ハニーチ





“これまで、どんな女の子が印象的でしたか?”


烏野高校10番、小さな巨人。

宇内天満(うだい・てんま)が思い浮かべたのが、彼女だった。










Average Stars













「未来なんか来なきゃいいのに」



高2の冬。

年明けすぐに春高が待っている時期に、その声は宇内の耳まで届いた。

声の主は、この教室の入り口でうなだれていた。

こちらの視線に気づいたらしい。
彼女は、うああって、やや大げさに声をあげて後ずさった。

もたれていたロッカーから離れて教室を出た。
電気も付けてなかったから、廊下の明かりすらまぶしく映る。

冬の廊下は寒く、窓の外は夜みたいだった。

実際は掃除の時間が終わったくらいで、これから部活動がはじまる時間帯だ。



、大丈夫?」

「だ、だいじょぶ、……だけど」


はぁ、と一息ついてから顔を上げて彼女はこっちを見た。


「なんでここに、電気もつけないで」

「ちょっとぼんやりしてて」

「バレー部の人たち、探してたよ」

「そっか」

「早く教室に、いやっ、体育館、かな」


あれ、どっちだったっけとが腕を組んで考え込んでいる。


「って、私が悩んでもしょうがなくて!」

、未来、いらないの?」


宇内が尋ねると、彼女は気まずそうに表情を変えて、ため息をついた。

二人は同じクラスだった。

とくべつ親しい間柄ではないが、同じ教室にいれば接点もなくはないので、会話くらいする。
けれど、その程度の関係性だった。

彼女がこぼした一言が何を意味するか。
それを理解できるほど、宇内天満はと親しくはなかった。

彼女から返事はない。

宇内は、なんてことない話のように続けた。


「未来 こないと、俺は困る」

「……エースだもんね」


続けて、全校応援は行くよと、は両手を握りしめ、がんばれってポーズをとった。


「ルールよくわかんないけど、全国すごい!」


彼女の言葉に、宇内は思わず噴き出した。

その様子に彼女は目を丸くした。
なんで笑うのか、わからなかったらしい。

ここは、バレーの強豪、烏野高校である。
クラスでもあれだけバレー部がいて、春高が決まり、今まさにこれだけ盛り上がっている。


その中心にいるであろう自分に、こうもはっきり『ルールがわからない』と言い切る彼女の素直さがおもしろかった。
悪い意味じゃなかったけれど、彼女がこちらの意図を知るはずもない。

