーも、最近、できたらしい」
「何がですか」
「カノジョ」
彼女。
言葉がすっと頭に入ってこなかった。
つまり、
「夜久さん、彼女いたんですか!」
「できたみたいだって言っただろ。こないだ仲良さそうに歩いてるの見かけた」
「それはただのクラスメイトってこともありますよ」
「何度も見てるし、ずっと見てきたけど、あの様子だとな」
「でも」
「が自分で近づくならまだしも、外野が手出しするのはなしだろ。わかったな」
「……ハイ」
「わかってねーだろ」
コーチの集合の掛け声で、一か所に集まる。
斜め前に夜久さんがいて、反対側の隅っこにさんがいる。
これまで通りに見える世界なのに、急に頭がこんがらがってきた。
ああ、でも、そうか。
俺は、さんを見ていたかっただけだ。くるくる変わる表情が面白くて、それが夜久さんの前だととびきり可愛く見えたんだ。
だったら、俺の前で可愛くなってもらったらいい。
さんを見てたら、目が合った。もっと見ていたら俯いて、しばらくして耳まで赤くなっていた。
うん、やっぱり面白い。
「リエーフ!」
「あ、はい」
「はい、じゃなくて今、聞いてたか?」
「いや、聞いてません」
「おいっ」
コーチに話を振られてさすがにさんから視線を外すと、今度は一瞬だけ夜久さんと目が合った。
そうだ、今度、さんに聞いてみよう。
*
「え…、と」
さんは夜久さんのことを話題に出すと、途端に動きが止まる。
まるで超能力者になった気分だ。
さんの前で手を振ってみると、魔法が解けたみたいにさんは動き出した。
「さ…、てと、自主練そろそろ始まると思うけど」
「待ってください!まだ答えてもらってない」
「いや、だから…」
「さんはどうして夜久さんが好きなんですか?」
ほら、びりっと電撃が走る。
夜久さんっていうだけで、さんは痺れたみたいに瞳が揺れる。
俯いて落ちてきた髪を耳にかけて、そして、目が合う。
その表情がいい。
「もー…、そんなの知ってどうするの?」
「参考にするだけです」
「何の!?」
「ほら、さん。早くはやく」
「もー……、誰にも言わないでね」
「はい、言いません」
「…入学式の日、私が1年の時ね、少し、助けてもらった」
「何を?」
「…同じ中学の男子から」
さんはごまかすように笑った。
「ちょっとからかわれて。その時、夜久さんがたまたま声かけてくれて」
「それで、好きになったんですか」
「!好き好き言わないで。ほんと、誰かに聞かれたら…私、終わる」
「そうなんですよね?」
入学式の日、さんは夜久さんに助けてもらって、夜久さんを好きになった。
「それ、俺がいたら俺が追い払ったのに」
「!」
「そしたら、さん、俺を好きになってました?」
「え、…と?」
「あれ?」
何の話をしてたんだっけ。
おかしいな。
さんが夜久さんを好きになった理由を聞きたかっただけなのに。でも、そっか、たださんを助けるだけなら俺でもよかったんじゃないかって浮かんで。
だから、つい、口に出てたんだ。
「リエーーフ!ほら、レシーブやんぞ」
夜久さんがバレーボールを持って呼びに来てくれたから、さんはまた魔法にかかったみたいに一瞬止まってから動き出した。それも急速に動きが早くなって、体育館に飛び込んで消えた。
さんは、夜久さんが好き。
「夜久さん」
「よし、あっちのコート使うか」
「夜久さん。一個いいですか」
「なんだよ、改まって」
「夜久さんはさんのことどう思ってますか」
「はあ?はうちのマネージャーだろ」
「そうじゃなくって」
「つべこべ言ってないで早く練習やんぞ」
夜久さんに言われるがまま、練習を再開した。
練習をしている内は頭がクリアーになって、ごちゃごちゃしていた思考が吹っ飛んでいく。
話はシンプルだった。
「さん、一緒に帰りましょう!」
「まだ片付けあるから…「これですか。手伝います!」
練習終わりにさんを見つけ出して、声をかける。
今までは夜久さんにも声をかけていたけど、もう今日からはしない。
ただ、二人でいたかった。
「リエーフ、困らせんな」
「ゲッ」
「や、夜久さん…!」
「、鍵、俺片付けるから貸しな」
「す、すみません」
「送るから待ってろ」
「あ、りがと、…ございます」
「や、夜久さんなんで。いつも先に帰ってるじゃないですか」
「こんな遅い時間に一人で帰らせられないだろ」
「俺がついてます!」
「余計に心配」
「!なんでですか」
結局、今日も3人で帰った。
いつも通り、さんは夜久さんといるときは生き生きしていた。緊張してるけど、それだけじゃなくて、ふと見せる笑顔がいつもと違うんだ。
