ハニーチ

告白前




*



「おー、今年はマネージャー志望がいるぞ」

ビラ配りに行かされて戻ってきた高校2年の4月。

黒尾が幼馴染の仮入部届を早々に職員室に持って行ったかと思えば、部室に戻ってきてすぐに1枚のプリントを広げた。
どうやら仮入部希望者の一覧のようで、幾人かの名前が並んでいた。


「おー、めずらしいな。女子いる」

「続くかねー」

「部員も思ったより多いな」


海が時計を指さす。


「そろそろ行かないと」

「あ」
「だな」


1学年重ねても、まだ2年生。
新入部員がいなければ、自分たちが後輩であることに変わりない。
イコール、新3年生が来る前に体育館の準備を終わらせる必要がある。
この風潮をどう思うかは別として、ルールはルールだ。
黒尾、海と足早に体育館に向かった。


「あれ、なんか音が…」


体育館の鍵が開いていて、奥の体育倉庫から何やら音が聞こえてくる。

がた、がたがた、がた。

3人で顔を見合わせる。


「なんだ?」

「これは、七不思議の一つかもしれねぇぞ」

「ないだろ、それは」

「わかんねーよ、閉じ込められて無念の死を遂げたバレー部員とか…」

「やめろ」

「じゃあ夜久が先頭に見に行けよ」

「いいけど…」

「きっと風か何かじゃないか?」


黒尾に促されるまま、海の意見に同意しつつ、体育倉庫に近づいていく。
がた、がたがた。
きっと幽霊以外の何かに決まっている。


「誰かいるのか?」


夜久が誰ともなしに倉庫に向かって話しかけて、倉庫の扉をずらすと、何かが飛び出してきた。


「!?」

「おっと」


何かがぶつかった、と認識したのもつかの間、自分が抱きとめたのは人間だとすぐわかった。
それに、女子だということも。

反射的に両手で受け止めてしまったが、ふと相手を起こしてみて、こんな間近で女子の顔を覗くのは初めてだと遅れて気づいた。

それが、だった。


「だ、大丈夫か?」

「す、す、す」

「『す』?」

「すみません…!!あの、扉が、開かなくって」

「扉?」

「はい、押しても押しても全然開かなくて、もう出られないかと思って焦って…」

「あー、これねぇ。引くんだよね」


黒尾が倉庫の扉に近づいて、レクチャーする。
確かにこの扉ははじめてだとわかりづらい。


「そ、そうだったんですか。…あ!ごごめんなさい」


彼女はようやく抱き留められているのに気付いて、飛び退いた。
素早く動く女子、それが第一印象。


「でも、どうして倉庫に?」

「あの、私、マネージャー希望で。だから、手伝おうと、準備」


緊張しきった様子につい笑ってしまった。


「仮入部だろ? 今日、顔合わせだから、準備は手伝わなくていい」

「あ、そー…なんですか」

「やる気があるのはいいことだけどな」


明らかに自分のミスにへこんだ様子で、海のフォローに居たたまれない様子で彼女は頭を下げた。


「君、一人?」

「あ、はい」

「マネージャー志望って他にもいたと思うけど」

「あ、知らないです。同じクラスの人は掃除当番ですけど、男子です」


そういえばクラスは別だったと、部室で見た仮入部者のリストを思い出した。
真新しい体育館履きには、1年生のクラスとの名前がサインペンでくっきりと書かれていた。


「せっかくだから付き合う?」

「えっ」

「夜久、ナンパか」

「!じゃなくて、俺達も準備するだろ」

「そうだな」


流暢なことを言っている場合じゃない。
時間は刻々と過ぎている。
自分の失敗だと思い込んでいるらしい彼女を放っておけなかっただけだ。


「手伝わなくてもいいけど、やる気があるなら…「やります!ありがとうございます!」


あいたっ、と閉まりかけた体育倉庫の扉にぶつかっていく彼女に3人で失笑した。


「あわてんなって」

「だな」

「まず前見ろ」

「う…、いろいろすいません」



ちょっと抜けてるところがあるが、の元気さがやけに気持ちよかった。

ネットがあそこにあると言えば、飛んでいって持ってこようとする。

…くせに、床に重ねられたマットレスに足を引っ掻けてころんだり、その勢いのままネットを落としたり。

転がったバレーボールをかごに入れようと投げたら、そのまま黒尾の後頭部にぶつけたり。

思い出してみると、けっこうやらかしている。

けど、それは4月の上旬くらいだろう。

すぐに慣れてきて、マネージャーの仕事が板についてきていた。
体育倉庫の扉の開け方を、他の一年に自信ありげに説明している時は、当時の2年生同士で密かに笑ったものだ。

