「そこまで怒らなくてもいいのに」
向こうで準備体操を始めている飛雄くんを眺めて呟けば、後輩1号の雪平くんはため息をついた(ちなみに後輩2号くんは嬉しそうに、飛雄くんのそばでいっしょに身体を動かしている)。
「さっきのは……、……さんが悪いです」
「どうせ飛雄くんの可愛いかわいい後輩をからかった私が悪いですよっ」
「……そういうのじゃなくて」
「別に少しくらい仲よくなったってよくない? 今日だって2対2「」
振り向いてないのに、なんだか飛雄くんの表情がわかる気がした。
「準備体操、終わったのか?」
「……あと、少し、お待ちを」
てっきり向こうで準備運動に夢中かと思いきや、後輩くんとしゃべっているのもチェックされていた。
飛雄くんの望みをかなえるべく、それでいてケガだけはしないように(入学式から包帯は嫌だ)、真剣に身体を伸ばすことに集中した。
「きっ、休憩タイム!」
「、もうバテたのか」
「けっこうやってるから!! しかも連続!! ほら、二人も水分補給必要だって!」
まもなく春がやってくるとある体育館。
バレーの2対2を繰り返していた私たち。
また試合の決着がついた時、すかさず叫んだ。
影山くんはけろりとしているが、バレーというものは一人では出来ない。
私含めて後輩くんたちもまた息を切らしていた。
二人とも飛雄くんを尊敬しているとはいえ、このハードな2対2は堪えたようで、今回ばかりは私の休憩タイムに賛成した。
多数決の結果、15分ほどの休憩時間となるや、飛雄くんも水分を取るべく、壁際の荷物の方に進んでいく。
その背中を追いかけていると、ふと、冬の夜が浮かんだ。
“受験なんて、ただの通過点だろ”
遠い未来を見つめる飛雄くん。
コート上の王様というワード。
忘れかけていたはずなのに、なぜか鮮明によみがえった。
「、休まないのか?」
「や、休む!」
ついぼんやり立ち止まっていたが、慌てて走った。
2対2の対戦相手である後輩くんたちは、談笑しながら、一人はタオルを当て、もう一人はドリンクをあおっている。
私もなんか飲もう。
飛雄くんのすぐそば、体育館の壁際、用意してきた荷物から冷えたドリンクを取り出した。
温度差で濡れているせいで、開けようとする手がすべる。
「あ」
ボトルが取り上げられる。
見上げれば飛雄くんがこちらを少しも気にせず、飲み物のフタに手をかけた。
プラスチックがカチリと鳴った。
「俺の勝ちだな」
「!? フタ開けるのに勝ち負けってある?」
ありがたくドリンクを受け取りつつ反論する。
じっとにらんでも、飛雄くんはフッと笑うだけでコートに視線を向けた。
私も荷物をしまって飛雄くんの隣に並んで立ち、先ほどまで入っていたコートの中を見つめた。
冷たい飲み物が、火照った身体の奥を通っていく。
チラと、飛雄くんを盗み見たつもりがばっちり目が合い、すぐ顔を背けた。
「烏野、……合格おめでとう」
とっくに受験結果はメールで教えてもらっていたけれど、久しぶりに顔を合わせるんだし、改めてお祝いを口にした。
本当なら会ってすぐ伝えるはずが、飛雄くんの可愛い後輩くんをからかったせいで、それが叶わなかった。
忘れないうちに告げてみた。
飛雄くんはうれしそうな表情をすることはなく、も烏野なんだな、と淡々とした様子で返すだけだった。
「そうだよ、烏野。
飛雄くん、春からよろしくね」
喉も十分潤ってきたので、飲み物を片づけて腕をグン、と天井に突き上げる。
体育館を使える時間はまだたっぷりあった。
聞いてみたいことが浮かんだ。
「なんで」
「なんで」
飛雄くんと私の声が重なった。
