ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

34





測れば、きっと数秒もない。

人は時間を主観的に生きている。

どこかの問題文で読んだ文章がよぎる程度に、日向くんと私は見つめあっていた。

長い時間のように思えた。

けど、日向くんが握手のような恰好だったのをすぐやめた。
その手で自分の後ろ髪をわしゃわしゃとかき混ぜたかと思うと、チラッとこっちを向く。


さん、いきなり、ごめん」


申し訳なさそうなニュアンスに、そうじゃなくてと瞬間的に手が伸びる。

日向くんの謝罪を打ち消したかった。


“ もっと、さん、さわりたい ”


胸の奥に芽生えた感覚を、自分でも大事にしたくなった。



「日向くん!

  ……こっち、だよね?」


右手と右手、ではなく。

右手と左手。

これなら、握手じゃないから。


「このまま、」


ぎゅっ、と日向くんの手に力がこもる。

視線を上げると、きらきらと、そう、きらきらと日向くんの瞳のかがやきが増した。
気のせいじゃない。


「正解!!」


日向くんの声が弾む。

うれしそうな表情につられ、私も日向くんに合わせてそっと握り返した。


「せ、正解ならよかった」

さん、やっぱエスパーだ!」

「そんなことないよ、ヒントもらったからわかっただけで」

「じゃあ、次はノーヒントっ」

「えっまだあるの?」


『いま、おれが何考えてるか当ててみて』

日向くんの思いつきは、なかなかの難易度だ。

けれど、日向くんはいつまでもクイズを出題しなかった。
無言になったのち、パッと表情を切り替え、告げた。


「やっぱり、なし!」

「へ?」

さんにノーヒントで当ててもらうの、また今度!」

「え、なんで?」

さん、映画行こ!! 何時のやつあるかわかんないし、まず、映画館!!」

「いやっ、日向くん!」


話の続きをしたいのに、日向くんが本気で走り出す。

手は繋いだまま、日向くんの速度に合わせ、景色が一気に流れ始める。

追いつくのに必死で、話をする余裕がまったくない。

この手を離せば、あっという間に距離が空いてしまうのはわかる。
それくらい、日向くんのスピードは早かった。

揺れる日向くんの後ろ髪、午後の日差しを受けて、色素が薄くなってみえる。
さっき日向くんが乱雑に扱っていたけど、日向くん特有のくせが強いのか、走っている内にいつもの見栄えに戻っていた。

跳ねる毛先、上下して、光る。

日向くんの背中が前より大きく見える。

私服、だからかな。
春休みにすこし会わない内に身長が伸びた、とか。


さん!!」


不意打ち。

日向くんがこっちを向く。

びっくりして、運悪く地面の段差につま先を引っ掛けてしまい、危うく日向くんに激突、……あとちょっとで、するところだった。

間一髪、セーフ。


「ごめん、あとちょっとで日向くんに頭突きするとこだった」


笑ってくれると思って顔を上げると、なぜか日向くんは瞬きをした。ぱちりと、一回。

なんだろうって疑問1つ目。

気づけば日向くんの腕の中にいて、クエスチョンマーク2つめ。

すぐまた日向くんが私から離れる。

謎3つめ。

それら全部合わせても、どれも瞬間的な出来事だった。


「日向くん」

「映画館!」


日向くんが今度はゆっくりと歩き始める。後ろ姿はさっきまでと同じ。


「その、映画館、こっち……だっけ?」


日向くんがちらりと振り返って、ばつの悪そうに声をひそめた。

えーーっと。


「合ってるよ、……たぶん」

さんも自信ない?」

「あー、でも、この先の賑やかな方、だったはず」

「じっじゃあ、真っ直ぐでいいのか。よかった!」

「うん」

「考えなしに走ってごめん」


日向くんのとなりに追いついて、前を見据える。より先に、日向くんの方を向いた。


「大丈夫だよ、日向くん。

 このままでいい」


ほんとうに、大丈夫。

映画館までの道のりについて言ったつもりだけど、なぜだか、そのあいだの出来事すべてを示したような答えになってしまった。

日向くんは、どこか落ちついた様子で、私と同じ速度で歩き続けた。


「それなら、よかった。

 ……映画、楽しみだね」
 

「ねっ」


通じ合っているようで、わからないこともたくさんある。

やっぱり私はエスパーではない。














「前に観たときはさ! 夏だった!!」

「そうだね」


お目当ての映画はちょうどいい時間帯があった。
2枚のチケットを滑り込みでゲットし、お互いに飲み物とポップコーンを買った。

広いシアターが割り当てられているから、おしゃべりしながら移動する。

前回映画を見たときは、午前の回でいろんな映画が近い時間帯で始まったんだっけ。


「今日は空いててよかったね」


あの時は試写会だったから、さらに映画館は賑わっていたのが思い出される。


「あの時、おれ」


なにを話すんだろうと日向くんの言葉の続きを待っても、声はしない。
というか、日向くんが隣にいない。

振り返れば、けっこう後ろに日向くんが立ったまま固まっていた。

私の視線に気づいたらしい。

日向くんがぴょんとその場で飛び上がったかと思うと、すばやく私の隣に戻った。


「ごごごめん、さん! おれ!!」

「なに?」

「い、いい色々思いだしてた!!」

「……なにを?」

「……、……なっなんでもない! なんでもない!! さんはやく行こう! 映画はじまる!!」


すたすたすたと、日向くんが早歩きして、シアターの一つに吸い込まれていった。

と思うと、Uターンしてきた。

両手がポップコーンとドリンクでふさがっているのに、なんとか腕に抱えようと悪戦苦闘している。


「あの、日向くん」

さん、おれたちの観るところってここだっけ!?」

「合ってるよ、10番」


日向くんが途端に安堵の息をつく。

つい笑ってしまった。


「そんなに慌てなくていいのに」

「いやっ、だって!」

「前、間違えたもんね」


忘れようがない、あの気まずさ。

観るべき映画と間違えたとしても、よりにもよって、という決定的ミス。


「日向くんが思い出したのってそのことでしょ?」


だから慌てたんでしょう、って、謎を一つ解いたつもりで、自分たちの席の番号を探しながら話しかけると、日向くんは即座に首を横に振った。

あてが外れたらしい。


「じゃあ、日向くん、なに思い出してたの?」

「へ!?!」

「すごく、その、さっき慌ててたから、てっきり私」

「あ!! そっそれも、その、今思い出したけど!」

「さっきは?」

「さっきは……、大したことじゃなくて」

「じゃなくて?」


日向くんがすとん、と席に座る。

私も番号をチェックしてから、となりに収まる。

ドリンクホルダーはどっちを使うんだっけと確認しているときに、日向くんが言った。


さん、ワンピース着てたなって、それ、思い出してた」


覚えててくれたんだ。

映画の日は、そのあとのロケ地見学も含めて、忘れられない日だったから、どんな形でも日向君の記憶に残っているのはうれしい。

スクリーンは映画鑑賞のマナーの映像を繰り返している。


「エレベーターで……」

「エレベーターって、なんか、あったっけ?」


少しだけ館内の照明が落ちた。


「もう始まるね」


映画を観るときはおしゃべりしないでね。

そう映画館のキャラクターが話してなければ、もうちょっとだけ日向君を追求したのに、結局そのタイミングは訪れなかった。




next.