「さんといると、時間すぐ経つ」
バス停前。
私が乗るバスを二人で待っていた。
日向くんは先に帰ってもいいのに、わざわざ自転車を停めて一緒に並んでくれた。
少しでも二人でいられるように。
「日向くん」
「ん?」
日向くんと目が合う。
いつものことなのに、なんでだか緊張して、早口になった。
「今日も、夜、電話しようね」
「う、ん!! し、しよ!!」
「うん」
「今日はさ、夏にバレないようにするっ」
思い出し笑いをしつつ、首を横に振った。
「いいよ、夏ちゃんとしゃべるの好きだし」
「お、おれが困る! おれだってさんとしゃべりたいっ。
夏が話しだすとおれの携帯なのになかなか返してもらえないっ。最近、前よりすばしっこくてさ」
日向くんが身振り手振りで夏ちゃんのすばやさを説明してくれる。
日向くんの妹とあって運動神経は折り紙付き、二人の追いかけっこの様子も電話越しに聞いたことがあるので、想像はついた。
笑いを噛みしめていると、日向くんがジッとこっちを探るように見る。
「さんはさ、おれとしゃべるより夏としゃべりたい?」
「?日向くんと話したいし、夏ちゃんと話すのも好きだよ」
「! おれと話すの、……すき?」
「すき」
こういう“すき”は至極かんたんに頷けてしまう。
日向くんは身じろぎせず動かなくなった。
「日向くん?」
「お! おれもっ、さんのことっ、すき、だいすき!」
「う、うん!」
いま、そういう話してたっけ!?と混乱しつつ、ぎこちなく相槌を打った。
日向くんが瞬きする。
その瞳に自分が映る。
気恥ずかしくなって顔をそらした。
「こ、今度、夏ちゃんに会いに行こうかなっ」
遊びに行く約束はずいぶん前に交わしたけど、受験もあってタイミングを逃していた。
日向くんは、また夏っ!?ってやや不満げに声を上げた。
慌てて付け加えた。
「うっうちに来てもらってっ、ほら、日向くんも一緒に!」
「おれも?」
「夏ちゃんだけだと、お母さんも心配するだろうし……、前から他の編みぐるみも見てみたいって」
私が夏ちゃんと電話で話してただけだから、日向くんは知らないか。
家庭科部の活動は中学3年分、それなりに真面目にやってきたため、制作物はそれなりにある。
夏ちゃんは以前あげた小さいものを気に入っているそうなので、大きいのもセットにプレゼントしようかと話していた。
「けっこう数あるから、ウチに来てもらって、夏ちゃんに選んでもらうのがいいかなって」
「……」
「あっ、でも、少しかさばるから私が持って行ってもいいし」
そう言いつつ、実際、部屋に並んでいるそれらをどうやって一人で持ち運べるんだろうと疑問が浮かぶ。
ずらりと並んだ人形たちは材料的に重くはないものの、きっと抱きかかえたらすごい絵面になるはずで、ぜんぶを持っていくのは無理がある。
それに、いくら夏ちゃんが欲しいと言っても好みがあるだろうし、万一ぜんぶいらなかった場合、連れ帰るのもまた一苦労だ。
「……やっぱり来てもらった方がいいかな」
「いいの? さんの家」
「え? いいよ」
前に日向くんの家に遊びに行ったときも、親から『相手の子にも遊びに来てもらったら』と声をかけられたことがある。
「大歓迎だよ!」
そう声をかけたものの、日向くんは私の予想と異なる表情でつづけた。
「おれだけでも?」
お れ だ け で も。
言葉はきちんと聞き取れた。
日向くんが言わんとしていることを理解しきれていないだけで。
今度は日向くんの方から視線を外した。
「へ! 変なこと言った。ごめん」
日向くんは手持無沙汰に自分の髪を片手で払って黙った。
お互い沈黙してしまう。
私が何とかすべきと思うのに、日向くんの意図がわかっていない。
なんで日向くんだけだとダメになるんだろう。
「いっ、いいよ、さん! おれが、その、へっ変な想像したからっ」
「想像?」
「い、い今のなし! たっただ、夏、連れてくのはまた今度!」
日向くんが私の手を取って、自分の方へとやや強引に引っ張った。腕と腕がくっつく勢いだ。
日向くんが近い。
「おっ、おれ! まだ、さん足りないっ。学校始まったらまた時間なくなるし、春休みくらい、その、もうちょっと……」
もうちょっと、……なんだろう?
