男の子って、宿題にあまり関心がいかないもの?
それとも、私が気にしすぎなだけなのか。
昨日の帰り道、飛雄くんと烏野高校入学者向けの宿題について話したときのことがよぎる。
日向くんともそんな話をした。
日向くんとは、明日、いっしょに図書館で宿題をやることになっている。
「“あなた”ちゃんって顔にぜんぶ出るよねー」
「!!?」
「反射神経はいいと思うけど、植木がつぶされたらかわいそうだからこっちがいんでない?」
軽い物言いと態度とは裏腹に、相手を避けようとした私をとても強い力で引き寄せたその人は、なんでもなかったことのように私の腕から手を外した。
ぱん、ぱんと、埃を払うかのような動きは失礼だが、あと一歩で花壇に踏み込んでしまいそうだったので、文句は飲み込んだ。
代わりにため息一つ、それに、ひと睨み。
「なんなんですか、……天童さん」
そう声をかけると、相手はなんともいえない飄々とした表情で、『“あなた”ちゃん、覚えててくれたんだ』としらじらしく言い放った。
“あなた”ちゃん。
去年の夏だったか、白鳥沢高校の見学に来た時、呼び方がわからず、天童さんをそう呼んでしまってから、事あるごとに引き合いに出してくる。
今日の午後は、白鳥沢に用事があった。
当然、この人がいてもおかしくないけど、これだけ広い校内で、早々出くわすとは予想していなかった。
「“あなた”ちゃん、どこの学校入ったの?」
「何のことでしょう」
「合格書類まで受け取っておいてウチ以外の学校選ぶなんてすごいねー」
「だから、何のことだか……」
チラリと横目で相手の様子を窺えば、ばっちりと視線がぶつかった。
「入学ガイダンスでさんがいなかったから」
愉悦を含んだような、どこか試すような、からかうような。
どっちにしろプラスの意味合いではなさそうな響きを持って、天童さんは、もう一度どこの高校にしたか質問した。
「……練習、行かなくていいんですか」
「なんの??」
「天童さん、バレー部ですよね? 監督に怒られますよ」
「マネージャーでもなんでもないちゃんに関係ある?」
「……こっち、ついてきてどうするんです」
「勉強熱心だよねー、うちに入らないのに講座は受けに来たんだ」
ギクリ。
つい反応してしまって、また、その事実を自覚したことに気づかれる。
悪循環。
天童さんは面白そうに、今日の講義はあっちでやるんだよーと教えてくれた。
この人、ぜったいさっきから私が道に迷ってるのに気づいてた。
悔しい気持ちと、感謝する気持ち、半々。
とはいえ、お礼は言わないと。
会釈と共にさよならのつもりが、なぜかまだ背後に気配がある。
振り向けば、いる。
「あの、なんですか」
「なにがー?」
「ずっと付いてくるから」
「こっちに用事があるからだよーちゃん自意識過剰だねー」
「……私、ちょっと別のところに寄ってからいきます」
「また迷うよ??」
天童さんと違う道を選ぼうと踏み出した一歩が、先に進めなくなる。
立て続けに、私の進む方向でいくと、遠回りになる+通り抜けするには靴の履き替えがいる、など在校生らしい理由をよどみなく説明してくれた。
「そっち行くのやめたの? 寄らなきゃいけないところあるのに?」
本当はないんだよね? 避けたかったんでしょ? 避けられなくて残念だね?
