この木は、今が盛りなんだろう。
咲き乱れる様は、一際、美しい。
周りを見渡せば、どれも冬の姿のままだ。
四方に伸びる枝の先端に、これからやってくる春が蕾として待っている。
ふと、未来がよぎる。
これからもう少し時間を重ねたら、この木だけがまた季節を先取りするんだろう。
周りが一斉に花を咲かせ、春を迎える。
この木だけが花をすべて落とし、他より先に若葉を芽吹かせているはずだ。
その光景に、なんともいえない感情を覚える。
ぽつん、と、一本だけ、ちがうこと。
「かっけえなー」
日向くんが同じようにこの木を見上げて言った。
私の感じた何かをこれっぽっちも含まない、まっさらな眼差し。
日差しを受けて、さらに輝いている。
「この木だけ、ばーんってしててさ!!
次、他のが咲いた時、おれが思うに、きっとこの木だけドンッてしてると思うんだよな。
そういうの、かっけぇ……
ねっ、さん!!」
「そう、だね」
「そんときもさ、見にこよう! いっしょに!」
「うん……」
なんだか緊張してくる。
そうなのかなって、日向くんに同意しつつ、密かに本心を隠している。
自分だけ違うのって、どうなのかな。
日向くんが自然に私の手を握り直して続けた。
「さん、せっかく来たから、違う場所からも見てみない?」
「ちがう場所?」
「そこの坂のさ、下りたところから、こうっ、見てみるのもすごいから!
こっち!! すべるから気をつけてっ」
ジェスチャー付きで説明されたのち、日向くんに引っ張られる。
少しぬかるんだ坂を下りてみると、角度のおかげもあって、満開に咲き乱れる様がいっそうまぶしい。
生きている。
エネルギーが光っているみたい。
日向くんが、ねって得意げに笑う。
つられて私もやわらいだ気持ちで頷いた。
こんな風に生きてみたいって、なぜか思った。
「ありがとう、日向くん。戻ろう」
「もういいのっ?
さんがいたいなら、
もっと、
ここに」
「大丈夫」
今度は私が日向くんの手を引いて、数メートル、離れた向こうをかえり見る。
周りより早く春を迎えた花を見つめ、日向くんへ視線を移して告げた。
「そろそろ戻らないと、日向くんにトスあげる時間なくなっちゃうし」
今日はこの後、寄らないといけないところもある。
突発的に決めた約束は、けっこう時間がない。
日向くんが目を丸くして言った。
トス?って、疑問形。
「待ち合わせ場所、公園だったからトス上げてほしいかなって」
いつもの格好で来たことだし、バレーボールさえあれば日向くんにトスを上げるくらい余裕だ。
さすがに買ったばかりの服だと躊躇しただろうし、ちょうどいい。
日向くんのことだ、ボールを持ってきているはず。
けど、日向くんの反応が何となくにぶい。
「あれ、持ってこなかった?」
それとも、トスあげてほしくない、とか?
いや、そんな日向くんは想像つかない。
もしかして体調が悪いんじゃ、と心配し始めたところ、日向くんが複雑そうな表情で何かぼそりと言ってた。
聞き取れなかった。
「日向くん、いまの、もう一回」
「いやっ、いいよ、ボールはその、あるし」
「私、なんかまずかった?」
「ううんっ、だいじょーぶ!」
「えっ、大丈夫な感じしない!」
「ほんとっ、さん大丈夫!!」
「気になるよ、いまなんて言ったの?」
いつの間にか、日向くんが先頭になって、進んできた道を戻っていた。
私が転びかけた場所まで来たからか、日向くんは歩く速度を極端に落とし、少しだけ振り返って言った。
「さんに言われて気づいたんだけど……
トスのこと、忘れてたっ」
日向くんが私が一歩ずつ転んだりしないことを確認してから、ゆっくりと歩き出した。
「いやっ、忘れてたっていうと、正確には違うんだけど。あ、ボールはあるよ!」
自転車と一緒に置いてきたのは、予想通りだったらしい。
「でも、ボールはおれが練習する用で。
今日会おうって言ったの、さんに会いたかっただけだから……
さんにトスって言われて、そーいや、そうだったよなあって、そんだけ!