は気まずそうに指先をいじった。


「バレー、む、難しいの、ボールを落としちゃいけないことはわかるけどさ」

「県の決勝、来なかったっけ」

「そっ、その日は用事があって……」


全国行きをかけた決勝の試合。
バレー部員だけじゃなく、学校全体の応援もあった。
宇内は、その応援の中に彼女もいた気でいた。

だが、彼女がもごもごと言葉を濁すあたり、もしかすると他の理由で来なかったのかもなとも感じた。

宇内は、まだ申し訳なさそうに言葉を紡ぐ彼女の顔を覗き込んで告げた。




「俺だけみてたらいいよ」




は、なぜかビシッと背筋を伸ばした。

見つめたまま、宇内は微笑みかけた。




「ルールわかんなくても、俺見てたら、バレーおもしろいってわかると思う」



気負いも衒いもない。

ある種の自負をもって告げる。

は、別段乱れていない髪を何度も撫でつけながら視線をそらし、小さく零した。


「さ、さすがエース……」

「ん?」

「褒めたわけじゃなくて! すごい自信だなってことで!」

「でもさ、ちょっと未来楽しみにならない?」


宇内の問いかけに彼女は一瞬動きを止めた。


「少しねっ」


廊下の明かりに照らされた彼女は、うなだれていた時よりずっと明るく見え、そのことも、宇内の心を軽くした。


「じゃ、みんな探してるなら教室行くか。

 は?」

「あ……行く、けど、エースは体育館行ったほうがいいんじゃない?」

「あーー……」

「ほら、監督こわいって言ってたし、時間、あれじゃない?」

「ん?」

「ここの時計遅れてるの、10分」

「まじ?」


走ればすぐだって思っていたけれど、10分は大きい。
一言彼女に断るや、宇内は走った。

荷物だけ取りに行き、体育館直行。

バレー中心の生活。


“烏野の10番”、エース。


この名を背負ってから、人に囲まれるのは当たり前。

体育館にいればボールとコート、それが全部。

同じクラスだとしても、女子と話すことなんか、向こうから積極的に来てくれれば、まあ、しゃべる程度で。

いくら宇内がを気にかけても、こんな風に“偶然”がない限り、二人の関係は発展しようもなかった。













高3の、冬。


未来、こなきゃいいのに。


思わずこぼすほどの現実に、しゃがみ込んでいた。










「なんで?」


は目を丸くして立っていた。

こんなに寒いのにスカートが短い。
廊下に尻もちをついた宇内天満が見上げると、意図せずとも見えてしまいそうで、視線をずらして立ち上がった。

大丈夫かと聞かれて、大丈夫だと答える。

もともとしゃがみこんでいたから、別に大きな衝撃があったわけじゃない。

宇内が制服のズボンを軽く払い、ポケットに手を入れた。

ふと気づく。


「それ……」

「そう!!」


じゃんっ、とわざわざ効果音をつけて、彼女は茶色い封筒を見せてくれた。

階段から降りてきたところを考えると、職員室に寄ってきたんだろう。


「おめでとう」

「ありがとっ」


ピースサイン、満面の笑み。

高校3年生にとって一足早い合格の知らせは、彼女をいっそう春めかせた。

合格書類をわざわざ持ってきたところを見ると、どの入試か忘れたけど、希望の学部に合格したんだろう。
宇内は説明を聞かずとも想像できたが、は宇内に問われる前にいっさいを説明した。

声の弾む彼女。
その手にある封筒には大学名も書いてあった。


「……東京?」

「そうっ、あっちの大学にした!」

「そっか」


なんとなくはこっちに残るイメージがあったけど、違ったらしい。
なんでも、この大学で学ぶことに意味があるそうだ。
彼女は、相手が自分じゃなくても同じだろうが、至極丁寧にそのことも教えてくれた。


「よかったじゃん、

「よかった!! けど、今日、どうしたの?」


彼女に顔を覗かれると、なんでか気まずい。


「なにが?」


逃げるように宇内が身体の向きを変えても、彼女は離れなかった。


「エース、……元気なくない?」

「そんなことは」

「勉強ばっかでバレーやれてないから?」

「ちがうよ」


それは違う。

を視界から完全に外したのに、見える景色はしょせん学校の中だ。
宇内はこの閉塞感から逃げられる気はしなかった。

はさすがにわざわざ宇内の前に回っては来なかった。


「大学でバレーやれるよ、だから「やんない」


自分で言っといて。


「俺、バレーは高校までなんだ」


自分で傷つくのはなんでだろう。


「だから、エースもおしまい」


なんとか言い切れた。

そう思ったのに、すぐそばにいたは、時を止めていた。

せめての前だけは『これまで通り』でいたかったのに、ひびが入る予感がした。


「お、俺そろそろ」

「なんで」


がまさか自分の腕をつかむとは思わなかった。

この場を去ろうとしたのがバレたのか。
どちらにせよ、から逃げられそうにない。


「エースは、ずっとエースだよ」

「春になったら、もう烏野の10番じゃなくなるよ」


正確に言えば、高校最後の試合が終わった時点で、その背番号も、自分の手から離れている。

“エース”は、エースじゃない。

勘違いしていた。

もう少し、夢を見ていられるんじゃないかって。

実際は、どこからも推薦の声はかからなかったし、どこかのチームのスカウトも来なかった。

小さな巨人は、コートを出れば、“ただの人”になる。

技術を磨いたけれど、その技術が使えるのも永遠じゃない。

だからこそ、青春と呼ばれるのだ。

制限付きの輝き、

遠ざかる自分、

あのコート、輝かしい舞台。






「エースがただの人なわけない!!」


が声を張り上げる。

冬の廊下はよく声が響いて、向こうで騒ぐ生徒たちにも聞かれそうだが、は気にする様子はなかった。
正確に言えば余裕ゼロ、真剣だった。


「エースがただの人なら、私は何?