そんなことが言外に含まれている気はしたけど、腕時計を見れば、時間も迫っていた。
この人は徹底的に無視するしかない。
合格書類を受け取りに行った日も似たようなことを決意した気がしたけど、改めてその想いを強くした。
「これは見える位置に付けてください、席は自由席です」
受付でもらったネームタグを胸元に当てつつ、中に入った。
というか、ここ、白鳥沢を受験した日、天童さんに無理やり連れてこられた場所じゃないか。
入り口が違ったので気づかなかったが、一番下の教壇の位置からそれぞれの座席を見上げると、あの時の記憶がよみがえった。
残念ながら後ろの方も、中央付近も、ぜんぶ席が埋まっている。
グループで参加している人たちも多いようで、パッと座れそうな場所が見つからない。
マイクテストがそばで始まる。
慌てて、前の方の(みんな避けていたんだろう)空いている席に座った。
講師の人からよく見える=目立つ位置だが、逆を言えば、私も一番よくみえるんだから、何かを教わりにはちょうどいいだろう。
カバンから、今日のテキストや文房具を取り出した。
真正面には、パソコン画面が投影されている。
講義のテーマは、“スポーツとデータ分析”。
「ねっむそーな顔だねー」
指摘通りの顔をしていたから、思考停止してしまう。
「そこで立ち止まると邪魔になるよー」
講義を終えて出口すぐ、まさか、天童さんがまだいるとは思うまい。
驚きすぎて動きを止めた私をさっさとどかすと、天童さんは行こうよと軽い調子で声をかけてきた。
なんなんですか。
なんでいるんですか。何の用ですか。
質問はいくらでも浮かぶけど、同じ講義を受けてきた人たちがぞろぞろと出ていくから、こんなところで話もできない。
ちょうど自販機が並ぶスペースにみえると、天童さんが道を逸れたので、まあいいやと自分も隣の自販機に並んだ。
「それ飲むんだーこっちがオススメだよー」
聞き流しつつ、昨日飛雄くんが飲んでいたのと同じ銘柄のヨーグルトのストローを外す。
本当に人に何かを勧めるなら、商品を選ぶ前に伝えるべきだと思う。
天童という人、ほんっとに訳が分からない。
「講義、どうだった? おもしろかった?」
「まあ……」
「ウチの学校からの参加者も多いけど、あれに出る人、変わってるやつばっかだよねー」
“変わってる”人に、変わってると言われるのはいかがなものか。
表情を読まれたくなくて、ズズズとぐんぐんヨーグルを飲むことに集中する。
「ちゃん、バレー目当てなのに収穫なくて残念だったね」
ずっ と吸い込むはずのストローに息を吹き込んでしまい、変な音が出てしまった。
幸い中身があふれ出ていない。
なんのことですか、と、先に飲み物を空にしてゴミ箱の前にいた天童さんを尋ねた。
「ちゃん、バレー部のマネージャー志望でしょ? そのために来たんだよね、この講義」
口を挟む隙なく、話は続く。
「鍛治君はあーいうの興味ないから、これっぽっちも」
なぜか背中を大きくそるポーズを取りつつ(ストレッチしてるの?)、天童さんは言った。
鍛治君って、たしか。
「そうだよー、監督」
「……まだ何も言ってません」
「ちゃんの顔に書いてある、知らなかった? そこに鏡あるよ?」
ついイラっとしてしまい、妙な動きを続ける天童さんに何かしらの意地悪をしたくなったけど、さすがに良心が咎めてにらむに留まった。
でも、こういうところが相手に胸の内を読ませるのかもしれない。
紙パックをつぶしながら告げた。
「なんでバレー部の監督さんがデータ分析に興味ないんですか?」
ポイっとゴミ箱に投げ入れる。
そういえば、夏のオープンキャンパスでも、あの監督はかなり個性と訛りが強かった。
自分が理解できないから、とか?
講義の内容は、1回目とあって、オリエンテーションが中心だったけど、メインテーマのスポーツはバレーではないし、パソコンを使った分析が主流になりそうではあった。
違和感、なくはない。
白鳥沢と言えば、男子バレー部。その印象を持っている人も多い。
「覚えてる? 若利君のバレー」
それこそ、一瞬で思い出せる。
鮮明に、息をのんでしまう、見事なモーション。
「分析したところで、若利君がすごいってことしかわかんないんだよね」
「戦略とか、対策とかシミュレーションしたり」
「ぜんぶ、ムダってこと」
この、ひと、は。
「天童さん、なんで私にかまうんですか。
前も聞きましたけど、マネージャーとか」
データ分析に興味がある私と、まったく関心のない監督・バレー部。
その両者をぶつけてどうするつもりだったのか。
答えは聞かずともわかる。
「本当、……性格悪いです」
「なにが?」
「その“鍛治”さんに叱られても知らないですから」
前もこうやって絡まれた時も無視すればよかったと悟ったのに、どうして学びを生かせないんだろう。
背後から、またねーって言われたのも、あの時と同じだった。
next.