卒業式の日からずっと。
日向くんに“すき”だと伝えた時から、自分はなんでもかんでも日向くんに結びつけてる気がする。
バレーって聞くだけで好感度が上がるのもどうだろう。
「楽しそうダネ」
「!」
クロさんが意味ありげに呟いた。
顔に出ていたらしい。
「あ、なんだよ、研磨」
「人が来たから」
動いたと思った電車がすぐ停車し、ちらほらと人が乗り込んできた。
「俺を盾にしようってか、いいけど別に」
いいんだ、盾にされて。
クロさんは私たちを守るような立ち位置に誘導されても嫌がることはなく、慣れた感じで手すりをつかんだ。
こうやって見ると身長がかなりある。
バレーのブロック、やりやすそう。
この人がバレーするってことは、それに付き合う研磨さんもバレーするんだ。
携帯ゲーム機をいじる指先は骨ばっていて、バレーボールに触れる姿が想像できる。
ポジション、どこだろう。
猫背にしてなくても、バレー選手の中では身長が高い方ではない。
そうなるとリベロ?それともセッター?
途端、バレーすんのに身長いくらあっても足んねーよって頭の中に飛雄くんが現れた。
なんで、こんな時に。
ぶんぶんと頭を振ると、研磨さんはなに?と言いたげに視線を上げた。
ため息一つ。研磨さんの方から。
私の落ちつきのなさに呆れたのかと思ったけど、そうじゃなかったらしい。
「スマホ」
「へっ」
「帰ったら交換してもらった方がいいと思う」
帰ったら、は、旅行先から戻ったらという意味で、コーヒー被害を受けた私のスマートフォンの話だと理解した。
研磨さんのおかげで充電できたし、スマホ、もう大丈夫そうなのに。
「見えないところでどうなってるかわかんない。買ったばっかの内に交換した方が後々トラブらないし…
……別に、しなくてもいいけど」
「する! ありが、と!!」
電車が急停止、勢いよく研磨さんに激突した。
鼻が、痛い。
ごめんなさいの声も情けないものだったけど、研磨さんは私たちの間にサンドされた携帯ゲーム機の方を気にしていた。
ちらりと見えたゲームの画面は一時停止ボタンが押されただけで、データは無事そうだった。
混みそうだな。
クロさんの呟きが頭上から降って聞こえた。
まもなく開く電車のドア、その向こうは人がたくさん並んでいる。
電車の遅延か、たまたまイベントでも終わったのか。
理由はわからないけど、扉が開くと降りる人はいないのに、一気に人がなだれ込んできた。
すごい、これが東京。
ドア前の隅っこにいられる私はあんまり窮屈な思いをせずに済んだ。
これは二人のおかげだ。
クロさん、本当に盾になってくれている。
研磨さんはポジション取りがうまい。私のスペースを絶妙に作ってくれた。
もしかして、パズルゲームも上手いのかな、なんて考えた途端、線路がカーブに入って、研磨さんとけっこー近くなった。
視線が合う。
すぐ逸らされ、研磨さんがつぶやいた。
あと少しだからって、がまんしてって、申し訳なさそうに。
言葉にされなかったけど、近くなってごめんって伝えられた気分だった。
でも、この距離になっても嫌な感じはしない。
黒と金色の混じる研磨さんの髪色はどこかバリアーみたい。
髪の合間から一瞬だけぶつかった眼差しはすぐ逸らされたけど、やっぱりやさしかった。
線路の工事中で時折大きく揺れることがあります。
駅員さんがアナウンスが流れ、放送のとおり大きく電車が揺れた。
工事中の駅のホームに電車が滑り込み、乗ってきた分だけ人がどっと降りていった。
車内が広くなる。
二人とも自然に距離が空いた。
「すごかったな。さん、ダイジョブ?」
「あ、はい! ありがとうございました! 研磨さんも!」
「おれは何もしてない…」
「研磨くん、そこは『君が無事ならそれでいい』って言うとこダロ」
クロさんは、研磨さんからの(冷たい?)反応を気にせず、こっちを向いた。
「さん、こんなやつだけどこれからも仲よくしてやって。何かあったら俺が間を取り持つしサ」
「なにもないよ」
「あったらっ、仮定の話です!」
「ともう会うことないし」
「なーんでそういうこと言うかね」
「クロ、携帯鳴ってる」
「鳴ってないです、バイブです」
「いいから出たら」
「車内では出ません」
「降りるじゃん、もう」
研磨さんの言う通り東京の電車は駅の一つ一つが近いようで、目的の駅にもう到着した。
電話を取ったクロさんは、スイッチが切り替わったみたく、声色も雰囲気も変わる。
話が長くなるのか、私たちに先に行くように、片手で合図をくれた。
ひとまず改札に向かう。
研磨さんに、あの人はキャプテンとかやってるのかと尋ねると、それくらいはわかるんだって少しだけ感心された(でも、あとになって考えてみると、そのくらいもわかんなそうって研磨さんの中でなってたんだと思う。失礼な)