 ただの人どころか、どころか……!」


は言葉を探しに探し、結局、ただの人だよ!と結論付けた。
たぶん適切な表現が浮かばなかったんだろう。

その様子につい噴き出してしまうと、ににらまれてしまったから黙った。


「……エースは、これからもエースなの、とくべつ、だよ」

「ん、サンキュ」

「……」


お礼を告げても、は納得するそぶりはなかった。

は学ランの袖を強く握りしめて言った。


「バレー、……すごかったよ」


は、自分のことを見ていたと続けた。
去年の春高から、自分だけを、試合中、俺だけ。

ボールを落としちゃいけないルールだけはわかっていたけれど、落とさないボールがどうなるか、自分に集中する様をずっと見ていたそうだ。

は熱のこもった様子で説明してくれた。

いかにかっこよかったか。
いかにすごかったか。
いかに会場がわいたか。

他にもたくさん、ありったけの言葉を伝えてくれた。
ぜんぶ過去のことだけど。


「過去だけどッ、でも、だから、今があって!」


は歯がゆそうに眉を寄せ、ぎゅうっと袖を握っていた。


「たしかに、エースは、春になったら烏野卒業するんだからエースじゃないけど……

 でも、だからって、みんなの“エース”には変わらないし、私にすごい世界を教えてくれたのは、エースだから、だから……、

 ただの人なんかじゃ、ないよ」


は言葉を切って動かなくなった。

泣いてるかと心配したのも束の間だ。
わかった!?って早口に問われ、その勢いに飲まれた宇内は、おずおずと首を縦に振った。

満足したのか、は宇内の袖を離した。

もう少しそのままでいいのに。
宇内は、袖に残る感覚を惜しんだ。

自分に触れていた彼女の指先は、茶封筒を大事そうに撫でた。


「東京行こうって思ったの、エースのおかげだよ」


が目を伏せ、両腕で封筒を抱く。

中身の書類は大丈夫だろうか。

その様子を宇内は眺めた。


「去年、お、……覚えてないだろうけど、俺のこと見ててって言ってくれて、だから、その、全校応援のときも、ずっと見てた。

 こんなすごい人が、東京の、こんなすごい舞台で、すごいことしてるって思ったら、さ。

 私も、なんかしたいって思ったのッ」


は、あの全校応援の後、もう一度、自分の将来を真剣に考えてみたらしい。

考え抜いた結果が、この腕に抱く書類の大学で、なにがなんでも行こうと決めて、いま、実際に合格を手にした。

夢をかなえた。


「……すごいね、


こそ、すごい。


「私がすごいなら、エースはもっとすごい」


は迷いなく言い切った。


「……“ただの人”っていうけどさ、……そんなの、みんな同じじゃん。
 テレビに出てるスポーツ選手も、有名人も。

 でも、ちがうじゃん。ちゃんと、すごいじゃん。

 あんなすごい試合した人が、……そっから未来に進むんだから」


どうしたって、すごいんだ。


は、ぎゅうっと茶封筒を抱きしめてうつむいた。

表情が見えない。


……?」


やっぱり泣いてる?

宇内が気になって少しだけ近づくと、はすぐ顔を上げた。

宇内の肩が驚きから上下した。


「大学生になったらさ、会わない?」


何を提案されたかと思った。

会う。俺と、。なんで。



「バレー以外のこと教えてあげるっ」



は、宇内天満にきっぱりと告げた。

自分がバレーを知らなかったように、バレー以外を知らない宇内に、他にもあることを教えたい。
自分がバレーの凄さを教えてもらったように、少しでも宇内に恩返しをしたい。