閉じ込められた経験者が胸を張って教える図、…笑ってしまうに決まっている。


「夜久さん、おつかれさまです!」

「元気だな、。大丈夫?」

「私はランニングしてないですよ」

「部活始まる前、ボール磨きしてただろ」


なんでわかるのかって顔をがするから、受け取ったタオルでの右の頬を軽く拭った。


「汚れ、ついてる」


指摘するとは飛び退いて、鏡で見てきますと走って消えていった。

密かに笑いをかみ殺す。

気づくと黒尾がそばにいて、小突かれて示された方を見る。
先輩達がよく思ってない、と暗に教えられた。

良くも悪くも紅一点、は先輩達にも目をかけられていたから、部活中は目立ったことはしないよう気を付けた。

正式なマネージャーとして残ったのは、最終的にだけだった。
だから、自分とは少し目立ったのだろう。
自分たちの代がマネージャーがこなす雑務をこれまでやってきていたから、教える機会が多かっただけだが。

でも、先輩達の中にはそれを面白く思わない人もいた。
悪い人たちではないが、先輩風を吹かせるところがあった。面倒だけど、仕方ない。


「猫又監督、夏から復帰かもよ」

「へー、あの猫又監督か」


もうすぐ3年生が最後の試合を迎える頃、そんな話題が出ていた。
猫又監督は今は60代後半で、監督業は引退していたけど、腕を見込まれて復帰するという噂があった。
黒尾曰く、宮城の烏野という強豪校とうちのバレー部がやりあっていたらしい。その当時の強さは今の烏野にはないにせよ、監督の手腕は想像ついた。
どうせバレーをやるなら勝ちたい。それが一年の活躍に繋がるにしても、当時の2年生の想いであった。
音駒も久しく全国の舞台に立てていない。


「あの、夜久さん」

「どうした?」

「研磨くんが、その、部活…」


部活終わりにに話しかけられて、言わんとしていることはすぐにわかった。
今日、3年の先輩に研磨が意見した。
生意気だと思う先輩がいて、その仕返しがあったことを思い出す。
も気にしていたのだろう。


「黒尾がフォローしてる。心配すんな」


そう告げても、の表情は晴れなかった。


「もし…、研磨くん、やめちゃったらどうしよう」

「本人が、やめたいって言ったのか」

「……」


が俯いたまま黙りこむ。
ということは、そんな言葉を研磨の口からは聞いたのかもしれない。


「まだ退部届が出された訳じゃないんだ。愚痴を言いたいときもあるだろ」


ちょうど3年生たちが近づいてくるのが分かった。
こんな話を聞かれたら、余計に面倒なことになる。

の手を引いて、空き教室に入った。電気もつけずに。


「や、夜久さん?」

「静かに」


マネージャーと部活のことを話すだけなのに、こそこそしなければいけない現状はおかしいと思ったけれど、仕方がない。
数人の先輩達の声をやり過ごして、ほっと息をついた。


「あ、あの…」


に言われて、彼女の手首を離した。
ずっと掴んだままだった。


「わ、悪い」

「い、いえ」

「「……」」


しばらくお互いに真っ暗な教室に立ち尽くしていた。

何の話をしていたんだっけとなぜか鼓動が早まっているのを無視して、記憶をたどった。
そうだ、研磨の話をしていた。徐々に他の部員とも距離を縮めだしたというのに、先輩も気を使えっての。


