告白前 2
夏が本格的になる頃、梟谷グループとの合同合宿が迫っていた。
黒尾とと体育館に向かいながら、合宿について話す。
も初めての合同合宿に興味深々のようだった。
「梟谷高校ってどんな感じなんですか?」
「そうだなー、やっぱりスパイカーの木兎だな。それに、新しいセッターも優秀らしい」
「あの木兎相手にトスを正確に回せる一年か」
「ああ、まだ実際に見たわけじゃないが、相当キレるやつだと」
「キレる?」
「、言っとくけど、突然怒り出すとかじゃないからな」
「あ、そっちじゃないんですね」
「頭がいい方な、と同じ1年だ」
「1年で優秀なセッターですか…、すごいですね」
「梟谷は全国経験者だ。そこのセッター張れるなら、実力はあるんだろうな」
「どっちにしろ情報がまだ足りな…、そうだ」
黒尾がぴんと、人差し指を立てて、に迫った。
「、潜入調査だ」
「潜入?」
「調査?」
「またふざけたことを」
「ふざけてねーよ、梟谷とはまた春高予選で当たるんだ。調査は必須だろ」
「それとがどう関係あるんだよ」
「折角の女子マネじゃねーか」
「梟谷はもともといるだろ、女子マネージャー」
「まあ聞けって」
黒尾の潜入調査とは、合同合宿の時に、噂のセッターにが近づいて調べるというものだった。
1年同士であれば仲良くなりやすいし、警戒もされない、という理屈らしい。
どんな理屈だ。
「俺は反対だ。んなことしなくても、うちは負けねぇよ」
「負け越してるじゃねーか、ここ最近」
「そうだけど。猫又監督が来て、また一段とレベルは上がっただろ。研磨もチームに馴染んできてる」
「盤石だって言えるのか?俺は少しでも勝てる要素があるなら、1%でも可能性に上げたいだけだ」
と言いつつ、絶対からかうために黒尾が言っているのがわかって腹が立つ。
横を見ると、が感動した様子で拳を握った。
「ま、任せて下さい、黒尾さん」
「さすが」
「お、おい…」
「がやる気になったんだ。いいダロ」
「よくねぇよ」
「夜久さん!私、立派にやり通してみせます、潜入調査」
「そもそも合宿に潜入も何もないだろーが」
「はい、この話題終わりー。練習始めるぞー」
「黒尾…!」
練習に入ってしまえば、こんな話題、すぐに頭のどこかに消えてしまった。
けれど、消え去ったわけではなく、頭の片隅には依然と残っていて、部活終わりに再び思考のど真ん中に戻ってくる。
梟谷のセッターに、が近づく。
そう考えただけで、何故か腹立たしかった。
その理由がよくわからなかった。
「夜久さん」
「……」
「夜久さーん?」
「!、…い、いたのか」
「いましたよ。ボールだし、手伝いましょうか」
「いや、いい。今日は、大丈夫だ」
「そう、ですか」
とぼとぼと去っていく背中、声をかけようにも自分で自分が分からない。
夜久はため息をついて、自主練習に戻った。練習をしている内はよかった。帰り道は、手伝いを申し出てくれたでいっぱいだった。
「はい、プリントです」
とある日の部活終わりに、が合同合宿に関するプリントを配る。
コーチが当日の流れを説明して、監督も意気込みなどを話す。
合宿に参加する学校名が当然印刷されている。
梟谷、音駒、森然、生川…。
黒尾の“潜入調査”のせいで、妙な心地でプリントを眺める羽目になってしまった。
いよいよ明日は合宿という時、黒尾に話しかけられたときも、そのもやもやは消えていなかった。
「まだ怒ってんのか?」
「…怒らせた自覚、あんのか」
「まあ少しは」
「を巻き込むのはやめろ」
黒尾は指先でバレーボールを回した。
「見ててじれったいんだよなー」
「…何がだよ」
「お前ら二人」
目が合うと、黒尾はボールを両手で掴んだ。
「練習、戻れよ。山本が待ってるだろ」
「まーな」