彼女がいきいきと語るさまに、宇内は目が離せなかった。

は、ハッとした様子でいきなり固まった。


「それ、私じゃなくてもいいね!」

「へ」

「だっ誰でもいいから、その、バレーが高校までならさ!」


次っ。


「また新しいことに会えるってことで、未来楽しいよってっ、そ、それだけ!!」


じゃあっ。


手が伸びたのは、宇内の中では必然だった。


彼の手は、のブレザーをなんとか捉えた。



が、……教えてくんない?」



宇内は空いている方の手を頭の後ろに当て、そわそわと視線を泳がせた。


「俺の受験終わったら、そんとき。

 だめ?」


彼女は宇内がブレザーから手を離したことを感じ、ゆっくりと宇内と向き合った。

どきり。

なぜだろう、宇内の心臓が跳ねる。

と目が合った、それだけで、ばかみたいだ。

一瞬、告白されるんじゃないかと期待した。


それはやっぱり勘違いだった。

は、小指を差し出した。


「ぇ、と?」

「指切りっ、……知らない?」

「わかるよ」


それは、さすがにわかる。

約束のしるし、指切りげんまん。

知ってるけど、わざわざするんだって、それだけで。


宇内の胸には、未来の約束ができたうれしさだけじゃない。

彼女からの告白を期待した気恥ずかしさがいつまでも消えなかった。

















「ってことがあったくらいで」


ファミレス、とっくに大学も卒業した冬。

宇内天満は、彼女からの告白を期待した部分はすっぱり端折って、高校時代の思い出を説明した。

向かいの席に座っていた相手は、表情ひとつ変えずに尋ねた。
その人との約束はどうなったのかと。

宇内は視線を一度ドリンクバーの飲み物に移して話した。


「とくに、なにも」


“バレー以外のことを教えてくれる”

残念ながら、彼女との約束は実現しなかった。

のほうは受験が先に終わったとはいえ地元を離れるし、自分も滑り込みで追加した志望校のおかげで高校最後ギリギリまで忙しくなった。

それに、やっぱり自分の周りには人が多すぎた。接点を作るにも、余裕も、時間も、……本気も少し欠けていたんだろうと今さら振り返る。

当時と異なり、いっそう伸びっぱなしの髪が視界に入り込む。
宇内は、それを指先で払い、また話を続けた。

二人は、週刊誌で連載中の漫画について話し合っていた。


「そういう赤葦さんはどうだったんですか? たしか、女子マネージャーがいたんですよね」


赤葦と呼ばれた眼鏡の人物は、話題が自分に移ったところで、別段表情を変えずに、目の前のコーヒーを口につけた。


「いましたけど、特に何も」

「好きな人は?」

「バレーに夢中だったので」

「ですよね……」


自分と同じだと、宇内ががっくりと肩を落とした。

宇内が描いているのはバレー漫画。
その担当編集が、赤葦である。

二人の今日の話題は、新展開とともに登場させるサポートキャラクター。

連載会議でも指摘を受けていたことだし、読者に響く女の子キャラも登場させたかった。

宇内は、もう一度長くため息をついた。


「バレーのことならわかるんですけど、人気になるキャラってわかんなくて」

「それがわかったら、すべての漫画が大ヒットですよ」

「ですよね……」


週刊誌で連載を続けられる人気を維持する大変さに、宇内の表情は晴れない。

せっかくここまで単行本が出せたなら、猶の事。

このキャラ達の未来を描き続けたい。
もっと、もっと先の“面白さ”を届けたい。


「いっそ、女子はやめるとのはどうでしょう」

「なぜです」

「言いたかないですけど……、自分にないものを描ける気がしなくて」


読者が魅力を感じるキャラクターのヒントを求めるべく、高校時代に心惹かれた人物はいないかと記憶をたどった結果、さっきののエピソードが浮かんだだけで、そこから発展性がなければ、ストーリーに生かしようがない。

