「なんで、おれ」
日向くんは真剣な表情だった。
「自転車で来てしまったのか……!」
「えっ」
「そうじゃなかったら、さんとずっと手つなげるのに!」
日向くんの声がすごく残念そうに聞こえて。
「そ、そしたら、ほらっ!」
いつもなら躊躇するのに、ハンドルを握る日向くんの手に自分のを重ねた。
周囲に人はいない。
日向くんが私の手、私の目を順に見つめた。
なにも言ってくれないから、口を動かした。
「これだと、歩きづらいかもだけどっ。
……前に、日向くん、片手で自転車押してたことあるし、日向くん、運動神経あるから」
「さん」
「や、やめた方がいいよね!」
反射的に手を離したものの、日向くんは嫌な顔はしておらず、むしろ嬉しそうに首を横に振った。
私が手をはずした方、日向くんの左手もなぜかハンドルから外される。
日向くんの片手で支えられている自転車。
いまは動かしていないから、先ほどと変わらず安定した状態だ。
もしかして……、片手のまま自転車を支えて公園に行くのかな。
進む方向はごくふつうの歩道なので、できなくはなさそうだ。
「さんがさ」
日向くんの方に視線を戻す。
「こっち、おれの代わりに持ってくれたら上手くいけそう」
それは自転車のハンドルのことだ。
日向くんの代わり……、想像のつく通り、左手を伸ばした。
日向くんが右手で右側を、私が左手で左側をつかんでいる。
二人の力で自転車は安定している、けど、日向くんが私のいる方に立っているから、このまま歩き出せば足がぶつかって進めない。
「日向くん、これだと歩きづらいんじゃ」
話しかけて気づいた。
日向くん、固まってる。
顔赤い、気がする。
視線を下げれば、靴同士もあとちょっとでぶつかりそうなほど近かった。
自分の考えのなさに後ずさる。
「ごめん、日向くん!」
「わっ!?」
「ご、ごめん! だいじょぶ!?」
「だ、だいじょーぶ」
1回目のごめんは近すぎたことに対して。
2回目は、私がハンドルを離したせいで自転車の前輪がガクッとよろめいたから。
さすがの日向くんも力のかかり方が急に変わったせいで、バランスが取れなかった。
「やっぱり……、つなぐの無理みたい」
「さん、左じゃなくてこっちの手を、さ」
私の右手が、空いた自転車の持ち手へ運ばれる。
その上に、日向くんの手が覆いかぶさる。
私の手ごと、日向くんがハンドルを握った。
「こ、これならいけるっ!」
風が吹く。
「ねっ?」
日向くん、いつも通り。
だけど、頬っぺたが、間近で見たときと同じ。
ちょっとだけ赤い。
「行こうっ、さん、時間ないし!」
「そう、だね」
日向くんが自転車を押すのに合わせて一緒に歩き出す。
風が冷たく感じる。
「すっ」
す?
疑問に思うほど、間を開けて日向くんが言った。
「……げー、いま、しあわせ!」
聞き返すと、日向くんが言葉通り満足そうに笑う。
「さんとこうしてられて、うれしいっ。
ずっと会いたかったから!!
ってさっきも言ったけど。
二人で会うのはー、
えぇっと……
そっか!
