測れば、きっと数秒もない。
人は時間を主観的に生きている。
どこかの問題文で読んだ文章がよぎる程度に、日向くんと私は見つめあっていた。
長い時間のように思えた。
けど、日向くんが握手のような恰好だったのをすぐやめた。
その手で自分の後ろ髪をわしゃわしゃとかき混ぜたかと思うと、チラッとこっちを向く。
「さん、いきなり、ごめん」
申し訳なさそうなニュアンスに、そうじゃなくてと瞬間的に手が伸びる。
日向くんの謝罪を打ち消したかった。
“ もっと、さん、さわりたい ”
胸の奥に芽生えた感覚を、自分でも大事にしたくなった。
「日向くん!
……こっち、だよね?」
右手と右手、ではなく。
右手と左手。
これなら、握手じゃないから。
「このまま、」
ぎゅっ、と日向くんの手に力がこもる。
視線を上げると、きらきらと、そう、きらきらと日向くんの瞳のかがやきが増した。
気のせいじゃない。
「正解!!」
日向くんの声が弾む。
うれしそうな表情につられ、私も日向くんに合わせてそっと握り返した。
「せ、正解ならよかった」
「さん、やっぱエスパーだ!」
「そんなことないよ、ヒントもらったからわかっただけで」
「じゃあ、次はノーヒントっ」
「えっまだあるの?」
『いま、おれが何考えてるか当ててみて』
日向くんの思いつきは、なかなかの難易度だ。
けれど、日向くんはいつまでもクイズを出題しなかった。
無言になったのち、パッと表情を切り替え、告げた。
「やっぱり、なし!」
「へ?」
「さんにノーヒントで当ててもらうの、また今度!」
「え、なんで?」
「さん、映画行こ!! 何時のやつあるかわかんないし、まず、映画館!!」
「いやっ、日向くん!」
話の続きをしたいのに、日向くんが本気で走り出す。
手は繋いだまま、日向くんの速度に合わせ、景色が一気に流れ始める。
追いつくのに必死で、話をする余裕がまったくない。
この手を離せば、あっという間に距離が空いてしまうのはわかる。
それくらい、日向くんのスピードは早かった。
揺れる日向くんの後ろ髪、午後の日差しを受けて、色素が薄くなってみえる。
さっき日向くんが乱雑に扱っていたけど、日向くん特有のくせが強いのか、走っている内にいつもの見栄えに戻っていた。
跳ねる毛先、上下して、光る。
日向くんの背中が前より大きく見える。
私服、だからかな。
春休みにすこし会わない内に身長が伸びた、とか。
「さん!!」
不意打ち。
日向くんがこっちを向く。
びっくりして、運悪く地面の段差につま先を引っ掛けてしまい、危うく日向くんに激突、……あとちょっとで、するところだった。
間一髪、セーフ。
「ごめん、あとちょっとで日向くんに頭突きするとこだった」
笑ってくれると思って顔を上げると、なぜか日向くんは瞬きをした。ぱちりと、一回。
なんだろうって疑問1つ目。
気づけば日向くんの腕の中にいて、クエスチョンマーク2つめ。
すぐまた日向くんが私から離れる。
謎3つめ。
それら全部合わせても、どれも瞬間的な出来事だった。
「日向くん」
「映画館!」
日向くんが今度はゆっくりと歩き始める。後ろ姿はさっきまでと同じ。
「その、映画館、こっち……だっけ?」
日向くんがちらりと振り返って、ばつの悪そうに声をひそめた。
えーーっと。
「合ってるよ、……たぶん」
「さんも自信ない?」
「あー、でも、この先の賑やかな方、だったはず」
「じっじゃあ、真っ直ぐでいいのか。よかった!」
「うん」
「考えなしに走ってごめん」
日向くんのとなりに追いついて、前を見据える。より先に、日向くんの方を向いた。
「大丈夫だよ、日向くん。
このままでいい」
ほんとうに、大丈夫。
映画館までの道のりについて言ったつもりだけど、なぜだか、そのあいだの出来事すべてを示したような答えになってしまった。
日向くんは、どこか落ちついた様子で、私と同じ速度で歩き続けた。
「それなら、よかった。
……映画、楽しみだね」
「ねっ」
通じ合っているようで、わからないこともたくさんある。
やっぱり私はエスパーではない。
「前に観たときはさ! 夏だった!!」
「そうだね」
お目当ての映画はちょうどいい時間帯があった。
2枚のチケットを滑り込みでゲットし、お互いに飲み物とポップコーンを買った。
広いシアターが割り当てられているから、おしゃべりしながら移動する。
前回映画を見たときは、午前の回でいろんな映画が近い時間帯で始まったんだっけ。
「今日は空いててよかったね」
あの時は試写会だったから、さらに映画館は賑わっていたのが思い出される。
「あの時、おれ」
なにを話すんだろうと日向くんの言葉の続きを待っても、声はしない。
というか、日向くんが隣にいない。
振り返れば、けっこう後ろに日向くんが立ったまま固まっていた。
私の視線に気づいたらしい。
日向くんがぴょんとその場で飛び上がったかと思うと、すばやく私の隣に戻った。
「ごごごめん、さん! おれ!!」
「なに?」
「い、いい色々思いだしてた!!」
「……なにを?」
「……、……なっなんでもない! なんでもない!! さんはやく行こう! 映画はじまる!!」
すたすたすたと、日向くんが早歩きして、シアターの一つに吸い込まれていった。
と思うと、Uターンしてきた。
両手がポップコーンとドリンクでふさがっているのに、なんとか腕に抱えようと悪戦苦闘している。
「あの、日向くん」
「さん、おれたちの観るところってここだっけ!?」
「合ってるよ、10番」
日向くんが途端に安堵の息をつく。
つい笑ってしまった。
「そんなに慌てなくていいのに」
「いやっ、だって!」
「前、間違えたもんね」
忘れようがない、あの気まずさ。
観るべき映画と間違えたとしても、よりにもよって、という決定的ミス。
「日向くんが思い出したのってそのことでしょ?」
だから慌てたんでしょう、って、謎を一つ解いたつもりで、自分たちの席の番号を探しながら話しかけると、日向くんは即座に首を横に振った。
あてが外れたらしい。
「じゃあ、日向くん、なに思い出してたの?」
「へ!?!」
「すごく、その、さっき慌ててたから、てっきり私」
「あ!! そっそれも、その、今思い出したけど!」
「さっきは?」
「さっきは……、大したことじゃなくて」
「じゃなくて?」
日向くんがすとん、と席に座る。
私も番号をチェックしてから、となりに収まる。
ドリンクホルダーはどっちを使うんだっけと確認しているときに、日向くんが言った。
「さん、ワンピース着てたなって、それ、思い出してた」
覚えててくれたんだ。
映画の日は、そのあとのロケ地見学も含めて、忘れられない日だったから、どんな形でも日向君の記憶に残っているのはうれしい。
スクリーンは映画鑑賞のマナーの映像を繰り返している。
「エレベーターで……」
「エレベーターって、なんか、あったっけ?」
少しだけ館内の照明が落ちた。
「もう始まるね」
映画を観るときはおしゃべりしないでね。
そう映画館のキャラクターが話してなければ、もうちょっとだけ日向君を追求したのに、結局そのタイミングは訪れなかった。
next.