だから、大丈夫!!」
自転車が置いてある場所に戻ってきてしまった。
理解しきれないまま、日向くんと手が離れる。
行きと帰り、同じ道。
なのに、振り返ってみても、私の記憶には道順は残っていない。
日向くんで、いっぱい。
手に残る感覚、間近で見た日向くんの瞳。
いまの言われたことも、そう。
って、そんなんじゃよくない。
慌てたけど日向くんはそんな私に気づくことなく、いつも帰る時と同じで、流れるように自転車止めを蹴ってサドルにまたがった。
「さん、乗って」
さも当たり前のように呼びかけてくれる。
「……いいよ、歩く」
「なんで?」
「日向くんと歩きたい」
「!そ、そっか」
「あ、日向くんが先に行きたいなら」
「さんとおれも歩くっ、歩きたい」
日向くんは自転車から降りてハンドルを握り、私のとなりまでやってきた。
「行こう、さん!」
同じように笑顔を返して頷く。
これからの道を、日向くんと歩く。
それだけで足が軽い。
隣で聞こえる自転車の車輪が、ガタン、ガタンと音を立てる。
日向くんの髪がやっぱり時折吹いてくる風で揺れる。
「なにっ!?」
すぐ視線に気づかれるから、あんまり横顔を見てられないのは残念だ。
「なんでもないよ」
「そう?」
「うん!」
「そっか、あ!」
「え?」
「東京に勝った?」
「へっ」
なんで、ここに“東京”というワードが出てくるのか。
また『勝った』という動詞の主語もはっきりしない。
日向くんは続けた。
「さん、東京楽しそうって言ってたから、こっちも負けてらんないなって!」
あっでもっまだこんくらいじゃ勝てないか。
東京、だし。
もごもごと付け足す日向くん。
俯いたかと思ったら、今度は自転車が傾くほど、こっちに勢いよく身を乗り出した。
「ぜったいさんこっちにいてよかったって、おれ、思わせるから!
そのっ、覚悟してて!!」
気迫。
熱意。
思考停止と、沈黙。
「……わかった、その、覚悟しとく」
「ん!!」
日向くんは満足そうに目を細めて、自転車をきちんと立たせてから意気揚々と歩き出した。
覚悟
って、なんだろ。
なにかな。
なにを言わんとしているかちゃんと理解できたわけじゃないけど、日向くんの想いを受け取った、はず。
今日、会えてうれしいって、そういう気持ち。
気づけば日向くんも距離が離れていた。
私が歩くのが遅くなってたのもあるし、日向くんの方も早くなっていた。
少しだけ離れた日向くんまで、歩幅を広げて足を動かす。
日向くんのとなり、確保。
公園までの道に戻ってきた。
「日向くん」
ハンドルを動かす日向くん。
自転車の前輪と後輪で違う方向、日向くんだけがこっちを向く。
「本当にね、連れてってくれてありがとう」
たくさん花を咲かせていた姿が、なんだか元気をくれる。
それを見せたいって思ってくれたことも。
「お礼に、少しでもいいトスあげるね!
行こうっ」
「う、うん……
……さん!!」
急に大きな声で呼び止められ、足を止めた。
さん……
もう一度呼ばれた。
日向くんが自転車と一緒に立ち止まり、地面を見つめている。
申し訳なさそうにもみえて、戸惑った。
「早く帰んなきゃいけなかった? 用事、あった? 私はいま解散でもいいけど……」
いくつ理由を挙げても日向くんは動かなかった。
こういう時は待つ他ない。
日向くん、なんだか真剣な表情で黙り込んでいる。
かと思えば、自転車を停め、いきなり頭を抱えてしゃがみ込み、またすぐ立ち上がった。
な、なにしてるんだろ。
疑問を言う間も無く両手を掴まれた。
「さん、おれっ、さんのことすきだ!」
行こうって口を挟む隙なく日向くんは歩き出し、自転車!!ってまた踵を返して私の手を離した。
でも、自転車のハンドルを握って戻ってくると、一瞬視線を泳がせ、
手、……繋がない?
って、今度は遠慮がちにつぶやいた。
next.