ハニーチ



あなたのとなり、きみの背中

9







結局、男装も女装もなしで(当たり前だけど)、明日はマンションの入り口で待ち合わせすることになった。
お店が開くのが10時だから、移動してちょうどくらいに着くように行く。



「なんか悪い気がしてきた」


部屋に入って早々切り出すと、友人がゲームのコントローラから一瞬指を離して振り返った。


「なにが? がお客様だからって決めたじゃん」

「あ、順番はほんとありがと」


お隣さんが帰った後、どっちが先にお風呂に入るかで、ちょっとしたやり取りになった。
最終的には“はお客様だから”ということで譲られ、おかげで今ぽかぽかのお風呂上りなわけだけど、話題にしたのは明日のこと。


「リエーフくん、……リエーフのこと」


床に転がったクッションを退け、さっきまで座っていた場所に腰を下ろす。
ふわふわのカーペットが気持ちいい。
しっかりと乾かした髪は、いつもとは違う香りがした。


「今日会った私のために付き合わせるのもさ」

「自分から立候補したって言うし、いいんじゃない?」

「そうかなあ」

、気にしすぎ」


友人が言うには、元はリエーフのお姉さんから言い出したことで、せっかくはるばる東京に来るんだったら案内したいってはりきってくれていたとか。

急な用事で私がこっちにいる間は会うタイミングすらないけど、その代わり、アリサさん特製メモ?に則って、弟のリエーフがエスコートする!だそうだ。


「あ、リエーフじゃなくて、れーぼ……、れいぼちか?だっけ」


アリサさんがリエーフのことをそう呼ぶらしい。

友人がボタンを淡々と押しながら訂正した。
“レーヴォチカ”だそうだ。

外国語の響きってかっこいい。


もそう呼べば?」

「なんで。ふつうにリエーフって呼ぶよ」

「呼びづらそうだったからさ。灰羽くんでもいいし」


あれだけ下の名前で呼ぶよう練習したんだし、今さら名字呼びに戻すのも彼に失礼な気がする。


が呼びたいように呼べばいいのに」


友人は器用にコントローラーを動かしながら続けた。


「あの人、なんも気にしないよ」


あの人とは、灰羽リエーフくんのことで、きっとそうなんだろうなと夕飯の時を思い返す。


「日向にもそうなの?」

「え」

「遠慮、呼び方とか」

「え、うーん……」

「言いたくないならいいけどさ」

「そうじゃなくて」


言いたくないってわけじゃなくて。
隠しておきたいってのも違う。

友人が慣れた調子でディスプレイ画面に出てきた選択肢をまよわず押した。

ゲームの中のキャラクターがキラキラと少女漫画のエフェクトに包まれ、好感度がさらに上がった。

ご飯のあと、お風呂の前。
受験が終わったら一緒にやろうと話していた人気のシミュレーションゲームを進めていた。
ただいま、一人目の攻略中である。


『なあ、って呼んでいい?』


画面の中のキャラクターが言い出した。

今のゲームは登録されている名前が多く、私たちの名前もちゃんとキャラクターに呼んでもらえる。
このキャラクターの声優さんが、友人曰く『日向の声に似ている』そうで、プレイヤーの名前は私にされた。

選択肢は、“はい”と“いいえ”。

友人は私に確認することなく、『はい』を選択した。

ここで『いいえ』を選ぶと、真のエンディングシナリオを見ることが出来ない。

また一段とピンクがかったキラキラが画面に現れ、友人と声をひそめて笑った。
なんとなくこのゲームの演出って見ているとこそばゆい。

画面の中のお相手は、こっちがどんな反応しているかなんて知りもしないので、満面の笑顔になって言った。


『じゃあ、って呼ぶ!

 あっ、別にその、バイト先に同じ名字の人がいるから、前から紛らわしいなって、それだけで……

 でも、俺のことも下の名前で呼んでくれて、ぜんぜん……』


たしかに今の声の感じ、日向くんぽかったかも。

そう思った時、友人に軽く小突かれた。
意味ありげな眼差しに心の中を読まれた気がして、違うから、とすぐ返す。


「えー、日向っぽいって思ったでしょ」

「思ってないし、このキャラ、高校生じゃん」

「うちらも間もなく高校生です」

「まだ中学生でしょ」

「春休み中ってどうなんだろ」


部屋の外から、友人がお母さんに呼ばれた。

私がお風呂に出たのにいつまでも来ないからだろう。

友人はゲームのコントローラを置いた。


、進めててもいいよ?」

「待ってるよ」


脇に置かれていた攻略本を見るに、もう少ししたらイベントが始まるみたいだし、一緒に見れた方がいい。


「ま、いいけど」

「ほら、早くお風呂行きなよ」


友人が扉に手をかけ、まだ動かない。


「どうしたの?」

「下の名前で呼ばれる練習に、「いいから早くお風呂行きなって」

「はーい」


まったくもう。

画面には、台詞の続きを表示する矢印マークがピコピコと点滅している。

見かけは特に日向くんぽくない、あえて言えば、髪がくせ毛くらいが共通しているキャラクターが、こちらの反応を待っていた。

『好き』を隠せていないこの感じ。

自分もこうなんだろうか。

キラキラエフェクトは現実世界にはないにせよ、好きな人、こと日向くんを前にすると、こんな気持ちになるのはわかる気もする。


“なあ、って呼んでいい?”


