「ぐぉおあああっ……!!」
ネットの張られた体育館。
「山本、うるせえ!」
男子高校生の声が響き渡る。
外気を取り入れる窓は開き、その向こうにがらんとした校舎が佇む。
床に山ほど転がるバレーボールの一つを、黒髪の男子高校生が拾い上げ、カゴへと投げ入れた。
ボールの行く末は見事ジャストイン。
ただし、ボールが入った衝撃で車輪付きのカゴは床を少し滑った。
「なあ、見たかっ、研磨! おい!!」
主将の注意にめげないモヒカンの少年が、ぐったりと床で休憩をとるジャージ姿の同級生に話しかける。
が、一向に反応はない。
音駒高校男子バレー部は、一人元気な“山本”を除き、それぞれが束の間の休憩をとっていた。
「見たよなっ、あの二人」
「みてない…」
「野球部め、浮ついてやがる……!!」
「野球部?」
体育館入り口。
何かを持った同じジャージ姿の一人が『野球部』という単語に反応を示した。
一緒に入ってきた背の高い彼は、いつも通りにこやかに黒髪の彼と挨拶を交わした。
「夜久さんも見ましたか!? 野球部のカップル」
「いや、見てない」
きっぱりとした先輩の答えにショックをうけた様子の彼へと向き直り、黒髪の少年は訝し気に腕を組んだ。
「山本、お前の方がよっぽど浮ついてんじゃねえか?」
「いやだってっ、彼女連れで窓んとこでイチャついてんスよ!?」
「窓?」
彼は、おでこに片手を当て“窓んところ”を確かめるべく視線を向けてはみたが、そこには昨日と変わりない校舎が見えるだけだった。
「誰もいねえじゃねーか」
「さっきまでいましたっ!」
「なあ、野球部って、今日 遠征って言ってたよな?」
振り返った先にいる同学年の二人に話しかけると、同意を返される。
であれば、山本の見たカップルは幻に他ならない。
黒髪の彼は『さっさとボール拾え』と言い放ち、自分も足元のボールを次々に拾い上げた。
「あ!」
「どした、夜っ久ん」
「これ買った時に見かけたな、野球部」
手元にはジャムパン。
先ほど購買で買ったばかりの定番商品。
黒髪の彼がごそっとカゴにボールを入れた後、しげしげと夜久が持つパッケージを眺めた。
「それ、あったのか」
「おーっ、海に教えてもらった!」
「購買で売ってるのにはまだついてたから」
パンをもぐつく彼の手にはある、空っぽになった袋。
その裏面には、キャンペーンのポイント1点分がプリントされている。
「あと1点だったからな!」
「よかったじゃん、ギリ応募」
「おー」
「で、そんとき、野球部がいたって?」
「俺も見たよ」
購買の入り口に立つ、ジャージ姿の野球帽。
副主将が説明を加えると、モヒカンの男子が叫んだ。
「ほらーっ!!」
「まあ、いたのはわかったけど、だからってソレと俺らは関係ない訳で」
彼はちらりと体育館内の時計を一瞥し、続けた。
「もうすぐ監督も来っから、さっさと片付けんぞ」
おぉーっと掛け声が響く体育館内。
うおぉーっとやる気の入る山本を一喝し、ふと彼は気づいた。
「あれ……」
そこに寝そべっていたはずの幼馴染の姿がない。
その代わり、という訳ではないが、近くに転がっていたボールはすべてカゴに戻されていた。
***
「いやっ、ちょっとっ」
「いいからっ、後でねっ!」
ほら、と友の背中を押し、さっさとこの場を立ち去った。
我ながらナイスサポートだと思う。
振り返れば、声をかけてきた男子と友人がなにか話しているのが遠目でもわかった。
同じく原稿用紙を買いに来たという彼は、受験の時に友人となにかあったらしい。
詳しいことは後でアイスでも食べながら聞くとして、おじゃま虫は消えるに限る。
友よ、がんばれ。
一人拳を握りしめ、心の中で応援すると、気を取り直して体育館に向かった。
この渡り廊下まで進めば、まもなく男子バレーボール部だ。
窓からちらりと見えた感じ、きっと練習真っ最中だろう。
あれ、でも待って。
立ち止まって考えてみる。
野球帽をかぶる今の自分は、学校の中をうろうろしている分には、いち生徒として紛れ込めるけど、体育館となれば別じゃないだろうか。
野球部員なら、本来いるべき場所はグラウンドのはず。
まして、体育館の中にいるのは男子部員なわけで、うっかり野球部のだれかに間違われようものなら面倒なことになりかねない。
いっそ帽子を外しておけばとも考えたけど、そもそも着ている旧ジャージ、見た目は可愛いんだけど、やっぱり少しだけ目を惹いた。
……こんなことなら、妙な変装はやめて、すなおに女子の制服を借りればよかった。
後悔先に立たず。
が、行動した以上、こっちを正解にする他ない。
ちらっと体育館をのぞいてみるだけだ。
別に悪いことをするでも、偵察という偵察を行うわけでもない。
よーし!
