ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

22






日向くんにつかまれた腕は、痛かった。

けど、私が日向くんの手を握ったのは、振りほどくためじゃない。


「どっちも、できると思うっ」


日向くんは目を丸くする。

心を込めて日向くんの手をぎゅっと握った。


「まずね、今からバレーする。そしたら」


公園にある時計をチラを確認する。

30分……、いや、1時間、だと、この後の移動を考えると厳しいか。


「45分くらいしたら、またっ」


抱きしめられた感覚がよぎる。


「また……、さっき、みたく」


ドキドキする。

緊張してくる。

嫌がられないってわかっているつもりでも、日向くんに近づくのは、なんだか、こわい。

自分のことなのに、この感覚の正体がわからない。

それでも、日向くんに届くようにささやいた。






「ぎゅって、……しよ。

 今度は、ちゃんと、隠れたところで」


それならいいよね?って、おそるおそる日向くんの顔を覗き込む。

日向くんとばっちり目が合った。

私を掴む手がやさしくなった。


さん……、のこと」

「え?」

「おれ、

  すごくすき、

      ……です」

「……う、ん」


うれしいけど、頷く以外の行動がいつも取れない。
こそばゆい。うれしい。くすぐったい。


「おれ、さ、……おれ」


日向くんがいつもよりゆっくりと言葉を選んだ。


さんのこと、毎日すきだ。今日会えて、もっとすきになった。
 ……会ってない時も、明日も、明後日も、ずっと、これから先も。

 さんのこと、すきだ!!」


なんでだろう。
うれしそうなのに、困っているようにもみえた。


「おぉっし! さん、やろ!! あげてくれるなら、やっぱりトス、うれしい!」

「そ、だね、やろっか!」

「あれっ? ボール」

「あそこ!」

「おぉっ、そーだった!」


日向くんが、なにもなかったみたく、離れていく。

さんって呼んで、ボールを放り投げる。

放物線を描いて飛んでくる、いつものボール。

6人じゃない、これまでと同じ始まり。


「そうだ、準備体操っ!」

「しないとねっ」


ボールが転がっていかないよう注意して適当な場所に置き、二人して身体を伸ばす。

こつこつ続けている練習のおかげか、私の身体も随分と運動向きになったようだった。

といっても、日向くんを見ていると、もっと入念に身体を動かさないと、高校初日早々、一人だけ松葉づえ、なんて未来が見える。

……日向くんと自分は違うことを自覚して、丹念に足も腕も丁寧にほぐした。


さん、いけるっ?」

「うん、やれるっ」


久しぶりのトス。

日向くんに向けて出すボール。


青空、晴天、どこまでも広い世界。


「日向くん、いい?」


心がときめく。

いつだって、日向くんのそばにいると、こんな気持ちになる。


「おうっ!!」


“次”を待ち望む日向くんに追いつけるよう、私は手の中でボールを回した。

深呼吸、ひとつ。

これまでと同じ、想いを込めて。



「日向くんっ」



高く、たかく、導くように。

いや、私の方が連れて行ってもらっている。


丁寧に、敬意を込めて。


相手へと差し出すように押し出したボール。

次の瞬間、高い位置から日向くんの手によって地面に叩きつけられていた。


「しゃっ!!」


ボールが勢いよく空へ跳ねる。

日向くんが降り立つ。


この光景を、これからも見ていたい。








さん、もう一回!!

