「でも」
彼は間髪入れずに続けた。
「前に飛び出してきたの、理解できない…」
金髪のその人は、前からドドドと突っ込んでくる集団をスムーズに避け、私もそれに倣った。
「な、なにが? なんで?」
「……距離もあったし、知り合いでもないのに…、おれのこと気にしなきゃ、こんなことにならなかった」
「いやッ、あのままじゃ濡れちゃうと思ったら」
「関係ないじゃん…、そんなの」
「……」
その、とおり、なん、だけど……。
無言のまましばらく進むと、ベンチがずらりと並ぶスペースに辿り着いた。
大きな駅の端に位置するせいか、人が少ない。
奥にサラリーマンが一人、手前にリュックサックを抱いて寝ている学生さんが一人。
電源マークの目印はいくつもあって、そのうちの一つに、先ほどの“じゅんせい”じゃないケーブルをその人は差し込んだ。
金髪の人は私のスマートフォンを見つめたまま動かない。
かと思えば、ベンチの一つに腰を下ろしたので、そのとなりに座った。
“関係ない”って言葉にモヤモヤする。
そういう自分だって、今こうして私を助けてるじゃないか。
実際、いま、助かっている。
いくら携帯屋さんに保証が付いているって言われていても、冷静に考えれば、友人との連絡手段もこのスマートフォンだ。
このまま壊れていたら、合流、ちゃんとできるんだろうか。
帰りの新幹線の切符はあったって日付はまだ先だし、家に電話するのだって公衆電話を探さないといけない。
こんな広くて、人がいっぱいの、よく知らない駅の中、ひとり。
「待ってて」
彼はぽつりとこぼした。
「電源、ないだけかもしれないから…」
ほら、と見せてくれたのは、スマートフォンの画面で、充電中らしきマークが出てきた。
自分でさわった時は真っ暗な画面だけだったから、それだけでホッと力が抜ける。
「電池が切れただけだったんだっ」
「それは…動かしてみないとわかんないけど…、このアプリ使ってるとバッテリーすぐなくなる」
「そうなんだっ」
「ふつう、予備の充電池持ってきたり、カメラ使わないようにしたり、アプリの音も最初に小さくしておく…」
「へーー……」
ん?
自分は予備の充電池も持ってきてないし、カメラもせっかくだからとポスターの写真に毎回使っていたし、アプリの音もスタッフさんの言う通り大きな音量のままだった。
そして、私が今それに気づいたことを、目の前のこの人も察したようだ。
小さく噴き出された。
「し、知らなかったの! 昨日スマホにしたばっかりだし」
ばつが悪くなってつぶやくと、相手はすぐに自分のスマートフォンを触りだした。
見慣れたオープニングムービーが音もなくまた流れる。
そのうち、人気シリーズのロゴがかっこよく映し出された。
「」
そう告げると相手は目を丸くした。
やっぱり猫みたいな人だ。
敵か味方か、判断しているかのような眼差し。
「私の登録した名前、だから。
ほら、シークレットコード?は友達になると、その友達ももらえるって、さっき」
あなたに教えてもらった、と言いかけたら、天童さんに“あなたちゃん”ってからかわれたことがよぎり、言葉がとまった。
気を取り直し、『さっきそう言ってたよね?』と尋ねると、その人の金髪がこくりと揺れた。
余計なお世話……だったかな。
私より熱心にQRコードを追っかけてた気がしたから、言ってみただけだけど。
相手の方は変わらずスマートフォンをいじっている。
私のスマートフォンはまだ充電中だ。
なにも、することがない。
「あのコーヒーの人……」
手にしていたコーヒー、二つ。
ふらふらとしたピンヒールの足元。
オシャレ、してたな。
「大丈夫、だったかな」
「大丈夫って?」
「……え?」
今までより大きな声でびっくりした。
この人、声、小さめだったのに。
しかも眉を寄せてなんか怒ってるみたいだ。
「私、気にさわること言った?」
「大丈夫って気にするの、自分だけにしなよ。人にコーヒーかけといて謝りもしないでいなくなってるのに」
「そ、……だね、言われてみれば、そーだ」
そうだそうだと首を大きく振ると、はあーと明らかにため息をつかれた。
今の発言は思い付きとはいえ軽率だった。
「ご、ごめん、迷惑かけて、変なこと言って」
この人だって、本当なら、今ごろ他のポスターをめぐっていただろう。
ベンチから立ち上がり、ケーブルにつながっている自分のスマートフォンへと近づいた。
「あのっ、後は自分で」
言い終わるより早く、私の端末をその人は手に取った。
スマートフォンの横にある主電源ボタンを押す。
画面が切り替わる。
うんともすんとも言わなかった画面がきちんと立ち上がった。
「やった!!」
「これでいいか確認、「ありがとう!!」
相手は少し間をおいて顔をそらした。
「ちゃんと操作できるか動かして…、ダメなら、待ち合せしてる人の番号みて、おれので電話してもいいし」
「わかったっ」
さっそくメールの機能や電話の画面を表示してみる、けど、ふっと気にかかる。
「私が待ち合せしてるって、なんで」
「ちがった?」
「ち、違わないけど、そんなの話してないのに」
なんでわかったんだ。
相手は私のカバンをチラと気にして、また逸らした。
「お土産」
「へっ」
「大丈夫だったって、さっき気にしてた」
言われてみれば、お土産の存在は相手も知っている。
お土産があるということは、当然、その贈り先がある。
「で、でも、自分用のお土産かもしれないし」
「自分より他人ばっかり気にしてたし…、東京のガイドブックも持ってた」
極めつけは1番最初。
私たちがぶつかりかけたポスター前。
「おれの向かいから来たってことは…、向こう、新幹線の降り口がある…だから、東京から行くんじゃなくて来たってわか「すごい!!!」
人は見かけによらないとは、まさにこのこと。
「名探偵だ!」
小説に出てきそうな出で立ちと似ても似つかぬ金髪の人は、ただ、小さく息をついた。
「違う…」
「でもぜんぶ当たってる!」
「……いいから、友達に連絡しなよ」
「するけど、いま感動してっ、あれ」
スマートフォンの画面の目立つ位置にある、ゲームのアイコンの端っこに数字が赤く書いてある。
アプリを起動すると、さっきと変わらず大音量が流れたから、慌てて音を小さくした。
見慣れたロゴから切り替わる。
何かが表示される。
『 kodukenさんがフレンド申請しました
承認しますか?
はい いいえ 』
「koduken……、外国人?」
「おれだよ」
金髪のその人は、このゲームの“koduken”さんらしい。
「へーっ、かっこいい」
「……承認しなくてもいいし」
「する! ほら、今した!!」
「名前…変えた方がいいんじゃない?」
「名前? あぁ、“koduken”さんみたくアルファベットの方がかっこいいから?」
そう呟くと、本名でこういうのは登録しないもの、だそうだ。
私は本名だと教えたつもりはない。
けど、バレバレらしい。
本名じゃないと言い張ることでもないので、素直にゲームの名前を変えることにした。
でも、名前の変え方がわからない。
あれこれいじっていると、親切にもkodukenさんが書き換えてくれた。お世話になりっぱなしだ。
「ありがとう、“koduken”さん!」
「その呼び方…、ゲームの中だけだから」
「えっ、じゃあ……」
なんて呼んだらいいんだろう。
金髪の名探偵は、こちらの心中を察したかの如く、ぽつりとつぶやいた。
「研磨」
「研磨!」
その響きは、二重になって、この場所を駆け抜けた。
next.