ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

33






いつもと違う、図書館のフリースペース。

天井が高く、空の明かりも取り入れているからか、程よいざわめきと相まって気分がいい。

向かいに座る日向くんも、宿題に集中している。

最初は数学に手を付け、消しゴムをノートにガーっと滑らせていた。

かと思えば、プリントの三角形に走らせた鉛筆が動きを止める。
線を引いて、伸ばして、また消して。
そんなことを繰り返した後、眉間にしわを寄せ、あてもなく視線を本棚にうつす。

また鉛筆を握る手を動かす。

あ、見つかった。

日向くんがどこか嬉しそうに目を細める。


な に ?


日向くんが、口の動きだけで伝えてくれる。


なんでもないよ。


私も同じく首を横に振るジェスチャーをする。
日向くんが宿題するのを邪魔したくない、という気持ち半分、盗み見ていた気まずさ半分。

なんとかごまかせた、かな。

日向くんはご機嫌そうに頷いた。私も同じく。

なぜかお互いもう一度頷きあって、それぞれの作業に戻った午前。

読書感想文を書くのは苦手だけど(自分の感じたことを表現するって難しい)、日向くんのがんばる姿に感化され、なんとか原稿用紙を最後まで埋めきることができた。

幼稚園生か、小学校低学年の子か。
絵本コーナーから数人が『おなかすいたー』とダッシュしていく。

日向くんと私はふたたび顔を見合わせ、おなかすいたねって入り口を指差した。同時に。示し合わせたわけじゃないのに。























「ふぁふぁふふぃふぃふぁ「日向くん、飲み込んでから」

「ふぁいっ!」


近くに売店があったので、私はサンドイッチ、日向くんはおにぎりを選んで、外のテーブルでお昼にした。

ときどき吹いてくる風は冷たいけど、雲の合間から覗く日差しはポカポカする。

今日は比較的あたたかいようだ。

日向くんが一緒に買ったお茶を飲んでから言った。


「はやく烏野行きたい!!」


からすの、烏野。

いきなり出てきた学校名に面食らったのは、自分にとって他より“烏野高校”がトクベツだからか、それとも。

深く考えるのはやめ、話題を切り替えた。


「え、……映画じゃないんだ」

「映画も行く! さんと! 今日!!」

「きょう……」

さんは? 行きたくない?」

「い、行きたいよ! もちろん」

「よかったっ」


烏野に行きたいと宣言して立ち上がっていた日向くんは、ストンとまたベンチに戻って、もう一つのおにぎりに手を伸ばした。

ひとくちが大きいなあって眺めていると、日向くんがまたむぐむぐと口を動かしながら言った。
さんのサンドイッチ、おいしい?って、そんな、ニュアンス(言葉になっていないけど、たぶん合ってる)