 って、時間!!!」

「そう、だね、時間……」

さん、用事が!!」

「ん……」


日向くんといると、ましてトスを上げている時は、いつだって時が流れるのが特別早くなる。

公園にあった時計は、気づけば長針も短針も予想以上に移動していた。


「だっ大丈夫!? ごめん、おれ、ついっ」

「いいよ、平気」

「でも!!」

「……明日にする、用事」


元々ちょっと寄るだけのつもりだったし、明日、上手く時間を作ればいい。
うまく、その、なんとかする。

申し訳なさそうに肩を落とす日向くんに尋ねた。


「楽しかった?」

「へっ?」

「トス、私の」

「もっもちろん!! もっと欲しい!! ……くらいってことで!」

「あと一回」


いや。


「もう、あと10本くらいあげよっか」


用事を明日に回すと決めれば、もうちょっと日向くんと一緒にいられる。

いいのっ?って、うれしさ半分、そわそわ半分で日向くんは聞き返した。

大丈夫という気持ちを込めて笑顔を作った。


「そうしたいから」

「!あ、ありがとう」

「日向くん、疲れてない?」

「おれは全然!! もう20回でもいける!」

「そ、それはちょっと」


体力が持ちそうにない。

いくらこれまでより身体を動かしているとはいえ、日向くんについていけるほどでは全くない。

日向くんも察したようで、そういう意味じゃなくて!と慌てた。

そんな日向くんが面白くて少し笑いあったのち、また空を見上げた。

日向くんが何度も飛んだ空。

ネットの向こう、そのネットがまだ存在しない。

風が吹く。
春を感じさせる、冷たいけれど、あたたかさを含む風。


「日向くん、やる?」


声をかけると日向くんは瞳を輝かせた。

まるで練習をはじめたときみたく位置についた。


「お願いシャッス!!」


大きく頷いて準備した。

鼓動が早い。疲れを感じる。

でも、自分はやれると確信している。

こういう時こそ、集中。

深く息を吸い込んだ。長く息を吐いた。

見据える空は、オレンジ色が広がってきた。


「日向くんっ」


予定とか、効率だとか、やるべきこと。

ぜんぶ置き去りにして、もう一度ボールを高く、スパイカーの元へと送り届けた。







「いいって、日向くんっ」

さん、付き合わせたんだし、乗って!」

「でも、日向くんも疲れてる」


10本、おまけの3本をやったのち、日も落ちてきたので帰ることになった。

日向くんが自転車に乗ってと繰り返す。

実際早く帰らなきゃいけないのは事実ではあるので、こんな言い争いしてる場合じゃない。


「えーっと、……そうだ、私、走るよ!」

「だったら、おれが走る!! で、さんが自転車使って!」

「なんで!? 日向くんの自転車だよっ」

さんに練習付き合ってもらったんだし、それくらい余裕!!」

「い、意味がよく」

「ほら、さんっ」


日向くんはもう一度どうぞと言わんばかりに自転車を私の方に差し出した。

後ろに乗らないなら、どうぞ乗ってください、という流れにどうしたものかと思いつつ、日向くんに根負けして、自転車にまたがった。

バス停までだし、いっか、……いいのかな。


さん、いける!?」

「日向くん、ほんとにいいの?」

「いいよ!! ホントは、おれの後ろに乗ってほしい!」


固まった私に、日向くんは気づいている。
悪戯っぽく付け加えた。


「今日は、これで我慢する! 行こっ」


日向くんが真っ先に走り出す。


「待って!」


なんで自転車の私が置いて行かれるんだろう。

私よりも何度も飛び上がっていた日向くんは、まるで今日初めてランニングする勢いで加速した。
早い。
青信号がチカチカする横断歩道をあっという間に渡り切った。

自転車だというのに、一歩(1車輪?)遅れた私は、大人しくブレーキをかけて日向くんの背中を見送った。

日向くん、……体力すごい。

あ、気づいてくれた。


さーーんっ」


横断歩道の向こう、日向くんが戻ってきて飛び跳ねて、両腕を大きく振っている。

さすがに疲れた私は片手で応えた。

なんだってこうも体力が違うのか。
元々男子と女子で身体の構造が違うとはいえ、周りの人たちを思い浮かべてみても、日向君ほどの体力の持ち主がいそうにない。

いや、と浮かぶ顔に、密かに眉を寄せた。


さん、青だよ!」


日向くんに声をかけられて、信号が変わっていたことに気づいた。

自転車のペダルを踏みしめる。

ガタン、ガタンと自転車のタイヤが段差を踏みしめて振動した。


さん、どうかしたっ?」

「えっ」

「なんか、ここ、くっついてたから」


“ここ”とは眉間で、無意識に日向くんからわかるほど難しい顔をしてしまったらしい。

ぶんぶんと首を横に振った。
浮かんだあの人を振り払う。


「疲れただけっ」

「お、おれのせい」

「そうじゃなくてっ、私が体力ないだけだから」


自転車と並走できる日向くんは、元気が有り余っているようだ。


「おれの元気、

 さんにあげらんないかなー」


日向くんは自転車と速度変わらず走りながら空を見上げた。

暗くなってきても、空は冬のときより明るい。


「日向くん」

「なにっ?」

「向こうにさ、ほら」

「あ!!」


日向くんはひと際大きな声を上げて指差して言った。


「リボンのやつ!! オリオン座っ」


季節の移り変わりとともに、星座は前に見かけた位置から大きくずれていた。

まだ、見つけられた。

また、一緒に見られた。


「きれいだねー、オリオン座」

「おーっ」

「日向くんとみられたから」


風のせいで視界を遮る髪を避けてから続けた。


「元気、もらえたよ」


間をおいて、おれも!!!って、日向くんは自転車よりも早く、まるで飛ぶみたいに駆けた。


next.