ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

4







この時はじめて、金髪の人を直視した。

ポスター前で何度もすれ違った。
お互いそれとなく意識しあい、かといってしゃべるきっかけも理由もなかった人。

不良かなと怖がっていたはずが、なぜかそうではなさそうな印象を受ける。

まじまじと見つめていると、相手のほうが警戒した猫のように視線を下げた。

その先には私のカバンがあった。
コーヒーで濡れている。
足元には、中身が入っていたであろう紙コップが1つ転がっていた。

人はまた行き交う。
ゲームのファンファーレが響く。

騒々しい駅の階段の途中なのに、まるで優雅なリラックスタイムのようにコーヒーの匂いがする。

人は、ちぐはぐとした状況にいると、思考が停止するらしい。
例にもれず、どうすべきかすぐ判断できなかった

えぇっと……、そうだ。


「わ、私は大丈夫、」


言い終わる前、金髪の人に上着を引っ張られて壁際へよろついた。

次の電車がやってきた。
またたくさんの人が階段を降りていく。
下の方から電車に乗ろうと人が駆けてきていた。

金髪の人は私からすぐ手を離し、また目を伏せた。


「大丈夫にみえないけど…」

「いや、でもほんと、大丈夫、あっ!!」


相手がびくっとしたのにも気づかず、大慌てでカバンを開けたのは中身が心配だったからだ。

けれど、よかった。

本当に無事な姿を確認できて、安心して顔を上げた。


「大丈夫でしたっ!」


金髪のその人は怪訝そうな表情だった。


「なにが……?」

「お土産っ、本のおかげで濡れてない!」


1冊目は東京の観光ブック、もう1冊は月刊バリボー。
どちらもしっかりとした表紙をしている。

おかげで、そのすぐ下に入っていた友人へのお土産は今朝と変わらない様子だった。

金髪の人は眉を寄せてくりかえした。


「大丈夫な理由、よく…わかんない」

「だからっ」


と言いかけて、そういえば袖もカバンもスマートフォンも濡れたままなんだって状況をやっと飲み込めた。

無事だった方の手でカバンをまさぐる。


「ティッシュは持ってるっ、か、ら……」


カバンに入っていたんだし、ティッシュというものは吸水性がある。

白い部分と茶色いコーヒーの部分がちょうど半分ずつになっていた。

これで服をぬぐったら、茶色い染みはとれるのか、それとも広がるのか、どっちだろう。


「は、ハンカチもあるし」


「ねえ、ちょっと」


カバンを探っている最中だった。

声をかけてきたのは、金髪の人じゃない。

ゲームのポスター前でよくすれ違う男の人たちだった。


「当たり出てたよね? ID教えてくれない?」

「あ、あいでぃー……?」

「IDわかんないなら名前でもいいし」
「名前でいい、名前」


なんとなく怖くなる。
なんでもいいから終わらせたくなる。

名前を言って済むのなら。


です。


そう答えようとしたのに、腕を引っ張られた勢いで言葉を飲み込んでしまった。

隣にいた金髪の人が、俯き気味に階段の上がった方を指差した。


「あ」


一斉にそっちに気を取られたと思う。私も含めて。

でも、もっと驚いたのは、予想よりずっと強い力で腕を引っ張られたからだ。

降りた先は色んなホームや路線を行き交う人々にお土産屋さん、その他色々であふれている。

金髪の人に導かれるままに走ってはしって、ようやく比較的人気のないロッカーがたくさん並んだところで、二人して立ち止まった。


なんだろ、この展開。

私の戸惑いに気づいたのか、いや単純に視線が向けられているのが鬱陶しかったのか、その人は呆れた様子でため息をついた。

言いたいことがあるなら言ってほしい。


「ああいうのに、名前…、かんたんに教えない方がいい」

「あー、いう、の?」

「このシリーズ、人気あるから利用されるかも」


その人はスマホをいじっていた。

ムービーの映像は今日何度も自分でも見たものだった。


「名前……教えたくらいで利用できる?」

「名前…っていうか、IDでもいい…、当選してる人とフレンドになると一緒にシークレットコードがもらえるから」

「それを、あの人たちが欲しがってたってこと?」

「ん…、自分たちで使うか、売るかわかんないけど」

「売る!?」


たかだかゲームのなんとかコードを?
自分でポスターを読み取れば当たる可能性があるのに?

