心で決めたこと。
自分がしたいからそうする。
だから“大丈夫”だ。
「日向くんがいてくれるしね」
安心できるよう優しい声色を心掛ける。
当の日向くんはどこかぽかんと固まっていた。
もしもし?なんて片手を振ってみると、ハッとした様子で我に返る。
「日向くん、もしかして疲れた?」
「ななんで!?」
「ぼーっとしてた」
「これはッ、その」
バス、もう来るかな。
「さん!!」
手を引かれると、自然に距離は縮まる。
日向くんはいつだって私と真っ直ぐに向き合ってくれる。
鼓動が早まり、息をのむ。
日向くんは続けた。
「あ、明日会えない!?」
あした? また急な提案だ。
表情に出ていたのか、日向くんは私を呼び留めた勢いをぐっと抑えて一歩退いて続けた。
「明日がムリなら、明後日でも、その次でも……
おれは、もうさんに会いたい!」
日向くんの視線の先は紛れもなく私だ。
本当に日向くんにテレパスでもなんでも力があるなら、この繋がった手のひらから私の全部がバレているだろう。
緊張、戸惑い。高揚感。
会いたいって言われたら、意識せずにいる心の奥底のホンネが顔を出す。
くすぐったくて、でも、うれしい。
バスが見えてきたのが残念なくらいだ。
「……帰ったら電話する。タイミング合わなかったらメールする」
「う、うん」
「えっと、明日は難しくて。明後日だったら」
「会えるっ?」
「実は午前中と午後、宿題やろうと思ってて」
宿題?って日向くんは他人事みたいな反応だ。
とうに知っていることだろうけど、と前置きしてきちんと説明した。
烏野高校入学生向けの英数国の宿題。
男女関係なく、今年の4月から烏野にはいる生徒に出されたものである。
日向くんはわかりやすく脱力した。
予想通りだったので、その姿に笑いをこらえつつ、続けた。
「早めに終わらせるから、そのあとだったら」
「さんっ! それ、どこでやんの?」
ちょうどバスがクラクションを遠くで鳴らした。
音のする方を見れば、一台のバイクが道路を横切っていった。
日向くんが、よっし!と気合いを入れると、私の手を離した。
どこか真剣そうな眼差し。
日が落ちてきたのもあって、バスのライトだろうか、日向くんの瞳がキラリ、ひととき輝いた。
「おれも、さんと“ベンキョー”する!」
「ええっ!」
「そ、そんな驚くっ?」
「まあ……」
素直に頷くと、日向くんは複雑そうな顔して両腕を組んだ。
「そりゃー、ショージキ、やりたい訳じゃないけど、いっしょにやったら、さんと一緒にいられる!!」
バスのドアが開く。
一人降りて、後の人たちは席に座ったまま。
日向くんは停めていた自転車に颯爽とまたがった。
「さん、今日ありがと!! 気をつけて帰って! 後でっ」
「日向くんもっ、ありがとうっ」
なごり惜しむ時間もない。
日向くんは自転車を立ちこぎに切り替え、すぐさま姿が遠のいていく。
バス、乗らなくちゃ。
これまでと同じように車内に乗り込んで、目についた手すりを掴む。
少しだけしゃがんで前方ガラスの向こう、日向くんを探してみても、もう見えない。
“ いっしょにやったら、さんと一緒にいられる!! ”
日向くんがくれた言葉を反芻する。
いっしょに、いられる。
ちゃんと約束したわけじゃないけど、会いたい気持ちは同じってことだ。
また頬っぺたがゆるんでる。
窓ガラスに映った自分がなんとまあ間の抜けた顔で、すぐさま気持ちを切り替えようと試みた。
なのに、“ぎゅっ”てした感覚が、ぎゅってされた温もりが、ぜんぶ邪魔して失敗に終わった。
家に帰ってすぐ、連れていかれた親戚の家。
高校入学おめでとうっていう名目で集まっているため、一応主役である私がいないと話にならない。
そう、親にはチクチク言われたものの、いざ始まってみれば、主役がいようがいまいが関係ないように思われた。
ただ、好きなものだとか、おいしいものをこれでもかとご馳走してもらえたのはよかったし、やっぱりお祝いしてもらえるのはうれしい。