それを見てたかっただけなのに、なんでこうなったんだろう。
じっと見てるのに、今日のさんは俺の視線に気づかない。
さんの視線の先は、俺の隣の夜久さんだ。
「もうすぐ合宿だな」
「楽しみですね」
「ああ、今回は烏野も参加するって話だし」
「そうか、合宿!」
「「!?」」
「さん、俺、合宿でたくさん点取ります」
「あ、…うん」
「それで、エースの俺に惚れ直してください」
「…えっ!?」
「俺、こっちなんで!あ、夜久さん後はよろしくお願いします」
「おっ、おい!」
駆けだした先は自分の家ではあったけど、心は既に未来に進んでいた。
*
合宿に向かいながら、気持ちは意気揚揚と膨らんでいく。
俺の存在をもっともっとさんに認めてもらえばいい。
そうすれば、さんは俺を見てくれる。
俺がさんを見ていたはずなのに、いつの間にか想いは逆転したみたいだけど、それでもいい。
欲しかったのはシンプルで、最初から、ただ、さんのキラキラと変化するところを見たいだけだった。
あ、そっか。
先を歩くさんを見つけて隣に並んだ。
「おはざーす、さん」
「お、おはよ」
「今日と明日、ずっと一緒ですね」
「えっ」
「泊まりって嬉しいです!」
「おい、リエーフ。、困らせんな」
「ち、ちょっと虎…」
「さん、困ってないです。ねっ?」
「、どうなんだ。困ってたよ、なあ?」
「う、うーーん…」
「二人してうちのマネージャー困らせんな。、こっち来い」
「ひどいっす!俺はをリエーフから救ってただけです!」
ちょうど部活のメンバーがそろって、合宿所に向かう。
さん達が泊まる部屋はまた別で、昇降口で分かれた。
「リエーフ、ちょっと」
また、黒尾さんに呼ばれた。
「はい」
「お前、のこと好きなの?」
「はい!」
「…よどみねぇなぁ」
「好きとわかったんで、もう夜久さんとのことは手伝いません」
「まあいいけど…、バレーに集中しろよ」
「わかってますよ。さんの視線は俺のプレイで引き付けます」
「まあ、適当にがんばれ」
「はい!」
だって、決めたから。
さんのその視線、奪ってみせる。
*
「さん!!いた!」
合宿1日目の昼休み、体育館でずっと探していたさんがいたのは、食堂の厨房だった。
他の学校のマネージャーさんもいる。
「さん、俺の活躍見てくれましたか?」
「ごめん、ところどころしか見てない」
「じゃあ、午後もっと活躍するんでまた見て下さい」
「わ、わかったから…、他の人たちの邪魔になるから早くご飯取って進んでね」
「さんに会いたかったんです。またあとで、時間下さい」
「う、うん」
「約束ですよ!」
「うん。ほら、大盛り」
「あざーっす!」
空いている席に着いてすぐに口に頬張る。
そうか、合宿中はマネージャーがこうやって色々用意してくれるんだ。
「リエーフ、お前、今日もレシーブ…「はい、頑張ります!」
レシーブも点獲りも全部やる。それでこそ、音駒のエースで、さんを惚れ直させられるってものだ。
さんが入れてくれたご飯がおいしくて、おかわりしにいくと、さんの姿はなかった。
*
「疲れてる…?」
「!さんっ、どうしたんですか」
練習も夕飯もお風呂もすべて終わった夜、もうすぐ消灯時間だけど、廊下でぼんやり外を眺めていると、さんが来ていた。
「灰羽君が時間欲しいってお昼に言ったんでしょ?」
そういえばそうだった。
なかなか面白いチームばかりで、練習のことがいつまでも頭から離れなかった。
でも、今はさんが目の前にいる。
「疲れてるなら別にいいよ」
「疲れてないです」
「それは、嘘だよね」
いつものさんと声が違って、焦った。
「!…、…えーっと」
「これだけ練習と試合して疲れてない訳ないでしょ」
「まあ、はい。ちょっとだけ。でもエースはそんなに疲れないんです」
あ、笑った。
さんの笑顔、今日見るの久しぶりかも。
なんだか嬉しくて、ほっとした。
「さんこそ疲れたんじゃないですか」
「私?そんなでもないよ。他の学校のマネージャーさんもいるし」
「さん楽しそうでしたね」
「どっかで見たの?」
「さっき声が階段下まで聞こえてました」
「え!それはまずいね」
「いいじゃないですか、こっちの方来ないと声、聞こえないです」
「なんでこっちの方来たの?」
「あ、なんでですかね」
無意識に足が向いていた。
気が付いたら、声のする方に来ていた。
「さんに会えるかもって思ってたかもしれない、なんて」
「もう…」
「え、さん!?」
さんが急にしゃがみこむ。
電気もついていない廊下は真っ暗で、外の街灯が窓からさんを照らすだけだった。
俺を見上げるさんの目、…揺れた?