言葉の続きを待っても、日向くんから視線が返ってくるだけで、その先はいつまでも話してくれなかった。
合図を送るみたく、手を握り直した。
「もうちょっと……、なに?」
「いや! えっと!! ……さんはさ」
日向くんが仰々しく咳払いして、私に向き直った。
「おれと二人でいたいって思わないっ?」
急に小声になって、日向くんは続けた。
さっきの、“ぎゅっ”て、まだ、やれてない。
“ ぎゅって、……しよ。今度は、ちゃんと、隠れたところで ”
それは確かに自分が言ったことだ。
覚えている。
そわそわと辺りを見回すと、ちょうど向かいの歩道に人が歩いていた。
日向くんも私が言わんとしていることを察してか、大きな声でわかってると言った。
「わ、わかってんだけど……、おれが、言いたい、のは」
日向くんが言葉を止めたのは、バスが来たからだ。
手が離れる。
「さん、バス、きた」
「……いい。乗らない」
日向くんがびっくりして、一緒に見た時刻表について口にした。
そう、既に前のバスを逃し、このバスまで見送れば、さらに私は遅刻することになる。
家に電話したことも日向くんは知っている。
バスからは幾人かが下り、入り口のドアは空いている。すぐに乗らなければ、私以外乗客になりそうな人物はいないので、バスは出発するだろう。
わかっていた。
だからこそ、迷わない内に決意を決めて日向くんの腕を取った。
さんっ!?
日向くんの驚きが伝わってくる。
鼓動もどんどん早まっていく。
なんだって、人は、何度も経験したことでも、こうも緊張してしまうんだろう。
世界のだれも、私たちのことなんか、気にかけやしないのに。
「ぎゅっ
って、ほら」
隠れる場所なんて、人が住むところに早々ない。
電信柱の影だって、私たち二人をきれいに覆い隠すこともない。
だから、一瞬だけだった。
ぎゅっと、飛びつくように。
いつも、日向くんがしてくれるみたく、ぎゅっと。
日向くんの匂いがして、ぬくもりがあって、衣服越しの緊張感をお互いに理解しあったくらいに離れた。
「さん」
かすれた声だった。
他の人に聞こえないように気を付けてくれたように思う。
さん、もうちょっと。
もうちょっとだけ……
なんて返事をすればいいかわからなくて、小さく頷くと、私がした時より強く日向くんが“ぎゅっと”抱きしめてくれた。
次に顔を見合わせた時、日向くんがとてもうれしそうで、私も安心した。
「さん!!!」
「つ、次のバスは乗るね」
「うん!!」
「あ、あと、ちょっとまた家に電話する」
「うん!!」
なんで日向くんははずかしくなったりしないんだろう。
疑問に思いつつ、家に電話をかける。
電話の向こうからは想像通りの反応が返ってきて、日向くんがそばにいるのを忘れてため息をついてしまった。
いけない。日向くんに気を遣わせてしまった。
携帯をしまって、大丈夫だよとポーズを作った。
気持ちを強くこめて、しょげた様子の日向くんに言った。
「私がね、そうしたかったからいいの」
「で、でも、けっこう怒ってたよーな」
「あ、まあ……怒っては、いる」
「お、おれのせいで……!!」
「いいって、ほんと!」
ふと、どこの高校に進学するか決めた時のことがよぎった。
合格発表が出そろった夜。
あの時とまるで違うシチュエーションなのに、あの時と同じ静かな緊張感と決意の存在を実感した。
大丈夫。
わたしは、大丈夫。
魔法の呪文のように頭の中で唱える。
バス停まで日向くんの手を握った。
「大丈夫だよ、……自分で決めたことだから」
next.