「や、夜久さん」

「ん?」

「私、研磨君ってすごいと思っていて」

「うん」

「今日の研磨君の言っていたことも、その…合ってるなって思う部分、たくさんあって」

「ん…」

「だから、その…」


を横目に見ると、自分で気持ちを奮い立たせているようだった。


「みんなでバレー、できたらいいですよね!」


やけに元気を込めた言い方につい笑ってしまった。
なんだろう、こう交じりっ気のない素直さが自分にはなくて、心がすっと晴れて、気が付いたら励まされてしまった。

なんで笑うんですかと不思議そうにこちらを見るに理由は伝えられなくて、『なんでもない』と短く答えて教室を出た。

も廊下の蛍光灯の下で見るに、さっきより明るい表情でよかった。


「もう帰んの?」

「え、あ!もう下校時間ですね」

「一緒に帰る?」

「はい!あ、でも荷物、教室です」

「昇降口で待ってるな」

「じゃあダッシュして「すんな、危ないから」

「じ、じゃあ、おしとやかに」

「おしとやかって」


のそういうところに笑って、一生懸命なところをそばで眺めて、気づけば一緒にいる時間は増えていて、ふと部活以外にのことを思いだす機会も多くなっていた。





「それ、に?」
「!!」


思わず手にしていたストラップを落としかける。
黒尾だ。

修学旅行のお土産購入の時間だった。

黒尾がニヤニヤと何か言いたげにこちらを見るから、ストラップを元の位置に戻した。


「買わねぇの?」

「別に」

「このキャラ、がグッズ持ってるじゃねぇか。買ってあげたら喜ぶと思うけど」

「だったら黒尾が買えばいいだろ」

「いいのか?」

「……」

には何かと世話になってるしなあ、研磨の話し相手もしてくれてるみたいだし」

「……」

「なんだよ、夜久くん」

「…たく」


からかわれるのは癪だった。
だが、黒尾がにこのストラップをあげるところを想像したら、もっと癪だったので、ストラップを大人しく買い上げることにした。
クラスの連中にばれたらそれこそ恥ずかしくて、さっさと買って、袋に入ったソレを早々に鞄にしまった。


「へーー、買ったのか」

「…それより部への土産は?」

「さっき海が選んでた。数が多けりゃいいだろ」

「去年もそうだったしいいんじゃねーの」


修学旅行はもちろん楽しかった。
けど、それでも気持ちは、とうに終わったインハイ予選に行きついてしまう。
3年の先輩方は早々に引退してしまった。
春高に向けては現在のメンバーが主体になる。それに、猫又監督も復帰して、既に1年生の練習を見始めていた。
正直、寝不足がなければ修学旅行終わりでも部活に出たいくらいだった。


「あれ、夜久さん!」


修学旅行から戻ってきた日、偶然駅でと会った。
最初は誰かに名前を呼ばれたかと辺りを見回したが、ぶんぶんと腕を振ってくるにすぐに気付いた。


「修学旅行帰りですか?」

「ああ」

「楽しかったですか?」

「帰りは疲れたけど楽しかった。部活はどうだ」

「心配いらないですよ!猫又監督、いろいろよく見て下さってて」


駅のホームなのに、ついついの話に聞き入ってしまった。
開いているベンチに二人で座って話し続けて、気づけば何本電車を見送っただろう。
それに気づいたのは、話しこんでだいぶ経ってからだった。


「あー、あのさ」

「あ、すいません!夜久さん、疲れてるところなのに」

「いや、それはいいんだけど」

「帰りましょう。夜久さん電車あっちで、「待てって」


今にも走って行きそうなの腕を掴んで、再びベンチに座らせる。
大人しく従うを前に一呼吸置いてから、鞄の奥底にしまった小さなビニール袋を取り出した。
どうせ渡すなら、早い方がいい。

は差し出された袋をじっと見た。
いつまでも受け取らない。


「…これ」

「はい」

「土産」

「え!」

、いつも頑張ってるからな。その、ごほうびみたいなもん」

「あ、ありがとうございます!開けていいですか?」

「そりゃ、もちろん」

「わーー…、わあ!!」


この嬉しそうな顔、見れたならいいか。買ってよかった。
は鞄にソレを着けると、満面の笑みで鞄を抱きかかえた。


「す……っごく、嬉しいです」

「ずいぶんためた言い方だな」

「だって、嬉しかったから。嬉しいことは嬉しいって伝えると、倍になるって聞いたことあります」

「そっか」


たぶん、倍以上かも。
密かに思って、この日は分かれた。
顔がにやついていないか電車の窓ガラスに映る自分をチェックしたが、どうも緩んでいる気がして長く息をついた。


end.