さんは意を決したように立ち上がった。
瞳の奥に思いが宿る。
「灰羽君、私、私ね、やっぱり…」
あ、
「言わないでください!」
「えっ?」
「さんが今から言うこと、聞きたくない」
「な」
「おやすみなさい!」
ダッシュ、しかけて一歩だけ戻る。
「さん!風呂上がり、いい感じです」
それだけ言って、男子の部屋に戻った。
明日は明日のことを考える。
でも、少しだけ気持ちがもやっとした。
*
「お、おはよ」
「おはざーっす」
朝ごはんを食べたら、昨日の続きが始まる。
さんと会えたのに、昨日の夜が浮かぶと少しだけまたイラッとするのは、昨日さんはやっぱり夜久さんが好きだと言うつもりだったからだ。
あの時、わかった。
さんの目は、俺を見てなかった。
「おはよう」
「や、夜久さん!お、おはようございます」
ほら、背中で聞こえてきたさんの声。
これは昨夜の答えに花丸正解をつけてもらったようなものだ。
振り返ると、さっきと違う彼女がいる。
色づいている。
その光景はハッと息を飲むほど鮮明でいとおしかったはずなのに、今は胸の内が燃え滾る。
バレーがしたい。
振り向かせたい。
俺を、見てほしい。
「ごちそうさまですっ」
「リエーフ、早いな」
「ちょっとさんに言わないといけないんで」
食器を片づけて、中にいるさんに手を振る。
「ど、どうしたの?」
「試合、…絶対見て下さい」
信じている。
さんの瞳に、俺のプレイが映って、離れないこと。
さんは二言、三言しゃべってから頷いてくれた。
これでいい。
さんに見てもらえれば、後は勝手に答えが出る。
*
*
烏野の10番、止められた!
歓喜に沸く。ほとばしる感情、これは何と呼ぶんだろう。
視界に入るのがコートだけ、ここに全部置いておければいいのに。
あっという間に時間が過ぎて、合宿は終わった。
烏野は距離がある分、先に帰路についている。
遅れてこちらも片付け開始だ。
荷物をまとめている時に、ちょうど夜久さんと二人になったタイミングがあった。
なんでか、今、言葉が出てきた。
「夜久さんって、さんのこと好きですか」
「…なんだよ、急に」
「前に質問した時、答えてもらえてなかったから」
きっと今回も答えてもらえないだろうなと思っていた。
のに、
「だったら、…なんだよ」
「え?」
「もし、俺がのこと好きだったらどうすんだよ」
バレーで味わった爽快感、開放感、勝利を掴んだ感覚。
今日の午後も思い切り味わったはずなのに、今、手にしているものは“そう”じゃなかった。
荷物なんてどうでもよかった。
「!夜久さん、さんのこと好きなんですか」
「だから、もしそうなら…」
「俺、困ります!」
「は?」
「そしたら、勝ち目ない!」
「お、おい!」
これ以上、遅れを取っていられない。
ただ、さんを見ていたかったのは事実だ。
でも、もう気づいてしまった。
さんに俺を見てもらいたい。
俺を見て、キラキラしてほしい。
さんを初めに見つけたのが夜久さんなら、こっから先は全部俺が先取りしないと追いつけなくなる。
俺は、さんが好きだ!