ゲームのキャラクターに言われただけなのに、なぜか再生されるのは日向くんの声で、途端、一気にはずかしくなってくる。

そうだ、次にやるキャラクターも選んでおいた方がいい。

評判を調べようとスマートフォンを手に取った。


着信:日向翔陽


画面が切り替わり、指先がちょうどたまたま通話ボタンに触れた。

日向くん。


「もっもしもし!」


こんな、ちょうど電話が来るってこと、あるんだ。

ドキドキと端末を耳に当てて声を発する。


「あれっ、……もしもし? 日向くん? だよね」


まさか違う人じゃないよねと画面を確認しようとしたとき、『さんっ!』って聞き慣れた返事がきた。

ホッと胸をなでおろす。


「ビックリした、返事ないから違う人かなって」

『おっ、おれです、日向翔陽!』

「ん、よかった」


間違えたりしてなかった。

日向くんだ。



「どうしたの、急に電話」

『いっ今さ、えっと』


電話の向こうでガシャッて何かが落ちる?ぶつかる?音がした。


『だっ大丈夫! ちょっとぶつけただけっ。

 ……びっくりしてさ』


「ビックリ?」


さん、出ないかなって思ってたから』


日向くんは間をおいてすぐ言った。


『声きけて、うれしいっ!!』


本当に、そう思ってくれてるんだろうなって声色で、日向くんは伝えてくれた。

私もうれしい。
そう返したかったけど、日向くんはすぐに『東京どう!?』って尋ねた。

窓の向こうに視線を向ける。
すっかり日が沈んで、きらり、きらりとビルや色んな明かりが灯っている。


「なんかすごく光ってる」

『おぉ!!』

「って、まだなっちゃん家しか、ちゃんと見れてないけど」

『東京タワーは!? 見たっ?』

「うーん、東京タワーかなあって感じのは見れたけど、本当にそうかわかんなくて」


そっか、なっちゃんに聞いとけばよかった。
お風呂から戻ったら聞こう。

って思った時、日向くんから『夏目は?』って聞かれた。


「いま、ちょうどいなくて」

『そっか!』

「あ、話したかった?」

『いや!! いやっていうのも、ちょっと違うけど』


日向くんはすぐ続けた。


さんと今日話せてなかったから……、どうしてるか気になって。

 でも、夏目の家に泊まるって言ってたから二人の邪魔したら悪いし』


そんなことないよってフォローを挟む隙もなく、日向くんは言った。


『一回だけ鳴らしてあきらめようって。

 でも、さん、出てくれたから……、おれ、たぶん浮かれてる。

 そう!!

 今日さ、烏野の制服測りに行った!』


そういえば男子の方が日程が早かったはず。

入学書類を頭に思い浮かべながら、日向くんの『女子はまだだっけ』という問いかけに返事した。


『4月、待ち遠しい!!』

「そうだね」

さんとの約束もっ、待ち遠しい……』


日向くんの声は、ちょっとだけ小さくなった。

春休みに会う約束はしていた。
でも、なんでだろう、もう、いま、会いたい。


会いたい……

電話の向こうで聞こえた呟きが、胸の内と重なった。

日向くんが早口に告げた。


『も、もう切んないとダメだよな!! さん、ありがとう!!おれ、こっちで待ってる!』

「ひな、『おやすみ!!ってまだ寝ないか、じゃあ、また!!』


あ、切れた。

スマートフォンには、通話終了の文字が出ていて、すぐアイコンが並んだ画面に戻った。

日向くんはいつもと変わらなかった。
目の前にいないのに、強い風に包まれたみたい。


「わ!!」


ドアが静かに開いていて、友人がこっちの様子を窺っている。おばけかと思った。


「出ないよ、おばけは」

「なっちゃん、どしたの」

「忘れ物した」

「はやく入りなよ、自分の部屋だよ」

「いやあ、邪魔すんのも、ねえ?」

「『ねえ?』って」


大した話をしていたわけじゃないけど、聞かれていたと思うと気恥ずかしい。

焦ったせいでゲームのコントローラに手が触れた。
日向くんに似ているらしいゲームのキャラクターが『が呼びたいように呼んでほしい』ってしゃべって、またひとつ、からかわれてしまった。



next.