ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

20








この木は、今が盛りなんだろう。
咲き乱れる様は、一際、美しい。

周りを見渡せば、どれも冬の姿のままだ。
四方に伸びる枝の先端に、これからやってくる春が蕾として待っている。

ふと、未来がよぎる。

これからもう少し時間を重ねたら、この木だけがまた季節を先取りするんだろう。

周りが一斉に花を咲かせ、春を迎える。

この木だけが花をすべて落とし、他より先に若葉を芽吹かせているはずだ。

その光景に、なんともいえない感情を覚える。

ぽつん、と、一本だけ、ちがうこと。



「かっけえなー」



日向くんが同じようにこの木を見上げて言った。

私の感じた何かをこれっぽっちも含まない、まっさらな眼差し。
日差しを受けて、さらに輝いている。


「この木だけ、ばーんってしててさ!!
 次、他のが咲いた時、おれが思うに、きっとこの木だけドンッてしてると思うんだよな。

 そういうの、かっけぇ……

 ねっ、さん!!」


「そう、だね」


「そんときもさ、見にこよう! いっしょに!」


「うん……」



なんだか緊張してくる。

そうなのかなって、日向くんに同意しつつ、密かに本心を隠している。

自分だけ違うのって、どうなのかな。


日向くんが自然に私の手を握り直して続けた。


さん、せっかく来たから、違う場所からも見てみない?」

「ちがう場所?」

「そこの坂のさ、下りたところから、こうっ、見てみるのもすごいから!

 こっち!! すべるから気をつけてっ」


ジェスチャー付きで説明されたのち、日向くんに引っ張られる。

少しぬかるんだ坂を下りてみると、角度のおかげもあって、満開に咲き乱れる様がいっそうまぶしい。

生きている。
エネルギーが光っているみたい。

日向くんが、ねって得意げに笑う。

つられて私もやわらいだ気持ちで頷いた。


こんな風に生きてみたいって、なぜか思った。







「ありがとう、日向くん。戻ろう」


「もういいのっ?


 さんがいたいなら、


 もっと、


 ここに」



「大丈夫」



今度は私が日向くんの手を引いて、数メートル、離れた向こうをかえり見る。

周りより早く春を迎えた花を見つめ、日向くんへ視線を移して告げた。


「そろそろ戻らないと、日向くんにトスあげる時間なくなっちゃうし」


今日はこの後、寄らないといけないところもある。
突発的に決めた約束は、けっこう時間がない。

日向くんが目を丸くして言った。

トス?って、疑問形。


「待ち合わせ場所、公園だったからトス上げてほしいかなって」


いつもの格好で来たことだし、バレーボールさえあれば日向くんにトスを上げるくらい余裕だ。
さすがに買ったばかりの服だと躊躇しただろうし、ちょうどいい。
日向くんのことだ、ボールを持ってきているはず。

けど、日向くんの反応が何となくにぶい。


「あれ、持ってこなかった?」


それとも、トスあげてほしくない、とか?

いや、そんな日向くんは想像つかない。

もしかして体調が悪いんじゃ、と心配し始めたところ、日向くんが複雑そうな表情で何かぼそりと言ってた。
聞き取れなかった。


「日向くん、いまの、もう一回」

「いやっ、いいよ、ボールはその、あるし」

「私、なんかまずかった?」

「ううんっ、だいじょーぶ!」

「えっ、大丈夫な感じしない!」

「ほんとっ、さん大丈夫!!」

「気になるよ、いまなんて言ったの?」


いつの間にか、日向くんが先頭になって、進んできた道を戻っていた。

私が転びかけた場所まで来たからか、日向くんは歩く速度を極端に落とし、少しだけ振り返って言った。


さんに言われて気づいたんだけど……

 トスのこと、忘れてたっ」


日向くんが私が一歩ずつ転んだりしないことを確認してから、ゆっくりと歩き出した。


「いやっ、忘れてたっていうと、正確には違うんだけど。あ、ボールはあるよ!」


自転車と一緒に置いてきたのは、予想通りだったらしい。


「でも、ボールはおれが練習する用で。
 今日会おうって言ったの、さんに会いたかっただけだから……

 さんにトスって言われて、そーいや、そうだったよなあって、そんだけ!