「あのさっ」
エスカレーターじゃなく、人のいない階段を上がっている時に声をかけた。
「ありがとう!」
お礼の言葉に研磨さんがこっちを向いた。
「……なにが」
「助けてくれたから」
研磨さんはますます訳が分からないって眉を寄せた。
でも、言いたかった。
「研磨さん、私のこと放っておいてもいいのにずっと、今も、助けてくれたから、ちゃんとありがとうって」
「そーいうの」
研磨さんが私の腕を引っ張って、後ろからやってきたサラリーマンの人に道を空けた。
「せめて階段じゃないところで言って」
「……ハイ」
ずるずると保護者のごとく研磨さんは私の腕を引っ張っていく。
登り切るとすぐ放された。
「ありがとう! あ、今のは人にぶつからないようにしてくれたからで」
「ありがと」
真っ直ぐに一言、小さな声だった。
聞き間違いじゃなかった。
言い終えた研磨さんは居心地の悪そうにそわそわと両手をポケットに入れた。
このお礼は何のことだろう。
わかってない私をわかっている研磨さんは、最初の、コーヒーのことだと補足した。さすが名探偵。
「それ言った方がいいの…、最初から、おれのほうだから……、お互い様だし、もう“ありがとう”はなし」
“最初からおれのほう”の意味がよくわからなかったけど、はずかしそうにも見える研磨さんに追求することはできなかった。
研磨さんがそっと向こうを指さした。
「行ったほうがいい…、友達、来てる」
「え? あ!」
研磨さんの言う通り、携帯とにらめっこしている友人の姿が改札の向こうにあった。
なんで私の待ち合せている友達だってわかったのか聞きたかったのに、研磨さんはゲームの続きに浸っているようだった。
クロさんの姿はまだない。
それでも、この場に留まっているべき確かな理由は見つからなかった。
“ともう会うことないし”
じゃあね、研磨さん。
言葉を一度飲み込んだ。
「またね、……ゲームの中でも!」
ただ、さよならを告げるのは惜しいと思えた。
次に会えるチャンスなんて名探偵の言う通り、なさそうなのに。
研磨さんは一瞬だけゲーム機から視線を上げた。
手を振ったけど、すぐまた画面へと戻っていく。
本当に、猫みたいな人。
ひと撫でしたくらいじゃあ仲よくなれない野良猫みたい。
でも、その僅かな触れ合いがうれしいんだ。
改札を通り抜け、やっと予定したスケジュールに合流した。
***
「研磨、さんは? もう行った?」
「ん……」
「じゃあ、俺らも行くか」
黒尾と研磨がいつも通りといった風に改札を通り抜ける。
研磨はたちが楽しそうに再会を喜ぶ姿を思い出した。
「研磨、行くぞー」
促されるまま、彼は黒尾の後に続く。
ゲームのイベントの景品は手に入れてもらった以上、大人しくこの後の練習に付き合う他ない。
その話を歩きながらしている最中だった。
「で、あの子とはどういう関係?」
黒尾の言葉にそ知らぬ顔をする。
「別に…、充電切れてたからケーブル貸しただけ」
「ふーーーん」
「なに?」
「べーつに」
黒尾がそれ以上は語らずに口端をあげて歩いていく。
その隣で、研磨はひとつ息をついた。
「……なに、クロ」
「別にって言ったろ?」
「……」
「研磨がさんと会うことないって言ってるんだし、次会うことがあれば聞けばいいだけだ」
にしても、さんって素直そうだよなー。
黒尾は少しばかりのやり取りのなかでの彼女の反応をあれやこれやと話すと、研磨はポツリとこぼした。
「え? いまなんつった?」
「は…、どうせ降りれなくなるってわかるのに、何にも考えないで木に登る猫みたい」
研磨は、自分の前に飛び出してきた彼女を思い出した。
瞬間的な出来事だった。
コーヒーを両手に持った、足元がふらつく女性。
倒れる先に自分がいた。
よけなきゃまずいと思ったけど、避けられるだけのスペースがあの場になかった。
咄嗟に電子機器は腕でかばった。
覚悟を決めたはずが濡れた感覚は訪れず、目の前に彼女がいた。
ゲームのポスター前で何度も遭遇した彼女。
自分の代わりに、コーヒーをかぶって。
「……自分が濡れるってわかるのに…、大丈夫?っておれに聞くのもほんと意味わかんない」
「おい、なんの話してんだよ」
「変な壺買わされそうだよね、」
「……好きな子にずいぶん言うネ」
研磨が怪訝そうに隣を見やる。
「わかりやすいよなー、コードにしたって他人に貸すの嫌がるだろ」
「クロは前に違う口に無理やり挿そうとしたから」
「気に入ったんだろ、その、壺買わされそうなほどお人好しにみえるさんのこと」
研磨は早歩きし、黒尾も負けじと付いて行った。
違う。
ちがわない。
違う。
ちがわない。
互いに、沈黙。
違う。
ちがわない。
またくりかえし。
2人の足音はどんどん遠のいていった。
***
next.