世の中にはそういう人もいる。

金髪の人はぽつりと教えてくれた。

せっかくなので『名前でもいいって言ってたのは?』と聞くと、ゲームを登録した時の名前でもフレンドになれるから、だそうで。

そんなことも知らないのってつぶやかれたから、素直に答えた。


「私、このゲームまだちゃんとやってなくて」


その人はスマホの画面を下げた。


「やってないのになんで今日ずっとQRコード読み取ってたの?」

「あ……、いや、駅で、その」


キャンペーンのイベントをやっていて、そこにいたスタッフの人に勧められたから。

友達がやってたはずで、喜んでもらえるかも。


説明するとますます不思議そうに……、いや、困惑気味に金髪の人は肩を丸めた。


「よく…わかんない」

「わかんないって、なんで? そんなにおかしい?」


答えてくれなさそうな気がしたけど、その人はチラリとこっちを向いてからスマホに視線を戻した。


「自分でやるゲームじゃないのに…ポスター回るの、おれなら面倒だって思う」


……。


「ポスターたくさんの人が探してるってことは、きっとおもしろいゲームなんだろうし。

 今こうやってゲームしてる人もいるしっ」


自分のことだと気付くと、金髪の人は私を避けるように身体を変えた。


「別に…、ただ、時間があるからやってるだけ。

 ……それより、手…、服も、洗った方がいいんじゃない?」


言われてみれば、その通りで、ちょうど手を洗えそうなところも目につき、そそくさとその場を離れた。


出てくると、ロッカー前でその人はまだスマートフォンをいじっていた。

こっちに気づいても、すぐまたゲームの世界に戻っていく。

けれど、近づいたところで避けられることもないので話しかけた。


「大丈夫だった!」

「…どこが?」

「ほらっ、がんばってシミは薄くなった! と、思う」

「思うだけじゃん…」


スマホばっかり見てたくせに、なぜか私の上着のコーヒーの跡を目ざとくチェックされ、シミはそこまで薄くなってないって正された。
……ひどい。


「あと…、その、スマートフォンは?」

「あっ、えーっと」


ポケットに入れていたスマートフォンを取り出してみせた。
パッと見は、買った時と同じである。


「だ、大丈夫」

「にみえない。…電源は?」

「つかない……」

「みせて…」


言われるがままにスマートフォンを手渡した。

そういえば、この人がさっきからいじっている機種と同じブランドかもしれない。

ボタンや画面の横?を確認していた人がポケットから何か取り出した。


「それ、なに?」

「見た通りだけど」

「見てわかんないから聞いてる」

「…充電ケーブル、いつも使ってないの?」


指摘を受けて記憶をたどれば、昨日、携帯屋さんで『使い始める前に一度最後まで充電した方がいいですよ』って言われたのを思い出した。


「でも、これ、ちょっとコードの太さが違う気がする」

「これは純正じゃないから…」


じゅんせい……ってなんだろう。

質問したかったけど、金髪の人がポケットから四角い機械を取り出してため息をついたから、聞くタイミングがなかった。

金髪の人が歩き出す。

すぐ追いかけた。


「どこ行くのっ?」

「バッテリー切れたから…、電源のある所に移動する」

「そんなところあるんだ」

「最近できた」

「へー!」


この人といると勉強になる。

隣を歩きながらついでに聞いてみた。


「なんで、ずっと親切にしてくれるの?」


放っておいてもいいのに、さっきからずーっと世話してくれる。

横顔を見つめても、金髪の人はこっちを向かなかった。

代わりに俯き加減で答えてくれた。


「濡れたの…、おれのせいだし」



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