「いってきまーす!」
高校入学を祝ってもらった翌朝、声高らかに家を後にした。
もう慣れたもので、というか、もともと親戚に会いによく行っているから、目的地まで行くのはいつもと変わらない。
もう少し行って曲がったところから顔を上げれば、4月から通う学校がみえてくる。
「あ、おばさん! 昨日、ありがとうございました」
坂ノ下商店の前を通りかかると、よく知る姿が目に飛び込んできた。
ほうきと塵取り片手に、おばさんがせっせと掃除をしている。
従兄にやってもらったらいいのにと呟くと、配達に行っていると教えてもらった。
なんだ、いないんだ、けーちゃん。
「繋心に用事なら、あがってったら?」
「あ、いやっ、これから学校で!」
話が盛り上がってきそうなところ、挨拶もそこそこに足早に坂を上がっていく。
今日は、女子の制服採寸の日。
いくつかグループに分かれていて、一番最後に割り振られた。
時間は開始時間ぴったりじゃなく、決められた時間帯に行けばいいものだから、同じような子を見かけない。
もしかして、来るの早すぎたかな。
腕時計を確認する。
校門前でぼんやり時間をつぶしているのも変だし、どうしたものかと中を覗けば、新入生向けの案内がみえた。
行ったら、案外すぐやってもらえるかも。
そう思った時、ジャージ姿の男子がすぐ横を走っていった。
烏野に通っている人だろう。
春休みだし、部活に来たのかもしれない。
視線をずらすと、体育館らしき建物がみえる。
さっきの人、バレー部だったりして。
小さな好奇心が芽生える。
日向くんはバレーをするのが目的だから、事前に部活を見てみたい気持ちはない。
一方、私は、やっぱり“今の”烏野高校バレー部がどんなのか気になる。
記憶の中の烏野はセピア色というほどじゃないにせよ、祖父や従兄がちらついた。
烏野高校男子バレーボール部。
いっそ、少しだけ見学してみようか。
東京でも友人の学校に潜入したせいか、妙に度胸がついている。
よくよく考えれば、北川第一だって許可なく入ったんだし、春から自分の通う学校の部活偵察くらい、ドンとこい!だ。
「あっ、あああの……!」
「ぇ」
「ごっごめんなさい! いきなり、声かけられたら困るよねっ、せっかく会えたから!」
話しかけてきた相手は俯き加減でおどおどと続けた。
誰だっけと記憶をたどっていると、髪を結っているヘアゴムが目につく。
そうだ。
烏野を受験した日、消しゴムを貸そうとしてくれた、後ろの席の子。
「烏野なんだ、よろしく」
「よ、よよ、よろしく!」
「そ、そんな緊張しなくても」
相手につられて、こっちまで緊張してしまう。
そのことを言葉にすれば、ごめんが倍以上になって返ってきた(しかも、何度もブンブンとお辞儀するせいで、せっかく可愛くしてある髪がすごいことになっている)
「落ちついて! えー、と」
名前、まだ聞いてなかった。
「私、。クラスわかんないけど、これからよろしく」
あ、つい、流れで片手を出してしまった。
こんな改まった挨拶ってどうなんだろう。
相手も明らかにドギマギと緊張しているのが見て取れる。
「えっ」
「あっ」
私がちょうど差し出した手を下げ、相手の子がつかもうと手を出す。
ものの見事に私たちの握手はすれ違い、空振りに終わった。
沈黙。
目が合う。
ものすごい謝罪とは裏腹に、つい笑ってしまった。
笑いすぎて、かえって申し訳なくなってくる。
もういいやって気持ちで、再び手を出した。
「今度こそ!!」
そう笑いかけると、相手もどこか照れた様子で手をかさねた。
「わ、私、谷地仁花ですっ。よ、よ、よろしく!!」
「そんな緊張しなくていいのに」
「ごっごめん! わ、私なんかがさんに話しかけるの悪い気がして!」
「なんで!?」
同じ学年なんだし、気を遣う必要が一切ない。
いや、気づかないだけで近寄りがたいオーラでも出しているんだろうか。
自分を省みていると、谷地さんが『あ!!』と声を上げた。
「どうかした?」
「せっ制服! 行かないと!! あっちだよッ、、さん!」
「そうだね」
そんなに言いづらい苗字かな、なんて思いつつ、チラリと向かおうとした体育館を横目に見る。
谷地さんは私が迷っていると思って声をかけてくれたらしい。
好意を無碍にするのもよくない。
バレー部は後にしよう。
「さん?」
「谷地さん、一緒に行こう」
「う、うん!!」
また、今度。
烏野に入ったんだから、バレー部を見に行く機会はいくらでもある。
チャンスは、すぐやってきた。
制服の採寸が、早めに来たおかげで、すんなり終わった。
元々そんなに特殊なサイズということもないので、揉めることもない。
谷地さんとこれからどうする?なんて話していたら、谷地さんの中学の同級生たちと遭遇した。
旧知の仲、というべきか、今日たまたま一緒になっただけの私が邪魔するのも気が引けて、先に抜けると、タイミングよく、烏野高校のジャージを着た人を見かけた。
やっぱりあの体育館はバレー部が使ってるみたい。
この後も用事はあるけど、ちょっとくらい寄り道する時間はある。
意気揚々と体育館の裏手に回ったときだった。
気づいてしまった。
そこの、木の、影。
「あ、あの、すみません!」
「ん?」
「怪しい人が、た、体育館の近くに!!」
ちょうど校内の掃除をしていた人(用務員さん?)に声をかけて、一緒に来てもらう。
今日、おばさんにも聞いたけど、春になると学校の周辺には変な人が出るらしい。
用心するように言われていたから、自分一人で様子をみるのはやめ、大人を連れてきた。
「あそこっ、あの、木のところ!」
私が指さす先には、大柄の見るからに怪しい人物が木の陰からチラ、チラと体育館の様子を窺っている。
ここで待ってなさいと言われ、少し離れたところで指示通りにした。
相手が刃物を持っていたらどうしよう。
ニュースで学校に不審人物が乱入・近くにいた生徒がけがをした、なんてのも聞いたことがある。
そうだ、スマホ。
いざとなったら、警察に電話を……
「うわあーーー!」
「わあーーー!!!」
!!?
用務員さんと怪しい人が同時に大きな声を上げるもんだから、ビックリして危うくスマートフォンを落とすところだった。
「なにっ?」
「へっ」
「アイツ……」
黒いジャージの人が、私に声をかけ、すぐに駆け出していく。
向こうで二人がやり取りするところに合流していた。
きっと烏野の人だ。
何してるんだ、だとか、違う、だとか、ちょっと話を聞こう、高校生です、本当です、だとか、色んな単語が断片的に聞こえてくる。
ぺこぺこと頭を下げているあたり、怪しい人じゃなかったんだろうか。
どうしよう、間違えたなら私も謝った方がいい。
迷っていると、怪しい人物、もとい、迫力のあるオーラを放つ背の高い人が今度は体育館から遠ざかるように走っていった。
あ、なんか落とし物。
ノートかと思ったら、生徒手帳で、カバーはどこか使い古された感じ。
新入生じゃないのは確かだ。
よくよく見れば、写真の顔は、目つきが怖いけれど、たしかに高校生に見えた。
わ、私ってば、なんて失礼なことを。
ジャージの人とちょうど分かれた用務員さんに頭を下げると、ありゃ間違えるよとやさしく慰められ、いっそう申し訳なくなった。
next.