黒尾は歩き出したかと思えば、また振り返った。
「けじめつけないとさ、女の子を束縛ってできないんだぜ」
「は?」
「そんだけ」
食えない顔して手をひらひらさせたかと思えば、黒尾はもう一つのコートへと向かった。
1年の山本の相手をする気になったらしい。
けじめをつけないと、
女の子を束縛できない。
黒尾の言葉がやけに頭の中で響いた。
練習中も消えないなと思ったが、合同合宿の時にその意味を思い知ることになる。
「へー、ちゃんね!覚えた」
「あ、ありがと、ございます」
「あの、木兎さん、さんが怯えてます」
「な!なんでだよ」
「あ、いや、えっと」
「声が大きすぎるのと、体格でしょうね」
「赤葦だってちゃんより大きいじゃねーか。なあ!?」
「は、はい!」
「ほら、声」
まさか本当に、が梟谷に接近していくとは思わなかった。
いや、想像していなかったわけじゃないが、会って数時間のうちに既に梟谷のセッターとコンタクトを取るとは思わない。
梟谷や他の二校のマネージャーとも仲良くなっているのはいいことだけど、だけど…
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
「そう…ですか」
はドリンクを手渡されるのは、いつものことなのに、他のやつといるのを見てから違う感覚がする。
試合をしていても、練習をしていても、どこかでのことが気にかかる。
風呂上がりに見かけたは、梟谷のセッターと話をしていた。
「いいのか?」
隣にいた海に問われて、足を留める。
けじめをつける、というのは、自分の気持ちを自覚することが第一歩だろう。
しばらく二人を見つめてから、腹をくくった。
「…よくはねぇな」
「タオル、部屋に置いとくな」
「サンキュ」
荷物を海に預けて、二人に近づく。
二人もこちらに気づいたようだった。
と目が合った。
「夜久さん!」
「、返してもらっていいか?」
状況をなんとなく察してか、彼は頷いた。
頭がキレるやつ、というのは本当だろう。
こちらが大人げないことをしている気分になってくるが、今さら体面もあったもんじゃない。もう決めたことだった。
「よし。…、来い」
「はい!」
もやもやした気持ちはまだあったが、がなぜか嬉しそうについてくるものだから、もうどうでもいいなと結論づいた。
喧騒から離れた廊下の隅っこで、どちらともなしに壁に背を付けた。
暗い廊下ではあったが、月明かりが差しこんできていた。
「…なんか、セッター君と楽しそうだったな」
「はい、赤葦君と話題が合いまして」
「何の?」
「ああ見えて、赤葦君、私の好きな少女マンガを読んだことがあるそうで」
「し、少女マンガ?」
「はい!夜久さんも読んでみますか?」
「いや、いぃ……面白い、のか?」
「桜の下の告白から始まるんですけど、そっからの展開がですね」
正直に言えば、その少女マンガもストーリーもキャラクターも興味はなかった。
ただ、楽しそうに話すを見ていたかったし、こんなをさっきの赤葦がずっと眺めていたとしたらそれは羨ましいし、悔しくもあった。
「あ…、すいません。読んだことない人にはつまらないです、よね?」
「いや、一日バレーばっかりだったから気分転換になる」
「…夜久さん、優しいですね」
少しおいてから、は笑顔になった。
「どうした?」
「こうやって話せてうれしいです」
「いつも…、話してるだろ」
「そうですけど…」
「けど?」
と目が合う。
「合宿、はじめてじゃないですか。ワクワクします」
そのはしゃいでいる様子に、久しぶりにを見たような気がして笑ってしまった。
「子どもか」
「こ、子どもじゃないです」
「はいはい」
「違いますってば、ぁ!?」
「おっ」
足を滑らせかけたの肩を思わずつかんだ。
