ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

19







「どうかしたっ?」


日向くんが背中になにかがぶつかったのに気づいてまた振り返る。
大丈夫だよとあわてて答え、なんでもないことにし、密かに自分の鼻をさすった。

真ん前、日向くんの背中。

ガタガタと揺れる道は、あまり走りやすそうじゃない。

日向くんは力いっぱいペダルを踏みしめている。


「日向くん」

「なにっ?」


自転車、降りようかって。
そう聞きたいけど、断られる気がして、(もしくは、ガッカリさせるような気もして)、自分から話しかけたくせに言葉に迷った。

えぇっと……


「どこいくの? 公園だったら、さっきのところ真っ直ぐだったよね」

「そうだけど、よっと!!」


自転車の急ブレーキが甲高く響き、ガタッと流れていた景色が停まる。

日向くんに合わせて自転車から降りる。

なんてことのない風景だ。

家があって、道があって、森……ともいえないし、林とも言いづらいけど、自然があって、向こうはきっと人の畑と思われる。

田園風景というワードがしっくりくるかはわからないけど、そんなよくある日常のなか、日向くんはいつも学校の自転車置き場でやるみたく、自転車を停めた。


さん、こっち!」


日向くんが目配せして歩き出す。

人の土地に勝手に入ったらまずい気が。
いいのかな。


「大丈夫、ここの人、おれ知ってるっ。好きにおいでって!」

「そー、なんだ」


日向くんの交友関係?というか顔の広さは、考えたところで理解が追いつかない。
そういうものとして受け入れて付いて行くことにした。

きょろきょろと辺りを観察する。
舗装されていない土の道、向こうに少しさびた掘っ立て小屋だとか、しばらく放置されてそうなトラクターを見つけた。

畑と思われる箇所は耕してあるような、中途半端に終わっているような……でも、奥には何か知らない木々が順々に植えられている。


「!?」


足を着地させた石が妙に滑りやすい。
あと少しで転ぶ、というところで持ちこたえた。

先を歩いていた日向くんが転びかけた私に気づき、ここまで戻ってこようとしている。
大丈夫だからと声を上げたけど、結局、日向くんは私と違って転ぶようなことはなく私の前にやってきた。


さん、ごめん! おれ、早かったね」

「ううん、私が遅いせいだから」

「もう、後ちょっとだから、え、と!」


日向くんが急に頭の後ろに手を当てて空を見上げた。

なんだろ、鳥?カラス? あ、飛行機雲。

青空一直線、白い軌跡が伸びている。

だれかが絵筆をすべらせたかのようだ。


「ホントっ、あと、少しだから!」


日向くんの声になぜか緊張感が交じる。

右手が冷たい感覚にさらわれた。


さん、すぐだよ」


日向くんの早口、指先。
握られているのは、私の片手。

やんわりと添えられた感覚は、ふりほどこうと思えばできるくらい優しいものだった。


導かれるままに日向くんの後ろを付いて歩く。

日向くんの後ろ髪が揺れる。

パッと振り返った日向くんとばっちり目が合った。

なぜか日向くんも驚いたようだったけど、すぐ日向くんは破顔した。
うれしそうに見えたの、きっと、気のせい、じゃない、はず。


「こっち!」


道なんか、ぜんぜん頭に入ってこない。

振り返っても、どこをどう歩いたっけと思いながら、日向くんと繋がった手をぎゅっと握り返して前を向いた。


















日向くんの言う通り、その場所は、ほんとうに、すぐそこだった。

拓けたところにぽつんと伸びる、一本の木。

桜、なのかな。
真っ白い花がたくさん、たくさん咲いている。

周りには低い木もなく、緑がぽつぽつと生えているだけで、この木だけが悠々と根を張り、佇んでいる。
もう少し先に同じ種類と思われる樹木があったけど、冬の装いというべきか、どれも花は咲いていなかった。

ここだけ、春をどこからかもらってきたみたい。



「すごい……」

「ねっ!? これをさんに見せたかった!! さん、こういうのすきかなって」

「すき! 好きだよ」


そう返すと、日向くんは自分の髪をくしゃっと握りしめて、見せたかったという光景にもう一度目を向けた。

遮るものなく日を浴びている、この樹木。
花びらは、午後の日差しを散りばめたみたい。
風が通り抜ける度、まぶしさと柔らかなきらめきが揺れる。
目に見えないはずの光は、この木を通してその存在を示しているようだった。

ふっ、と風が止む。

木々のささやきが静まる。


日向くんと目が合った。


なんでだろ。
なぜか私のことを見ていたと勘違いした。

冷静になろうって、一歩、二歩と、このひとつだけの不思議な樹木に近づいた。


「す、すごいね、この木。桜かな? 日向くん、わかる?」

「んーー、桜より花がおっきい、ような?」

「学校にあるのは咲くのもう少し後だから、違う種類かな。ここだけ先に咲くなんて……」


根っこに躓きそうになって片手を幹に付いた。

ごつごつとしっかりとした木の表面は、繊細な花や枝と違って、積み重ねた年月と確かな力強さを実感させた。
ふんわりと、足元から湿度を含む大地の匂いがする。

幹の合間につぼみが顔を出していた。


さん?」


日向くんが同じところを覗き込む。


「ここも花! すげ!! 上だけじゃないっ」


日向くんの関心がこのつぼみから、真上の花々、そして、またすぐ近くに戻ってくる。

なんでだか、こんなきれいな花よりも、日向くんに気を取られる。
落ちつけ、落ちつこう。

深呼吸だ。


さんに見せたかった」


花の影が日向くんにかかり、また揺れる。
太陽に照らされても、日向くんはまぶしさにかまわずに続けた。


「この先、ちょっと広いから、他のやつ待ってる時にも来て練習しててさ、そんとき見つけたっ」


日向くんが声を弾ませ、気持ちよさそうに両腕を伸ばす。


「花はまだかなーって諦めてたんだけど、この木だけ咲いててさ!

 あっ、そんな、花にキョーミあるわけじゃないんだけど、おれがさんと見たかったっていうか……、この花といっしょのさんを見たかった、というか」


日向くんがハッとした様子で、ぶんぶんと両手をせわしなく左右に動かした。


「はっ花もいいんだけど! さんとしばらく会ってなかったし、さん東京だったから。
卒業式の後、会えてないし……春休みだから、しょうがないけど」


日向くんはそれぞれの手を下ろし、ぽつり、こぼした。


「おれは、さんに会いたかった。

 久しぶり!!

 って、なんかそう言うのも変なんだけど、そんな気分!」


元気よく言い切ってから、日向くんは照れた様子で笑った。

なんだろう、なんなんだろう、この感覚。

日向くんの気持ちが伝染してきたのかな。
そわそわと助けを求めて、四方に伸びる花を眺めた。


「な……、なんとなく、わかる、かも」


どんな気分か、具体的に記述せよ。

もしテストでこんな問題文を出されても、鉛筆の先はすぐ答案用紙を走ることはなさそうなのに、なぜかドキドキしながらそう呟いた。

私も手を伸ばすことにした。

日向くんの指先は、やっぱりひんやりしている。



「日向くん、ここに連れてきてくれてありがとう」

「ど、どーいたしまして!!」


日向くんにドギマギとした様子で、戻る!?って聞かれたから、もうちょっとだけここにいたいよと手を握りしめた。



next.