ハニーチ

スロウ・エール 10




「今日、楽しみだったんだ」


電車が来て開口一番に日向君が言った。
電車はガラガラで、同じように朝から遊びに行く家族連れだとか大学生くらいの人がちらほらいるくらいだ。
空いているからと座って見える景色の向こうで、海と空が輝いていた。


さんにどうしても見せたかったから」


日向君が取り出したチラシにはイルカの親子が映っていた。


「か、かわいい……!」

「でしょ!? 最近親子で見られるようになったんだって」

「そうなんだー」


親子イルカのお披露目と書いてるチラシにはちょうど7月末で公開と書いてある。どうやらイルカの体調を考えて、またしばらく見られなくなるらしい。


「今日は見られるんだね。前に来た時は見られたの?」

「イルカは見れたけど、親子じゃなくて別のイルカだったよ。そん時もすごかった。あ、あとこのクラゲ展も見る?なんとかっていう光るやつだって」


日向君がズボンのポケットから次々にチラシを取り出した。かなり小さく折りたたまれていたので皺が付いていた。日向君がささっと手で紙を伸ばした。


「ふーん、世界初って書いてある」

「クラゲって珍しいの?」

「この種類が珍しいんじゃないかな」

「興味ある?」


問われて、想像してみる。


「なくはない、それに、この端っこの広がってる大きいクラゲは興味ある」

「あ、おれも思ってた」

「やっぱり?」


前から思ってたけど……


さんとけっこーかぶるよね、気になるとこ」


ほら、今も重なった。おんなじことを思っていた。
こんな小さなことでときめくんだ。この高鳴りもどうせなら同じであってほしい。
ぎこちなく頷いた。


「前もさー、美術の時の色がいっぱいの小さいやつ選ぶのあったじゃん」

「カラーチャート?」

「それ! あんだけたくさんの中から1枚選ぶのに、さんとおれで一緒の色だったんだ」

「そうなんだ」

「そう、チラッと見た時、同じでさ。すげーなあって、他の誰ともかぶってないしさ」


言われながら、日向君の言葉は少なくとも好意的なものであることはわかってうれしかった。
ただ、残念ながら美術の時間で日向君と同じ色を選んでたなんてちっとも覚えていない。


「どうかした?」

「あ、ううん」

「?」

「いや、私も日向君が選んでたの見とけばよかったなーって。2番目の色とか、3番目のとか」

「2番目と3番目は全然違ってたよ」

「あ、そうなんだ……」


ちょっとがっかりだ。


「でもさ、それもいいなって。あ、あれ見て!」


いいなって言葉に気を取られながら、日向君が指さす方向を見てみた。
ちょうどカモメの大群が空を飛んでいく。
太陽がまぶしくて目を細めて、隣を見ると、同じように日向君もお日様に照らされていた。今さらながら麦わら帽子を外して膝上に置いた。


「その帽子、似合うね」

「あ、ありがとう」

「制服以外で会うのってはじめてだっけ」

「いや、林間学校とかは私服じゃない?」

「そっか。おれとさん、班、別だったもんなー」

「今年はどうなるかな、席近いし」

「同じ班だったらいいなー」


そういう言葉につい期待する。


「おれの班、料理下手すぎて失敗してさー、ご飯がおかゆだった」


そういうことか。でも、がっくりする日向君につい笑ってしまう。


「カレーだったのに?」

「そう、カレーにサラダにおかゆ。しかも中途半端にふた開けたせいで灰が入ったし」

「そしたら今年は失敗しないんじゃない?」

さん料理上手だからさ、教えてよ、おかゆにならない方法」

「水の量を計れば誰だって出来るよ」

「そうかなー、なんで失敗したんだろ」


水族館までの長い道のりで、たぶん今まで一番長く日向君と話をした。
というか、日向君は1年生の時のこともかなり覚えていて驚いた。私の方は実を言うと記憶していないことも多い。さっき話題に出たカラーチャートのことも、他にも体育祭や文化祭、はては私の家庭科の作品まで記憶していてくれた。あんなに人に囲まれている日向君が、同じクラスの何の変哲もない私のことを知っていてくれるなんて凄いなと心から感心した。


「あ、次だね」

「あっという間だね」

さん、飴いる?」

「飴?」


日向君が斜め掛けしている鞄のチャックを下げる。
中から出されたビニール袋にはたくさんのお菓子が入っていた。そこに、キャンディーのバラエティパックもある。コーラに、カルピス、デカビタ、ピクルス、それにオレンジのなっちゃん。


「どれでもいいよ、あ、全種類あげるよ」

「な、なんか遠足みたいだね…」

「今日出かけるって言ったら親に持たされてさ」

「そうなんだ……」


前に日向君の家に伺った時に会ったお母さんを思い浮かべた。翔陽の彼女!?なんて言われたことが頭に過る。手のひらには日向君から手渡された飴玉がいっぱいだ。


「こんなもらっていいの?」

「まだこんなにあるよ、食べたくなったら言って」


日向君は早速コーラ味を口に入れたので、私はカルピスを一つ頬張った。続けて、デカビタ味も日向君は放った。どんな味になるんだろ。


「けっこーうまいよ」

「何味になるの?」

「コーラデカビタ味」

「まんまだね」

「炭酸同士合うんだよ」

「日向君、ドリンクバーで混ぜてみるタイプでしょう?」


日向君は、そんなに変な色にして飲まないよって言って、(やっぱり混ぜてみるタイプなんだなーなんて思って)、電車が駅に留まるより日向君は早く立ち上がって、私が立ち上がるのをゆっくりと待った。


「行こう」



そう声をかけられて隣に並ぶ。


一歩遅れて、日向君のスニーカーの後をぺたんこのお気に入りの靴で降りた。
屋根のない駅を改札目指して歩く。


日向君がタッチ式の改札で引っかかって、普段は電車使ってないもんなって思った。


同じように水族館に向かうカップルを見た。
はたから見たら同じように見えるのかな。ふとした瞬間に一人意識して、口の中のカルピスの甘さに頬が火照っていた。


next.