ここだけ時間が止まったみたく、お互い向き合ったまま動かなかった。
少しして飛雄くんがばつの悪そうに俯き、『なんだよ』と吐き捨てた。
気まずさが伝染してくる。
「なッ、なんでもない。飛雄くんこそ、なに?」
「俺も、なんでもねーよ」
「うそ」
「なんでウソなんだ」
「そういう顔、してるから」
飛雄くんが他人に対して質問するなんて、短い付き合いだけど、めったにあることじゃない。
知りたい、何を言いかけたのか。
詰め寄ると、飛雄くんもたじろいだ。
「な、なんでもないって言ってんだろ」
「なんでもないなら教えてくれても」
「が先に言えよ」
「私?」
隠すようなことではないので、飛雄くんから距離を置いて、改めて話した。
「飛雄くん、なんで、烏野にしたのかなって」
それはバレーの先生たちの言う『青葉城西高校になぜしないのか?』という問いとは別だった。
飛雄くんは残念ながら白鳥沢とご縁はなかったけど、烏野と同じぐらいの偏差値でバレーが出来る学校は他にも受かっていたから、なんで烏野にしたのかという疑問だった。
「飛雄くんの家から通いやすかったっけ?」
「そうじゃねぇ」
「じゃあ」
なんで?
聞こうと思ったのに、無言で飛雄くんの力強い眼差しを向けられると、胸の奥から金縛りにあった感覚がした。
疑問符をごくりと飲み込んでしまう。
飛雄くんの眉間が寄った。
「そういうは、なんで烏野にした?」
「いや! 通いやすいから、それだけだよ」
言い慣れたことなのに、だれかに説明するたび、日向くんがよぎる。
飛雄くんは、値踏みでもするように目で訴えるだけで、返事らしい返事をしなかった。
「待って、私の質問に答えてない」
「監督」
「かんとく?」
飛雄くんはコートに向かって歩きながら、私の方を振り返った。
「先生から聞いた。烏野を全国に連れてった監督が、今年戻るかもしれない」
「それホント!?」
「!な、なんだ、も烏養監督のこと知ってんのか?」
「あっ、……まぁ、その、有名な監督だし」
私と飛雄くんを引き合わせたバレーの先生がおじいちゃんのこと(烏養一繋)を、飛雄くんに話すのは不思議ではない。
ビックリしたのは、“今年から戻るかもしれない”ってところだ。
「ねえ、飛雄くん、ほんとうに……烏養監督って烏野バレー部に復帰するの?」
「俺も聞いただけだ」
「そ、そっか」
「も烏養監督が気になんのか?」
「え!!」
無駄に反応してしまった時、後輩くんたちが試合やりますかと声をかけてくれた。
意欲のある後輩たちでよかった。
すぐ始めるよ。ねっ?
わざと声を弾ませて飛雄くんに尋ねると、飛雄くんもそのつもりだったようで、てきぱきと2対2の続きを促した。
話題が逸れたことにホッとしたものの、飛雄くんからの情報が気になってしまう。
本当に、おじいちゃん、烏野男子バレー部に復帰、するの?
「」
体育館時間いっぱいまで使ったのち解散、したはずが、いつものフリースペースには飛雄くんの姿があった。
「どうしたの?」
鍵は返したし、次の約束は春休み明けに決めようと話がまとまったはずだ。
飛雄くんは荷物を肩にかけ直した。
「帰るだろ」
「まあ……」
そりゃ、練習が終われば帰る。
前みたく、ここで飛雄くんと勉強会はないんだし。
飛雄くんはスタスタと出入り口の方に向かう。
ぴたりと止まったかと思えば、私の方を向いた。
「は帰らねーのかよ」
「……帰るよ!!」
なんでって聞くほどのことでもないし、すぐ駆け寄った。
あ、そうだ。
「ちゃんと入学生向けの宿題やった?」
「……なんだ、それ」
飛雄くんは大真面目な顔して呟いた。
next.