まして、恋愛経験だって、このマンガに使えそうなほど、ろくな経験はしてなかった。

結局、バレーに帰ってきて、いま、この連載をやっている。


「でも、宇内さんが今で覚えているって、それだけでヒントになると思います」


赤葦の言葉に、宇内は顔を上げた。


「そういう何気ないところにヒントが隠れているんです。『なにもない』と宇内さんは言いますが、ないのに“覚えてる”っていうのは強い。

 それが、読者の共感を生むきっかけになります。もう少し考えてみませんか?」


熱を持たないようで、真剣に先を見据えた編集の言葉に、宇内も目の色を変えて頷いた。


「そうですね」


荷物から紙とペンを引っ張り出し、テーブルの上に広げ、自分の説明した出来事や内容を書き出した。

書いてみることで、どこに自分が心ひかれたかを客観視でき、また、赤葦のように自分以外の誰かに新しい視点をもらうことが出来る。

スラスラと書き出す様子を眺めていた相手のほうから、ふとバイブ音が聞こえた。

編集者が忙しいことは宇内も知っていた。
今日はがっつり付き合ってくれると言っていたが、難しいかもしれない。

手は止めずにいると、赤葦が宇内に言った。


「すみません、ちょっと人が来ます」

「?はあ」


会話的にこの場所を伝えているなと宇内も思っていたけれど、珍しい。

こういう会議の場に赤葦が誰かを呼ぶことはこれまでなかった。いや、あるにしても事前に目的がはっきりしている。

それだけじゃない。


「……その人、彼女とか?」

「誰の?」

「赤葦さんの」


今の会話の流れで、他に誰の彼女が登場すると思うんだ。
赤葦さん、けっこう変わってるんだよな。

宇内は向かいの席の相手を見つめた。

相手の方はなんてことない風に、けれど、ちょっとだけ柔らかな雰囲気で答えた。


「女性ですが、ただの、隣人です」

「あぁ……、引っ越したって言ってましたね」


仕事が多忙を極めて、もともとさして通勤時間もかからなかったのに、1分でも1秒でも縮めたいとのことで引っ越したと宇内も電話で聞いていた。


「その人が何でここに」

「忘れ物を届けにきてくださるそうで」

「わすれもの」


赤葦さんが、めずらしい。

この人はどんな時でもそう言う大事なことを欠かすことがないタイプだ。
忘れ物をした事実にも驚くし、その忘れ物を自分で取りに行くんじゃなく、相手が持ってきてくれるのを受け入れたことも意外だった。

なんというか、きっちり自分で取りに行くイメージがあったし、実際、こういう時は『いえ、自分が行きます』と強引に押し進めた過去がある。

そう話すと、赤葦のほうも意外そうに目を丸くし、けれど、やっぱりどこか優しいトーンで答えた。


「その人には、なんだか、甘えてしまうんですよね」


めずらしい。本当に珍しい。

あの赤葦さんが。

モテそうなのに恋愛方面はさっぱり音沙汰のないこの人に、こんな表情をさせるなんて、どんな人だ。

赤葦さんも言っていたが、こういう人物にこそ、『読者も惹きつけられるキャラクター』のヒントが隠されているんじゃないか。


「あかーしさん」


キタ!!


宇内が、たぶん赤葦のことを呼んだ人物のほうを向いた。

なにかメモでもと準備したペン先が、意味なく紙の上に止まる。


テーマ、心惹かれる女の子とは。




「……?」

「はい?」


宇内に、彼女の視線がうつる。

二人の席にやってきた彼女の手には茶封筒がある。

赤葦は立ち上がってその封筒をまさに受け取っていた。
不思議そうに彼女と宇内を交互に見やる。


「知り合い……ですか?」

「?いいえ」


いや、でも、絶対そうだろう。

宇内も立ち上がって自分の胸に手を当てた。


「宇内天満です、同じクラスだった」

「おなじ、クラス……」


彼女は顎に手を当ててゆっくりと名前も含めてくりかえした。

ダメだ、、ぜったい覚えてない。

だったら。


「“エース”」


その単語を何年ぶりだろう、持ち出してみた。


「烏野10番、小さな巨人」


心の中に荷物置き場があるなら、とっくに埃まみれだろう、その異名を取り出してみる。

目の前の彼女は、ぽかんと口を開けた。



「宇内天満、それなら覚えてる?」



宇内が彼女の顔を覗き込む。

すると、うあぁって、遠い昔に聞いた、間の抜けた声をもらして、彼女は後ずさった。

前と違うのは彼女は上履きじゃなく細目のヒールを履いていて、よろけた彼女を赤葦が支えたことだった。


未来って、おもしろいな。

宇内は笑って二人を見つめた。



end.