眠たくなるほどおなかも満たされ、賑わいから抜け出した。
夜風が心地いい。
ここら辺の家はどこも縁側から眺めるだけでわかるくらい庭が広い。
奥の広間からは楽しそうな大人たちの会話がこぼれていた。
「、今日何してたんだ?」
「けーちゃん!」
従兄が、庭先で、いつもと同じく、もくもくと煙を噴き出している。
私を気遣ってか、風が気になったかわからないけど、従兄は煙が私に届かない位置へ移動した。
従兄もばっちり母の小言を聞いていたようで、ばつが悪い。
「ちょっと遅刻しただけなのに」
「のお祝いだからなー」
「あんな怒らなくてもいいのに。主役だよ?」
従兄はどっちの言い分もわかるのか、カラッと笑い声を上げた。
その横顔は、やっぱり祖父にそっくりだった。
今日のお祝いの席に祖父はいない。
“けんさにゅういん”って聞いている。
「ねえねえ、けーちゃん」
「なんだ?」
「春になったらいっぱい遊びに行くからね」
「はあ?」
「なにその反応。坂ノ下って烏野の人みんな行くから、私も行くよってだけ」
通学路にある坂ノ下商店。
烏野高校は大きな坂を上がったところにあるから、ちょうど坂の始まりに位置する。
通学に利用するバスも、坂の上まで連れていってくれないので、バス停から学校までの間、これまでより容易に従兄に会いに行ける。
「来んなくんな、オマケしねーぞ」
「!そういうの目当てじゃないってば」
「学校で従兄妹だってこと言うなよ?」
「なんで!?」
「気まずいじゃねーか、の友達が集まってきても困る」
そんな迷惑がられるのも納得がいかない。いや、もしかして照れ隠しかな。
従兄が外履きを脱いで上がってきた。
きっとみんなのいるところに戻るんだろう。
と思いきや、従兄はぴたりと足を止めて私を見下ろした。
間をおいて、従兄は視線をそらして言った。
「なんで、烏野にした?」
いつか、聞かれるとは思っていた。
「受かってたんだろ、難関校」
難関校、といえば、この辺りの人ならピンとくる、バレーでも有名な某学校のことで、塾の先生にも学校の先生にも同じ質問をされたことが思い出される。
繰り返した理由にまた頼った。
「通いやすかったからだよ」
ここで理由を終えてはいけないのは、もう理解している。
白鳥沢に通うにはバスを乗り換えないといけない。
外部から高校進学の場合、内部進学の人たちとの差が大きすぎて、追いつくだけで高校3年間を費やしてしまう。
「私ね、勉強は、一人でできるとおもう」
どうしても白鳥沢の大学に入りたいなら、同じように受験すればいい。
偏差値の高さは重々承知しているけれど、高校から入るメリットは大学までのエスカレーター式による部分もある。
「学費も高いし、通いやすい烏野がいいって」
「だったらなんで受験した? 高いのはおばさん達も知ってただろ」
ここで言葉を詰まらせてはならない。
「やりたいことがあるの、勉強以外で。白鳥沢じゃなくてもいいって気づいたから、烏野にした」
「じーさんか?」
ぽつり、従兄はつぶやいて手持無沙汰にズボンのポケットに手を入れた。
従兄は、私が祖父に可愛がられていたことをよく知っている。
幼い頃は烏野に入って全国に行くと軽々しく口にしていた時期もあるらしい(まったく覚えてないけど)
「今の烏野に、じーさんいねーぞ」
いまの、烏野。
これまでの、これからの、烏野。
「あのさっ、代わりに誰がいるの?」
「はっ?」
「コーチとか、監督!」
「俺が知るか」
「けーちゃん、OBなのに」
「知る訳ないだろ」
「あ、待って!」
自分だって進路のこと聞いてきたんだから、こっちの質問に答えてくれたっていいのに。
従兄はこれ以上の追及を避けるように、皆の集まる部屋に戻ってお酒の瓶を取った。
私は意地悪されたってわざとらしく告げ口してその場を盛り上げ、ここにはいない祖父の姿をつい探した。
next.