今日、さんに会いたいなー!!って思って家出たら、約束した時間よりはやく着いた!
宿題早く終わったら遊んでもいいってさん言ってたから、はやくやろうと思って!
そしたらさっ。
「ここに座ったさ、花咲いてた!
キラキラしてる内に、さんに見せたかった!」
日向くんが屈託なく笑う。
窓からの日差しをまぶしかったようで、片手で目元を覆いつつ続けた。
「どう!? この席っ。
さん、気に入った?」
日向くんこそまぶしくみえた。
自分が日差しを浴びたわけじゃないのに。
なんにも気づかない日向くんが小首をかしげる。
「イヤ、だった?」
そうだ、返事。
返事をしないと。
ぶんぶんと首を横に振る。
「い、いやじゃない! 全然! 少しも!!」
「よかった!!」
大げさすぎたかなと自分に戸惑ったけど、日向くんはまったく気にするそぶりはない。
私の後ろに立っていたはずが、向かい側の席にもうおさまっている。
日向くんが広めの長テーブルに身を乗り出した。
私側に置かれた自分のノートや文房具を引き寄せる。手伝う間もなく、とてもすばやく。
「いいの?」
私がいま座る場所は日向くんがもともと使っていたはずで、私がそっちに移ろうかと申し出ると、日向くんはいつもと同じように大丈夫だと笑った。
日向くんが烏野の入学者向けの問題集をめくる。
鉛筆を握る。
「さんにみせれたし、宿題やる!」
「あれっ、日向くん、早めに着いてたって」
ついさっき聞いたはず。
早く図書館にいる=宿題が進んでいる。
そんな方程式が浮かび、日向くんも私の頭の中を読み取ったようで、気まずそうに眉を寄せ、ぎこちなく言葉を紡いだ。
「つ、つい! さんがいつ来んのかなって気になってっ、い、“いてもたってもいられなくなった”!」
「それ、入試に出たやつだね」
日向くんが目を丸くし、お互いに表情をくずす。
国語の問題、最後の選択肢。
ちょうど今日の約束をした時に、どんな話の流れだったか忘れたけど、受験のおかげで覚えた単語として“いてもたってもいられなくなった”が挙げられていた。
「日向くん、使ってみたいって言ってたもんね」
「さんのおかげでもう使えた! ありがとう!!」
「どういたしまして、でも」
「でも??」
自分の宿題を準備する手を止め、日向くんを見つめた。
「日向くんもありがとう」
「なんで?」
「みせてくれたから」
窓の向こうを指差す。
もう枝の先に光りは当たっていない。
魔法が溶けたかのように、なんてことのない木々が立っている。
日向くんは少しも私が示した方に興味を示さず、まっすぐ私に告げた。
「おれがさんにみせたかったから!!
気分いいっ、いつもより問題解けそう!」
そっか。
それは、よかった。
よかった。
絵本コーナーの方で子どもたちが騒いでいる。
長テーブルの下、靴の先に何かぶつかった。
なんだろう。
日向くんの靴だった。
使い古された、いつものスニーカー。
視線を戻すと、日向くんが宿題じゃなくこっちを見ていた。
声が弾んでいた。
「さんっ」
「なに? ……え、なに?」
日向くんは楽しそうに表情をゆるめるばかりで、それ以上はなにも言ってくれない。
わかるのは、なんだかうれしそうなことだけだ。
「ねえ、なに、日向くん」
日向くんがノートと向き合っている。
ちっともこっちを見ようとしない。
日向くんが短く続ける。
「なんでもないっ」
「うそ、なんでもありそう。教えて」
今度は返事もしてくれない。
宿題をやっているというのに、日向くんはワクワクと機嫌がとてもよさそうだ。
ノートをすべる鉛筆も順調にみえる。
「ねえねえ、日向くん。
日向くんってば」
陣取った席がここでよかった。
もともと賑わいのあるスペースだし、多少大きな声を出しても咎める人はいない。
呼びかけても、この距離。
ぜったい日向くんは聞こえているのに、ずっと宿題に集中している(でも、ニヤニヤしてるのはわかる)
えい、と。
思い付きだった。仕返しでもある。
長テーブルの下、向こう側。
こつん、と靴先が、なにかとぶつかった。
感覚からしてジャスト、日向くんのスニーカーに当たることに成功したようだ。
無視を決め込んでいたらしい日向くんもさすがに少し驚いた様子で顔を上げた。
「日向くん、教えて」
「……さん、なに、教えてほしいの?」
「さっき呼んだの、なんでかなって」
さんって呼んで、そのあとずっと何か言いたげに笑っている。
怒っているわけじゃないけど、理由を教えてもらえないのは不満だ。
口先をとがらせて告げたというのに、日向くんは私と違ってどこか余裕そうにみえた。
やっぱりうれしそうだ。
「さん、いるなーって」
何の気なしに続ける。
日向くんは鉛筆をくるくると指先で器用に回した。
「会いたかったからさ。さんいるなーって、呼んでみたっ、さん!」
「……そ、そっか」
「あと、さんが照れてんの直接みられてうれしい」
「照れっ!?」
さすがに声が大きくなりすぎそうで口元を押さえる。
そんな机の下。
靴の先がお互いにくっついた。ぶつかるんじゃなく、そっと触れ合った。
目と目が合うのに、日向くんはなんにも言わないで、キラキラと、そうキラキラと瞳を輝かせるだけだ。
かなわない。
ぎゅっと鉛筆を握る手に力を込めた。
「日向くん! し、宿題やろっ、全部おわんないと午後もここで勉強しなきゃ」
「ぐあ! そ、それはイヤすぎる……」
「来る途中、前に観た映画の新作のポスターあったんだけど」
「みっ観たい!!」
「じゃあ、宿題」
「やるやる! すげーやる! もう!すぐ!終わらせるっ」
日向くんの足が引っ込んだ。
「さんはもう宿題ぜんぶ終わった?」
「私はあと感想文だけっ」
問題を解けばいいだけのものは全部やり切って、あとは国語だ。
せっかく図書館だし、集中して感想文を書くのも悪くない。
ほら、と日向くんに課題図書のひとつを見せる。
考えればここに置いてそうな本だから、自分の家からわざわざ持ってこなくてもよかった。
1冊分、カバンを重くしてしまったけど、重さの分だけ鍛えられたと考えることにしよう。
日向くんが興味深そうに私の手元を眺めている。
「日向くんはどの宿題終わってないの?」
「ぜんぶ!!」
「ってそういえば言ってたね」
電話でも聞いたんだった。
「あ、本、ここで借りてもいいと思うよ」
返却はどこでもできたはず。
そんな説明を図書館だよりだったかで読んだ記憶がある。
まだ日向くんが課題図書をみていた。
「読んでみる?」
4冊あるうちのひとつで、それぞれ考えさせられるテーマだけど、ジャンルが異なった。
日向くん向きじゃないかもと説明しようとした時だ。
「さん、使ってくれてる」
「へ?」
「おれのあげた栞!」
あまりに日常に溶け込んでいた事実に触れられ、なんだか気恥ずかしさがこみあげる。
上手く言葉を返せない内に、日向くんが私の本をそっと戻してくれた。
「おれもその本にする!!」
その声はやっぱりスキップでもしているかのように明るかった。
next.