 だから、大丈夫!!」


自転車が置いてある場所に戻ってきてしまった。

理解しきれないまま、日向くんと手が離れる。

行きと帰り、同じ道。
なのに、振り返ってみても、私の記憶には道順は残っていない。

日向くんで、いっぱい。

手に残る感覚、間近で見た日向くんの瞳。
いまの言われたことも、そう。

って、そんなんじゃよくない。

慌てたけど日向くんはそんな私に気づくことなく、いつも帰る時と同じで、流れるように自転車止めを蹴ってサドルにまたがった。


さん、乗って」


さも当たり前のように呼びかけてくれる。


「……いいよ、歩く」

「なんで?」

「日向くんと歩きたい」

「!そ、そっか」

「あ、日向くんが先に行きたいなら」

さんとおれも歩くっ、歩きたい」


日向くんは自転車から降りてハンドルを握り、私のとなりまでやってきた。


「行こう、さん!」


同じように笑顔を返して頷く。

これからの道を、日向くんと歩く。

それだけで足が軽い。

隣で聞こえる自転車の車輪が、ガタン、ガタンと音を立てる。
日向くんの髪がやっぱり時折吹いてくる風で揺れる。


「なにっ!?」


すぐ視線に気づかれるから、あんまり横顔を見てられないのは残念だ。


「なんでもないよ」

「そう?」

「うん!」

「そっか、あ!」

「え?」

「東京に勝った?」

「へっ」


なんで、ここに“東京”というワードが出てくるのか。
また『勝った』という動詞の主語もはっきりしない。

日向くんは続けた。


さん、東京楽しそうって言ってたから、こっちも負けてらんないなって!」


あっでもっまだこんくらいじゃ勝てないか。
東京、だし。

もごもごと付け足す日向くん。
俯いたかと思ったら、今度は自転車が傾くほど、こっちに勢いよく身を乗り出した。


「ぜったいさんこっちにいてよかったって、おれ、思わせるから!

 そのっ、覚悟してて!!」


気迫。
熱意。

思考停止と、沈黙。


「……わかった、その、覚悟しとく」

「ん!!」


日向くんは満足そうに目を細めて、自転車をきちんと立たせてから意気揚々と歩き出した。

覚悟

  って、なんだろ。

なにかな。

なにを言わんとしているかちゃんと理解できたわけじゃないけど、日向くんの想いを受け取った、はず。

今日、会えてうれしいって、そういう気持ち。

気づけば日向くんも距離が離れていた。
私が歩くのが遅くなってたのもあるし、日向くんの方も早くなっていた。

少しだけ離れた日向くんまで、歩幅を広げて足を動かす。

日向くんのとなり、確保。

公園までの道に戻ってきた。


「日向くん」


ハンドルを動かす日向くん。
自転車の前輪と後輪で違う方向、日向くんだけがこっちを向く。


「本当にね、連れてってくれてありがとう」


たくさん花を咲かせていた姿が、なんだか元気をくれる。
それを見せたいって思ってくれたことも。


「お礼に、少しでもいいトスあげるね!

 行こうっ」


「う、うん……


 ……さん!!」


急に大きな声で呼び止められ、足を止めた。

さん……

もう一度呼ばれた。

日向くんが自転車と一緒に立ち止まり、地面を見つめている。

申し訳なさそうにもみえて、戸惑った。


「早く帰んなきゃいけなかった? 用事、あった? 私はいま解散でもいいけど……」


いくつ理由を挙げても日向くんは動かなかった。

こういう時は待つ他ない。

日向くん、なんだか真剣な表情で黙り込んでいる。

かと思えば、自転車を停め、いきなり頭を抱えてしゃがみ込み、またすぐ立ち上がった。

な、なにしてるんだろ。

疑問を言う間も無く両手を掴まれた。


さん、おれっ、さんのことすきだ!」


行こうって口を挟む隙なく日向くんは歩き出し、自転車!!ってまた踵を返して私の手を離した。

でも、自転車のハンドルを握って戻ってくると、一瞬視線を泳がせ、

手、……繋がない?

って、今度は遠慮がちにつぶやいた。



next.