「どうかしたっ?」
日向くんが背中になにかがぶつかったのに気づいてまた振り返る。
大丈夫だよとあわてて答え、なんでもないことにし、密かに自分の鼻をさすった。
真ん前、日向くんの背中。
ガタガタと揺れる道は、あまり走りやすそうじゃない。
日向くんは力いっぱいペダルを踏みしめている。
「日向くん」
「なにっ?」
自転車、降りようかって。
そう聞きたいけど、断られる気がして、(もしくは、ガッカリさせるような気もして)、自分から話しかけたくせに言葉に迷った。
えぇっと……
「どこいくの? 公園だったら、さっきのところ真っ直ぐだったよね」
「そうだけど、よっと!!」
自転車の急ブレーキが甲高く響き、ガタッと流れていた景色が停まる。
日向くんに合わせて自転車から降りる。
なんてことのない風景だ。
家があって、道があって、森……ともいえないし、林とも言いづらいけど、自然があって、向こうはきっと人の畑と思われる。
田園風景というワードがしっくりくるかはわからないけど、そんなよくある日常のなか、日向くんはいつも学校の自転車置き場でやるみたく、自転車を停めた。
「さん、こっち!」
日向くんが目配せして歩き出す。
人の土地に勝手に入ったらまずい気が。
いいのかな。
「大丈夫、ここの人、おれ知ってるっ。好きにおいでって!」
「そー、なんだ」
日向くんの交友関係?というか顔の広さは、考えたところで理解が追いつかない。
そういうものとして受け入れて付いて行くことにした。
きょろきょろと辺りを観察する。
舗装されていない土の道、向こうに少しさびた掘っ立て小屋だとか、しばらく放置されてそうなトラクターを見つけた。
畑と思われる箇所は耕してあるような、中途半端に終わっているような……でも、奥には何か知らない木々が順々に植えられている。
「!?」
足を着地させた石が妙に滑りやすい。
あと少しで転ぶ、というところで持ちこたえた。
先を歩いていた日向くんが転びかけた私に気づき、ここまで戻ってこようとしている。
大丈夫だからと声を上げたけど、結局、日向くんは私と違って転ぶようなことはなく私の前にやってきた。
「さん、ごめん! おれ、早かったね」
「ううん、私が遅いせいだから」
「もう、後ちょっとだから、え、と!」
日向くんが急に頭の後ろに手を当てて空を見上げた。
なんだろ、鳥?カラス? あ、飛行機雲。
青空一直線、白い軌跡が伸びている。
だれかが絵筆をすべらせたかのようだ。
「ホントっ、あと、少しだから!」
日向くんの声になぜか緊張感が交じる。
右手が冷たい感覚にさらわれた。
「さん、すぐだよ」
日向くんの早口、指先。
握られているのは、私の片手。
やんわりと添えられた感覚は、ふりほどこうと思えばできるくらい優しいものだった。
導かれるままに日向くんの後ろを付いて歩く。
日向くんの後ろ髪が揺れる。
パッと振り返った日向くんとばっちり目が合った。
なぜか日向くんも驚いたようだったけど、すぐ日向くんは破顔した。
うれしそうに見えたの、きっと、気のせい、じゃない、はず。
「こっち!」
道なんか、ぜんぜん頭に入ってこない。
振り返っても、どこをどう歩いたっけと思いながら、日向くんと繋がった手をぎゅっと握り返して前を向いた。
日向くんの言う通り、その場所は、ほんとうに、すぐそこだった。
拓けたところにぽつんと伸びる、一本の木。
桜、なのかな。
真っ白い花がたくさん、たくさん咲いている。
周りには低い木もなく、緑がぽつぽつと生えているだけで、この木だけが悠々と根を張り、佇んでいる。
もう少し先に同じ種類と思われる樹木があったけど、冬の装いというべきか、どれも花は咲いていなかった。
ここだけ、春をどこからかもらってきたみたい。
「すごい……」
「ねっ!? これをさんに見せたかった!! さん、こういうのすきかなって」
「すき! 好きだよ」
そう返すと、日向くんは自分の髪をくしゃっと握りしめて、見せたかったという光景にもう一度目を向けた。
遮るものなく日を浴びている、この樹木。
花びらは、午後の日差しを散りばめたみたい。
風が通り抜ける度、まぶしさと柔らかなきらめきが揺れる。
目に見えないはずの光は、この木を通してその存在を示しているようだった。
ふっ、と風が止む。
木々のささやきが静まる。
日向くんと目が合った。
なんでだろ。
なぜか私のことを見ていたと勘違いした。
冷静になろうって、一歩、二歩と、このひとつだけの不思議な樹木に近づいた。
「す、すごいね、この木。桜かな? 日向くん、わかる?」
「んーー、桜より花がおっきい、ような?」
「学校にあるのは咲くのもう少し後だから、違う種類かな。ここだけ先に咲くなんて……」
根っこに躓きそうになって片手を幹に付いた。
ごつごつとしっかりとした木の表面は、繊細な花や枝と違って、積み重ねた年月と確かな力強さを実感させた。
ふんわりと、足元から湿度を含む大地の匂いがする。
幹の合間につぼみが顔を出していた。
「さん?」
日向くんが同じところを覗き込む。
「ここも花! すげ!! 上だけじゃないっ」
日向くんの関心がこのつぼみから、真上の花々、そして、またすぐ近くに戻ってくる。
なんでだか、こんなきれいな花よりも、日向くんに気を取られる。
落ちつけ、落ちつこう。
深呼吸だ。
「さんに見せたかった」
花の影が日向くんにかかり、また揺れる。
太陽に照らされても、日向くんはまぶしさにかまわずに続けた。
「この先、ちょっと広いから、他のやつ待ってる時にも来て練習しててさ、そんとき見つけたっ」
日向くんが声を弾ませ、気持ちよさそうに両腕を伸ばす。
「花はまだかなーって諦めてたんだけど、この木だけ咲いててさ!
あっ、そんな、花にキョーミあるわけじゃないんだけど、おれがさんと見たかったっていうか……、この花といっしょのさんを見たかった、というか」
日向くんがハッとした様子で、ぶんぶんと両手をせわしなく左右に動かした。
「はっ花もいいんだけど! さんとしばらく会ってなかったし、さん東京だったから。
卒業式の後、会えてないし……春休みだから、しょうがないけど」
日向くんはそれぞれの手を下ろし、ぽつり、こぼした。
「おれは、さんに会いたかった。
久しぶり!!
って、なんかそう言うのも変なんだけど、そんな気分!」
元気よく言い切ってから、日向くんは照れた様子で笑った。
なんだろう、なんなんだろう、この感覚。
日向くんの気持ちが伝染してきたのかな。
そわそわと助けを求めて、四方に伸びる花を眺めた。
「な……、なんとなく、わかる、かも」
どんな気分か、具体的に記述せよ。
もしテストでこんな問題文を出されても、鉛筆の先はすぐ答案用紙を走ることはなさそうなのに、なぜかドキドキしながらそう呟いた。
私も手を伸ばすことにした。
日向くんの指先は、やっぱりひんやりしている。
「日向くん、ここに連れてきてくれてありがとう」
「ど、どーいたしまして!!」
日向くんにドギマギとした様子で、戻る!?って聞かれたから、もうちょっとだけここにいたいよと手を握りしめた。
next.