「さん!」
ちょうど梟谷と生川のマネージャーとさんは話していた。
「え、灰羽くん」
「ちょっと来てください!」
「え、え?」
「さん借ります!」
「どうぞー」
「ど、どうぞって。わ!」
さんの腕を引っ張って、誰もいない場所を探して、そっと二人になった。
息を切らしたさんが髪を耳にかけた。
息を大きく吸い込んだ。
「俺と付き合って下さい!」
さんは目を見開いて、口をぽかんと開けた。
言葉が言葉になっていない。
想いは飛び出していた。
「さんが、好きです」
その言葉がようやく届いたのか、さんは片手を口元に宛てて黙り込んだ。
「灰羽君、あの…」
「わかってます。夜久さんですよね?」
でも、夜久さんには彼女がいるって聞いたし、俺はさんが好きだ。
「1か月、いや、2週間でいいです。試しでいいんで付き合って下さい。俺、さんを振り向かせます。お願いします!」
頭を下げて、片手を差し出した。
さんからの返事を待つ。
待つ。
…待つ。
……待つ。
「ふ、ふ」
「ふ?」
「ふっふふ、ははっ」
顔を上げると、さんは笑っていた。
なんでかおかしいらしく、笑いを噛み締めてこちらを見ていた。
「ちょ、ちょっと待って」
「はい」
「ははっ、もう、なんか。ダメ。笑っちゃう」
「いいです。いっぱい笑って下さい」
この笑顔、好きだ。
楽しくしてくれてるのがいい。キラキラしてる。夜久さんといるときのさんと違うけど、こっちもいい。笑ってくれたらそれでいい。
気づいたらオレも一緒に笑ってた。
ひとしきり笑ったあと、さんが頭を下げた。
「ありがとね」
「それは…、どういう意味ですか」
「えっと、付き合うのは」
「俺、諦めないです!さんが振り向いてくれるまで、絶対!」
「…灰羽君のこと好きって言ってくれる子、いっぱいいるでしょ?」
「はい」
「……」
「でも、俺はさんがいいんです」
「えー…と、まったくもって美人でも可愛くもないけど」
「俺には美人だし可愛く見えます」
「…灰羽君、疲れてる?」
さんは確認するように俺を見上げた。
だから、少し身体を倒して、額をくっつけた。
「さん見てたら、疲れふっとびました」
飛び退いてさんはこっちを見た。
それが面白くて、つい笑っていた。
「さんって面白いです」
「え、どこが!?」
「色々。さん、付き合いましょう。さん好きなオレ、彼女がいる夜久さん、絶対俺を選んだ方がいい」
「!夜久さん、彼女いるんだ…」
あ、まずい。
「あ、いや、その」
「そっか…、やっぱり」
「え、やっぱり?」
「こないだ、見かけたんだ。うちの学校の人と仲良く歩いているとこ。…そっか」
「さん…」
「それでも、私」
「!俺、身長あります。音駒のエースです。見た目もカッコいいです」
「自分で言えるところがすごい…」
「ダメですか、俺じゃあ…」
こんなに想っていてもダメなのか。
届かないのか。
もし俺がさんと同学年だったら、俺が夜久さんの代わりに同じ中学の奴らなんか追い払うのに。
追い払って、さんが俺を見てくれたら、俺だってずっとさんを見るのに。
「、好きだ」
なんで俺が先にさんと出会わなかったんだろう。
気づいたら、さんの腕を掴んでいて、少ししてから気づいて、さんの腕を放した。
「すみません、ため口」
「…2週間、だよね」
「え?」
さんは頬を染めた様子で俺を見ていた。
「私のどこがいいのかさっぱりわからないけど、そこまで言ってくれるなら…」
「付き合ってくれるんですか!」
「うん」
「やったーー!」
「!?」
思わず抱き着くと、さんはやっぱり硬直して動かなかった。
「そんなところも、可愛いです」
「ちょ、も、灰羽くん、そういうのは…!」
「さんが可愛いからです」
「だから、そういうのは…!」
「これから、よろしくお願いしやす!」
「あ、うん。…こちらこそ」
さんは小首をかしげて小さく笑った。
「なに、この展開」
「楽しいですよね?」
「まあ、そうだね」
「俺といたらずっと楽しいですよ」
そう告げると、さんは控えめに頷いて、「確かに」と髪を撫でた。
end.