手元にあるサンドイッチに視線を落としてから、日向くんの問いかけに同意した。

あれ、日向くん。


「んっ?」

「ここ、日向くん、くっついてる」

「こっち?」

「反対のほう」

「んーーー」

「あとちょっと、下、そっちじゃない」


こういう時、なんで絶妙に本人は気づかないんだろう。

ちょうどティッシュもあったので、代わりに米粒一つを日向くんのほっぺたから取ってあげた。

日向くんが噴出した。


「なんかおかしかった?」

「夏がさっ」

「夏ちゃん?」

「昨日、おれもさんと同じことしたなーって!」


きっと妹の夏ちゃんも日向くんのように元気よくご飯を食べていたんだろう。

その様子はすぐに想像できた。


「日向くん、お兄ちゃんしたんだ?」

「おーっ」


じゃあ、私はお姉ちゃんしたってことに。


「あ」

「今のは、そーいうんじゃないから!」

「そ、そうゆうのって……」

さんの弟になったつもりはない!」

「そ、だね」

「そう!!」


ニコニコする日向くん。

このやり取りよりも私が気にかかるのは、ただ一つ。


「い、いつまで、こうしてるの?」


日向くんに囚われた手首を眺め、次につかまえている張本人の瞳をじっと覗き込む。

日向くんが瞬きした。

私の手をつかんだまま、もう一方の手でおにぎりをかじった。もぐもぐと、ご機嫌に。


「あのっ、聞いてる?」

「聞いてるっ、ねー、さん!」


なに、って一応返事すると、日向くんは顔色一つ変えないで続けた。

昼ごはん、おにぎりとサンドイッチにしてよかったね。

日向くんは唐突に切り出した。

いま、わたしは、お昼ご飯のメニューの話、してない、けど、しょうがないので日向くんの話題に乗ることにした。


「……なんで?」

「どっちも片手で食べられる!」

「……だから?」

「おれたち、手つないでてもいい!! ねっ?」


もちろんいいよねって、確信犯な表情。

日向くんは私の手をぎゅっと改めて握った。

どうしたものか。

そう思いつつ、日向くんの手を振り払う選択肢はない。

もう一方の手を使って、食べかけのサンドイッチを持ってみると、日向くんはやっぱり声を弾ませて私を呼んだ。

さんっ。

なにって返せば、もう一度名前を呼ぶ。

ねえって、なにって、繰り返すと、遊ばれているのか、日向くんはさんさんって呼んで、合間におにぎりをかじった。

なにこれ、なんだろう。

このやり取りは、一体なに。


ツッコミを入れるのも面倒で、私も日向くんに捕まれているのが慣れてきたのもあって、お互いに不可思議な格好でお昼を食べきった。











「ゴミ箱、あそこ!!」


日向くん、本当に目がいい。

あんな遠くのゴミ箱、よく見つけられる。

食べた後なのにやっぱりすばやい。
もう向こうにいる。

私は日向くんじゃないので、自分のペースで歩いて行き、片付けを終えた。


さん!!」


ずいぶんと日向くんのことが分かるようになったらしい。

呼ばれただけで、本当に呼ぶことが目的なのか、何か用事があっての呼びかけなのかわかってしまった。


「映画、ほんとうに行く?」

「!! なんでわかったのっ!?」

「日向くんの顔に書いてあった」

「かお!?」


日向くんが大げさに両手を自分の顔に当てた。

そのリアクションに笑いをこらえつつ告げる。


「もうご飯粒はついてないよ」

「おれの顔、そんな映画っぽかった!?」

「そんなことないけど」

さん、おれのことわかんのすげーっ」

「日向くんが分かりやすいだけ」

「ほんとっ?」

「自覚なかった?」

「じゃあさっ」


隣を歩いていたはずの日向くんが、私の真ん前に移動してきた。

きらきらと、そう、日向くんには春の日差しが降り注いでいる、ように見える。


「いま、おれが何考えてるか当ててみて」


日向くんは自信に満ちた様子で言い切った。


「い、きなりだね」

さんならわかる!」

「えぇ~……っと」


口元に手を当てて吟味してみたところで、脈絡もなく日向くんの考えを当てられそうにない。

かといって、わかんないと答えないのも、こんなにワクワクした日向くんに悪い気もする。

えーっと、んんーーっと。


「か」

「か??」

「烏野に、行きたくなった……?」

「ぶっぶー! それじゃないっ」

「そっか」


一か八かで、ご飯を食べている時に言っていたことを口にしてみたけど、違ったらしい。

正解を促しても、日向くんは腕を組んで首を横に振った。


「もうちょっと考えて!」

「えぇーー」

さんに当ててもらいたい!」

「かっ烏野関係?」

「烏野はかんけーない!!」

「そっか……」


って、これ、当てられる気がしない。


「日向くんヒント!」


ほら、学校の先生もよくこうやって日向くんに問題を解かせてたはず。

促せば、日向くんもふむふむと納得したようで、ヒントかーっと呟きながら空を仰いだ。

かと思えば、ピンと来たらしい。

日向くんはそんな動きを見せ、私の方に手を差し出した。


「ヒントっ!!」


手、日向くんの、て。


えーっと。


「惜しい!!」


握手かと思って自分の手を重ねてみたけど、違ったらしい。

じゃあ、他を試そう。

外そうとした手を日向くんが力いっぱい握っている。

どうしたのかなって日向くんを見つめると、日向くんは一瞬目を泳がせてそっぽを向いた。


「ち、違うけど、これも、いい」

「へ?」

「正解にする」


途端、一気に引き寄せられて、顔と顔が近づく。

あとちょっと、で、くっつきそう。


「もっと、さん、さわりたい」


日向くんが外した視線を私へ戻した。




next.