この春、大注目の選手にサインしてもらった雑誌は大事にカバンにしまいこんだ。
その後の電車は順調だった。
正確に言うと途中で停まりはしたけど、無事、新幹線に乗る駅に到着した。
帰りの切符もある。
乗り場の番号もばっちり確認している。
お土産もちゃんと用意した。
後は、私が乗ればいいだけで。
それだけで。
と、なれば。
「じゃあー、なっちゃん、ここで!」
切り出すときは、ほんの少し勇気が必要だった。
たぶん友人も同じだ。
お互い言葉にしてないけど、ここでさよならした方がいいんだろうなと思っていたに違いない。
目が合うと、友人も笑顔を作って片手を上げた。
「じゃあ、ここで。、またね」
「また!」
「あ」
「なに?」
「写真、あとで送る。スマホの充電、忘れないよーに」
「わ、わかった!」
東京行きに間に合わせたスマートフォンは、東京にいる間中、ほぼ電源オフのままだった。
理由は私が充電コードを忘れたから。
しかも、最新機種だったおかげで、友人はじめ誰かにコードを貸してもらうこともできなかった。
もし研磨さんに知られでもしたら、きっと想像できる通り、あきれた様子でため息をつかれただろう。
代わりに、友人やリエーフがたくさん写真を取ってくれたから、よしとする。
家に帰った時の楽しみができた。
前向き、大事。
「はしっかりしてるけど、抜けてるからこれから心配」
ぐさりと心に刺さる一言をくれるのが、友人らしい。
「そっちもね、人のこと言えないからね」
「まー、そうだね」
「そうだよ」
どちらともなしに、手を軽く合わせた。
パチン、音がしない程度にぽん、ぽん、と意味なくくっついて離す。
「また遊ぼうね」
「次は私が烏野に潜入しようかな」
「いいよ、制服貸す!」
「野球帽は?」
「ないけど、用意する!」
むしろバレー部のジャージがいいかも。
従兄の家でも、おじいちゃんの家の押し入れを探せば出てくるはずだ。
ジャージのデザインは、昔からずっと変わってない。
カラスみたいな、真っ黒なジャージ。
記憶のなかにいつもある。
揺らがない、黒色の背中。
いつになるかわからない、そんな“いつか”の話をして、今度こそ、勢いをつけてお互いに手を下ろした。
「じゃあね」
「うん」
かっこつけたような、綺麗な別れじゃない。
ドラマみたいな感動的なものでもない。
学校帰りのいつもと同じだ。
電車の往来と人の流れに沿って、それぞれ行く方に歩き出す。
階段を上がる。
もう少ししたら次の新幹線が来る。
行きも見かけたゲームの宣伝ポスターが連続して並んでいる。
キャンペーンのQRコードも今は懐かしい。
このゲームのおかげで研磨さんにも会えたんだし、何が起きるかわからないものだ。
横目で眺め、通り過ぎた。
ばいばい、東京。
またきっと、ここに来る気がする。
「っ!?」
大慌てで新幹線を降りる。
危うく乗り過ごすところだった。
昨日、夜遅かったし、行きと違ってとなりに人もいなかったから一休みするにはちょうどよすぎた。
大きくあくびをして駅のホームを歩き出す。
すっかり夕方だ。
日が高くなってきたとはいえ、もう暗い。
大きな駅で乗り換え、また違うところで乗り換え、帰りは従兄のお迎えはないので、調べておいたバスを使う。
けっこうな大移動だなあ、なんて、見慣れた景色に戻ってきた時、今度こそホッと息を付けた。
停車ボタンを押し、間違いなく目的のバス停の前に立つ。
次の乗り換えで終わりだ。
バスもすぐ来る。
次はけっこう待つからちょうどいい。
お土産でふくれたカバンを肩にかけ直したタイミングだった。
寝ぼけ眼だったはずが、ぱっちり目が冴える。
ダッシュする元気、まだ自分にあったんだ。
目当ての人物の肩にふれると、相手は比喩でなく一瞬飛び上がって驚いていた。
「!? さん!?!」
「やっぱり日向くんだ」
「なんでここにいんの!! 東京は!?」
「いま帰ってきたの。これ、お土産」
「お、おみやげ!? ありがと!