方向転換し、ぐるっと遠回りして体育館の裏手から近づくことにする。
これならバレー部の誰かに会うこともないだろう。
来た時の下駄箱には靴もある。ちょうどいい。
足取り軽く廊下を進み、下駄箱にはすぐ到着した。
外履きにそっと足を通したとき、誰かの気配がした。
奥の、来賓用の下駄箱だ。
年を重ねた男のひと、そう思った時、ぐらりと倒れかけたようにみえた。
「!」
あ。
「す、みません……」
転びそうだと思って飛び出したのに、結果、その人は転ぶことはなく、ただ、自ら壁に手をついただけだった。
別段なんにも問題ない。
むしろこうやって突然現れた私に驚いて、細い眼を見開いて固まっていた。
慌てて頭を下げた。
「私っ、かんちがいして!」
「いいや……、ありがとう」
その人は、優しい声色と眼差しでお礼を口にした。
おじいちゃんと同じくらいの年だろうか。見かけでつい判断し、手助けしようと考えなしに動いてしまった。
ふと気づく。
この年齢で春休みの学校に来るなんて、学校の先生、下手したら校長先生かもしれない。
「ほんとうに驚かせてごめんなさいっ、失礼します!」
バタバタと駆け出し、その人の視界から消えることに専念した。
仮に校長先生だとしても全校生徒の顔を覚えているってことはないだろうけど、生徒の着ているものの違和感くらい気づく可能性がある。
日頃の行いに何か問題でもあるんだろうか。いや、そんなに悪いことをした覚えはない、はず。
過去の自分の行いをおさらいしつつ、走って体育館の裏手に近づいたそのとき、がさっと音に気づいてしまった。
なんでまた、こういうちょっとした何かに反応してしまうのか。
草陰に潜む“なにか”、もとい視線に気づいた人物と目が合った。
相手もまた驚きの色を隠せてなかった。
茂みに身を潜めていたんだから、見つけられたらビックリするのも当然だ。
けど、それだけじゃない。
「研磨さん……?」
東京にやってきた当日、あの駅の出来事。
忘れるはずがない。
研磨さんの手にはスマートフォンがあって、ちらりと見えた画面はあのアプリだ。
ジャージ姿は、真っ赤な音駒高校のもの。
「研磨さん……、この学校の人だったんですか」
「、なの?」
まずい。
自分はいま野球帽でうまいこと変装をしているんだった。
黙っていればバレないだろうに、あろうことか自ら正体を明かしてしまった。
「あ、えと」
「なんでここに」
「ひっ人違いでした! お邪魔しました!!」
逃げるに限る、パート2。
研磨さんを背にして颯爽と走り去る、という選択まではよかった。
「あぁーーー! さっきの野球部!!!」
くるり、逃げようとした先の向こう。
すごい髪型をした人物が私を指さし叫んでいた。
走って近づいてくる。
ものすごい勢いだ。
それにびっくりして、
どっちに逃げようかわからなくなって。
もつれた足は、茂みの段差に引っかかり。
それは、まるで、ドラマのように。
「!?」
深く長いため息がすぐ上から降ってくる。
太陽が高く、研磨さんの髪の毛が輝いてみえた。
あきれ顔が逆光でもわかる。
「、……本当になにしてるの?」
転ぶのを覚悟した私を、研磨さんが背中から抱きかかえてくれていた。
next.