「あ、ありが…」
「……」
沈黙したのは、意識がに触れる両手に集中したから。
至近距離から香ったシャンプーの香りは、自分が使ったものとは異なって、甘ったるいものだった。
指先から感じる柔らかさは男子とは違う。
彼女の熱を感じたのは、きっと風呂上がりだったからだろう。
自覚なんて、とっくにしていたと、この瞬間、悟った。
「、…危ないだろ」
「は、はい」
けじめをつけないと、束縛できない。
それだけじゃない。
“これ”以上、進んでもいけないんだ。
からそっと手を離した。
「次は気をつけろ」
「はい」
「気を抜くなら、俺のそばでな」
「え、や、夜久さ…」
「さー!明日も早いんだから、マネージャー部屋、戻れ」
歩き出しても、後ろからの足音は聞こえてこない。
振り返ると、はムッとした様子でこちらをにらんでいた。まったく怖くはないが、単純に疑問だった。
「どした?」
「夜久さん!…ずるぃ、です」
「…何が?」
「いろいろ…、いろいろずるいです」
「何がだよ」
「夜久さんなんか、夜久さんなんか…」
「なーんだよ」
しばらく黙りこんだかと思えば、は勢いよくハキハキと言い切った。
「大好き!です!」
「は?」
「では!」
さっきとは打って変わって、は風のようにこの場を立ち去った。
階段を駆け上がっていくのも聞こえた。がこけてはいないことに密かに安堵する。
はじめて会った時も思ったけど、は何か事があって動揺すると素早く動く。
あっという間に、人の心をかき乱すだけ乱して、当事者を置いていく。
「…大好きって、なんだよ」
話の流れの言葉だろう。
子ども扱いされたのは悔しかったんだろう。
の素直さも、全部、ぜんぶわかっている。
「おかえり。どうだった?」
「あ、いや…、まあ」
「歯切れ悪ぃじゃん、何の話?」
「うるせぇ」
「ぶ!」
元はと言えば誰のせいだと言う想いをこめて、黒尾に枕を投げつけた。
その内、枕投げ合戦になって、のことをしばし胸にしまいこむ。
“大好き!です!”
この言葉をよくよく味わう。
のことだ。深い意味はないんだろう。
今はそれでいい。
桜の下の告白?
そんなのに興味があるなら、それでいい。
心が晴れやかで、今日は一段と身体を自由に操れる気がした。
「はよ」
「あ、夜久さん、おはよーございます!」
「寝癖ついてんぞ」
「え!」
「ウソ」
「え!!」
「、ちょっと手貸せ」
「え、やです」
「あっそう」
「あ、嘘です。出します」
そのまま差し出されたの手を掴んで引いた。
「昨日の。俺も、同じ気持ちだから」
間近で囁く数秒、昨日ののようにその場を立ち去った。
その光景を見ていた連中にごちゃごちゃ言われたけど、どうでもいい。
がどんな顔をしているか気になったけど、何となく想像がついたから、今度の楽しみにしておく。
こうして、夏を楽しみ、秋が過ぎ去り、冬を超えて、いよいよ音駒で3度目の春を迎えた。
「」
1年生の廊下に佇むは、咲き始めた桜を眺めていた。
「夜久さん!誰かに用事ですか?」
「ああ」
「呼んできましょうか?」
「明日」
「はい?」
「部活が始まる15分前に、体育館裏に来て…ほしいんだけど」
「はい、誰にお伝えすれば…」
「」
「はい?」
「だから、に、来てほしい」
鈍いやつ。
ぽかん、としてから、は大きく頷いた。
「わかりました!任せて下さい」
「何を任されたんだ」
「…なんですかね」
とぼけたやつ。そんなところは、ずっと変わっていない。
二、三会話してから、校舎の外の桜を見やる。
これくらい咲けば、少しはが夢中になった光景に近づくだろうか。
秋ごろに借りた漫画のことを思いだしつつ、明日を想って背を正し歩いた。
けじめをつければ、もう互いに互いを結び付けられる。
end.