って、さん、どこいくのっ!?」
「あのバス乗らないと。ばいばい、日向くん!」
名残惜しいけど別れを惜しむ時間もない。
偶然見つけた日向くんから離れ、もう一度ダッシュ、置いて行かれないようにバスに飛び乗った。
同時にバスの乗り口が閉まる。
どうやら運転手さんが気を利かせて待ってくれたようで、あと一歩で乗り遅れるところだった。
ギリギリセーフ。
本当はもうちょっと日向くんと話したかったけど、お土産をすぐ渡せただけでも満足だ。
バスの窓から外の様子を伺ってみた。
夕暮れ時というのもあって、日向くんはもう見つけられなかった。
でも、一目会えただけでうれしい。
ぐっすりと眠って元気になった翌朝。
同じく充電しおえたスマートフォンには、いくつものメッセージが並んでいた。
通知の消し方に四苦八苦しているとき、日向くんからのメールに気づいた。
『会える!?』
メールを受信した日が、たぶん、昨日、偶然会えたときくらい。
私がバスに乗った後、すぐメールをくれたんだ。
うれしくなって会えるよってメールすると、電話が鳴った。
午後に会う約束をした。
何着てこうって迷い、せっかくだから東京の服でも、と手を伸ばしたところで、親からどこに行くか聞かれた。
ちょっとね、とごまかしてしまい、結局いつもの服装になった。
……公園に行くのに、東京で買った服をわざわざ着たら、変だもんな。
この服でも、かわいい、かな。
どうだろう。
「なにしてんのっ?」
「!日向くん」
自転車に跨る日向くん、何度か見たことある私服姿。
なんでここにいるんだろうって、待ち合せた公園でもないのに目の前にいる日向くんを見つめる。
こちらの気持ちを読んだのか、日向くんは迎えに来たと笑った。
「さんにはやく会いたかった!」
「……そっか」
じーん、と密かにうれしさで胸がいっばいになり、この直球さが気はずかしくもあって、意味なく髪を撫でつけた。
日向くんは自転車の後ろを片手で示した。
「さん、乗って!」
「えっ」
てっきり歩いていくものとばかり。
約束していた公園はもう近い。
急ぐ理由も思いつかない。
そのまま伝えると、日向くんはいいからと手招きした。
「おれ、さんを乗せて走りたいっ。いやだ?」
「そんなことは、ないけど」
「じゃあ、早く!」
「じゃあ……お邪魔します」
自分で言っておいて、お邪魔しますは変だなと思ったら、日向くんも邪魔じゃないから大丈夫!と応えてくれた。
人が増えた分、日向くんのペダルをこぐ一歩目が重そうだ。
「だいじょーぶ?」
「ん! いける!!」
ぐっ、と力がこめられ、自転車が動き出す。
ゆっくり、けれど、すぐ勢いよく、風が流れはじめた。
過ぎ去ろうとする冬と、まもなくやってくる春。
両方を感じさせる、つめたい心地よさ。
「さん、ありがとう!!」
「なんで?」
「今日、来てくれたっ。
東京、どうだった!? 夏目、元気!?」
「元気だよ。東京はねー」
ちらりと前に視線をずらす。
日向くんの髪が軽快に靡き、光りの加減で、あたたかな色合いがさらに輝いた。
「東京は、なんか、いろんなのがたくさん集まってた」
人も、建物も、物も、情報も、その他すべてが勢揃いしていた。
「すごかったよ」
迷うほどに全部があふれ、手を伸ばせばなんでも揃っているような場所。
一方で、学校はこっちと同じだったりもする。
優しくて面白そうな人たちもいる。
「あっちもね、楽しそうだった」
日向くんがハンドルを横に切った。
「ひっ、なたくん、どこっ」
行くのっ?
ガタン、ガタンと道路の段差をタイヤが踏み締める度、私の声もリズミカルに揺れた。
公園ならまっすぐだ。
日向くんが一瞬だけこっちを向いた。
「まかせてっ」
返事としてはよくわからなかったけど、きらきらとカッコよくみえてしまう。
できることなら、ずっとこっちを向いててほしい。
!!
そんな寝ぼけたことを考えた瞬間、自転車がまたガタッと段差を通る。
鼻先を日向くんの背中にごつんとぶつけた。
next.