卒業式のあと、……さんがすきって聞かせてくれたときが最後だ」
“ す き ”
“ 日向くんのことがすき ”
あの瞬間がよみがえる。
日向くんに抱きしめられた感覚。
胸の中で押さえきれなくなった気持ち。
受けとめてくれた日向くんの、うれしそうな顔。
しでかしてしまった感触も、ぜんぶ思い出せる。
気恥ずかしくなって声が一瞬裏返った。
「そ、そんなことないよっ、卒業おめでとう会に行くときだって」
「さん、おれのことすき?」
ぎゅっと改めて重なる手に力が入った。
その手は日向くんのだ。
日向くんが、私の手を強く握った。
「ねっ、さん」
話しかけてくれる声はどこか弾んでいる。
スキップしているみたい。
おれはさんのことすきだ。
日向くんは、今日の待ち合せはって電話口で約束したときみたく自然に話す。
「さん、もっかい聞かせてくんない?」
「えっ」
「あのとき、聞かせてくれたこと」
日向くんは真っ直ぐに尋ねた。
子どもを乗せた自転車が、そばを通り過ぎる。
街路樹を眺めても、悠々と枝が伸びているだけで、アドバイスをくれることはない。
「な、んで、そんなの」
「聞きたいからっ」
「……ここ、は、外だし」
「どっか場所行く?」
「そ、そこまで?」
「おれ、聞きたいっ」
屈託なく口にできる日向くんが、ずるくさえ思える。
間もなく公園だ。
「……じゃあさ、日向くん」
「ん!」
「トスと、……それ聞くの、どっちがいい?」
「ぐあっ! そ、それ、選ばないとダメ?」
「ぜったい、とは言わないけど……」
もうちょっとでトスを上げられる広場に到着する。
日向くんがうー、となんとも言えない唸り声?をあげて悩んでいる内に、自転車が置けそうなスペースに辿り着いた。
日向くんがブレーキを念のためかけて、自転車が止まった。
手はまだ触れあったまま。
「どっちも!! が、いい」
けど、とすぐ続く。
「さんがそう言うなら、あ、いいよっ、後やる」
自転車のことだ。
急にスイッチが切り替わったみたく、日向くんは声色を変え、私の手を自由にした。
日向くんは自転車止めを軽く蹴り、荷物からボールを取り出す。
やっぱりトスなんだ。
バレーの方だよねって、妙に落ちついた気持ちで納得した。
準備していた勇気と緊張をほっと解き放つ。
日向くんがボールをそばに置いた。
なんでだろ。
あ、準備体操か。
「!?」
「さんがどーしてもっていうなら、おれが言う!」
なにを?って、日向くんは尋ねる間もなく答えをくれる。
気づけば日向くんの腕の中だった。
「さんがすきだ」
知ってる。
「すきっ。
すげーすき。
前よりずっと、ずっと、すきだ」
「あ、あの」
距離を置こうとやんわり押し返してみても、それ以上の力で引き戻される。
「もうちょっと、……こうしてたい」
のは、いいんだけど。
「日向くん、ば、場所がっ。
場所が、ね?
場所……」
訴えが通じたらしい。
日向くんの腕から解放された。
「ありがと、日向くん」
日向くんは何にも言わず、ボールを拾い上げた。
原因は自分にあるのはわかる。
かといって、どうすればよかったのか。
ここは公園入口で、向こうで小学生たちが鬼ごっこをしている。
そばの歩道は、犬を連れた人もいる。
本日は晴天、隠れようのない澄んだ青空。
心地よい風が吹く、どこまでもオープンな場所。
「日向くん」
準備体操しよっか。
あの場所、ちょうど空いてるよ。
ボールはそこに置いて練習しよう。
続ける言葉はいくつも浮かぶ。
口に出せば、日向くんはいつもと同じように受け入れてくれる。
それでも、伝えるべき想いを自覚した。
「ね、日向くん」
腕を、絡めてみた。
日向くんはバレーボールに気を取られていた。
隙を突くのはかんたんだった。
“私もすき”
囁きを届けるには十分だった。
向こうで小学生たちが騒いでいる。
私たちの間を心地よい風が通り抜ける。
「じゃあ、」
始めよっか。
言い切る前に、離れかけた腕を日向くんにつかまれた。
ギュッと、それはいつもより力が強かった。
ボールが日向くんの手元から落ち、弾み、転がっていく。
日向くんが眉を寄せ、俯いた。
「おれも、……、……なんで、どっちもできないんだろ」
私の腕を掴んだまま、日向くんは目でボールを追いかけた。
next.