ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

5




「でも」


彼は間髪入れずに続けた。


「前に飛び出してきたの、理解できない…」


金髪のその人は、前からドドドと突っ込んでくる集団をスムーズに避け、私もそれに倣った。


「な、なにが? なんで?」

「……距離もあったし、知り合いでもないのに…、おれのこと気にしなきゃ、こんなことにならなかった」

「いやッ、あのままじゃ濡れちゃうと思ったら」

「関係ないじゃん…、そんなの」

「……」


その、とおり、なん、だけど……。


無言のまましばらく進むと、ベンチがずらりと並ぶスペースに辿り着いた。

大きな駅の端に位置するせいか、人が少ない。
奥にサラリーマンが一人、手前にリュックサックを抱いて寝ている学生さんが一人。

電源マークの目印はいくつもあって、そのうちの一つに、先ほどの“じゅんせい”じゃないケーブルをその人は差し込んだ。

金髪の人は私のスマートフォンを見つめたまま動かない。
かと思えば、ベンチの一つに腰を下ろしたので、そのとなりに座った。

“関係ない”って言葉にモヤモヤする。
そういう自分だって、今こうして私を助けてるじゃないか。

実際、いま、助かっている。

いくら携帯屋さんに保証が付いているって言われていても、冷静に考えれば、友人との連絡手段もこのスマートフォンだ。

このまま壊れていたら、合流、ちゃんとできるんだろうか。

帰りの新幹線の切符はあったって日付はまだ先だし、家に電話するのだって公衆電話を探さないといけない。

こんな広くて、人がいっぱいの、よく知らない駅の中、ひとり。



「待ってて」


彼はぽつりとこぼした。


「電源、ないだけかもしれないから…」


ほら、と見せてくれたのは、スマートフォンの画面で、充電中らしきマークが出てきた。

自分でさわった時は真っ暗な画面だけだったから、それだけでホッと力が抜ける。


「電池が切れただけだったんだっ」

「それは…動かしてみないとわかんないけど…、このアプリ使ってるとバッテリーすぐなくなる」

「そうなんだっ」

「ふつう、予備の充電池持ってきたり、カメラ使わないようにしたり、アプリの音も最初に小さくしておく…」

「へーー……」


ん?

自分は予備の充電池も持ってきてないし、カメラもせっかくだからとポスターの写真に毎回使っていたし、アプリの音もスタッフさんの言う通り大きな音量のままだった。

そして、私が今それに気づいたことを、目の前のこの人も察したようだ。
小さく噴き出された。


「し、知らなかったの! 昨日スマホにしたばっかりだし」


ばつが悪くなってつぶやくと、相手はすぐに自分のスマートフォンを触りだした。
見慣れたオープニングムービーが音もなくまた流れる。

そのうち、人気シリーズのロゴがかっこよく映し出された。





そう告げると相手は目を丸くした。

やっぱり猫みたいな人だ。

敵か味方か、判断しているかのような眼差し。


「私の登録した名前、だから。

 ほら、シークレットコード?は友達になると、その友達ももらえるって、さっき」


あなたに教えてもらった、と言いかけたら、天童さんに“あなたちゃん”ってからかわれたことがよぎり、言葉がとまった。

気を取り直し、『さっきそう言ってたよね?』と尋ねると、その人の金髪がこくりと揺れた。


余計なお世話……だったかな。

私より熱心にQRコードを追っかけてた気がしたから、言ってみただけだけど。


相手の方は変わらずスマートフォンをいじっている。

私のスマートフォンはまだ充電中だ。


なにも、することがない。



「あのコーヒーの人……」


手にしていたコーヒー、二つ。

ふらふらとしたピンヒールの足元。

オシャレ、してたな。


「大丈夫、だったかな」

「大丈夫って?」

「……え?」


今までより大きな声でびっくりした。

この人、声、小さめだったのに。

しかも眉を寄せてなんか怒ってるみたいだ。


「私、気にさわること言った?」

「大丈夫って気にするの、自分だけにしなよ。人にコーヒーかけといて謝りもしないでいなくなってるのに」

「そ、……だね、言われてみれば、そーだ」


そうだそうだと首を大きく振ると、はあーと明らかにため息をつかれた。

今の発言は思い付きとはいえ軽率だった。


「ご、ごめん、迷惑かけて、変なこと言って」


この人だって、本当なら、今ごろ他のポスターをめぐっていただろう。

ベンチから立ち上がり、ケーブルにつながっている自分のスマートフォンへと近づいた。


「あのっ、後は自分で」


言い終わるより早く、私の端末をその人は手に取った。

スマートフォンの横にある主電源ボタンを押す。

画面が切り替わる。

うんともすんとも言わなかった画面がきちんと立ち上がった。


「やった!!」

「これでいいか確認、「ありがとう!!」


相手は少し間をおいて顔をそらした。


「ちゃんと操作できるか動かして…、ダメなら、待ち合せしてる人の番号みて、おれので電話してもいいし」

「わかったっ」


さっそくメールの機能や電話の画面を表示してみる、けど、ふっと気にかかる。


「私が待ち合せしてるって、なんで」

「ちがった?」

「ち、違わないけど、そんなの話してないのに」


なんでわかったんだ。

相手は私のカバンをチラと気にして、また逸らした。


「お土産」

「へっ」

「大丈夫だったって、さっき気にしてた」


言われてみれば、お土産の存在は相手も知っている。

お土産があるということは、当然、その贈り先がある。


「で、でも、自分用のお土産かもしれないし」

「自分より他人ばっかり気にしてたし…、東京のガイドブックも持ってた」


極めつけは1番最初。
私たちがぶつかりかけたポスター前。


「おれの向かいから来たってことは…、向こう、新幹線の降り口がある…だから、東京から行くんじゃなくて来たってわか「すごい!!!」


人は見かけによらないとは、まさにこのこと。


「名探偵だ!」


小説に出てきそうな出で立ちと似ても似つかぬ金髪の人は、ただ、小さく息をついた。


「違う…」

「でもぜんぶ当たってる!」

「……いいから、友達に連絡しなよ」

「するけど、いま感動してっ、あれ」


スマートフォンの画面の目立つ位置にある、ゲームのアイコンの端っこに数字が赤く書いてある。

アプリを起動すると、さっきと変わらず大音量が流れたから、慌てて音を小さくした。

見慣れたロゴから切り替わる。

何かが表示される。


『 kodukenさんがフレンド申請しました 

  承認しますか?

  はい   いいえ        』



「koduken……、外国人?」

「おれだよ」


金髪のその人は、このゲームの“koduken”さんらしい。


「へーっ、かっこいい」

「……承認しなくてもいいし」

「する! ほら、今した!!」

「名前…変えた方がいいんじゃない?」

「名前? あぁ、“koduken”さんみたくアルファベットの方がかっこいいから?」


そう呟くと、本名でこういうのは登録しないもの、だそうだ。

私は本名だと教えたつもりはない。
けど、バレバレらしい。

本名じゃないと言い張ることでもないので、素直にゲームの名前を変えることにした。

でも、名前の変え方がわからない。

あれこれいじっていると、親切にもkodukenさんが書き換えてくれた。お世話になりっぱなしだ。


「ありがとう、“koduken”さん!」

「その呼び方…、ゲームの中だけだから」

「えっ、じゃあ……」


なんて呼んだらいいんだろう。

金髪の名探偵は、こちらの心中を察したかの如く、ぽつりとつぶやいた。


「研磨」


「研磨!」


その響きは、二重になって、この場所を駆け抜けた。



next.