ハニーチ

スロウ・エール 11



海の匂いがする風が吹く方に歩いていく。
帽子がさらわれないように軽く押さえて、日向君の後ろに続いた。
勝手に彼氏彼女に見えるかなと思っていたものの、それは係のおばさんにあっさりと打ち砕かれた。


「はい、お姉さんと一緒に食べてね」

「おねっ!?」

「ひっ日向君、あっち!あっちにクラゲ展あるから先に見よっか」

「うう……」


どうやら入口に立つ係のおばさんは、日向君が小学生に見えたらしい(小学生にだけイルカキャンディーを配っていたから)。
しかも私はお姉さん……、こんなことならもっと子供っぽい服にすればよかったかなと水槽に映る自分の姿を眺めた。


「はい、さん」


差し出されたのはイルカキャンディー。
おばさんが気遣いで2つくれたようだった。


「い、いいよ、日向君にもらったのあるから。夏ちゃんのお土産にして」

「……くそー」


肩を落とした日向君が無造作にキャンディーをズボンのポケットに押し入れた。
男の子って女子よりも成長が遅いって言うし、きっと日向君はこれから大人っぽくなるはず。
今だってかっこいいのに、未来の日向君を想像するとその時私の心臓はどうなるんだろうなんて思った。

まずは、今日一日をどう過ごすかだ。
どこかショックを引きずっているらしい日向君のカバンをぽんぽんと触れた。
私が楽しめるんだから、きっと日向君もだ。そんな期待をして、一際大きな水槽を指さした。
薄暗い展示のなかで、水槽だけはライトアップされていた。


「おおお……っ」

「おっきいね」

「すげ!でか!」

「ここの中で一番大きいらしいよ」

「手?足?それだけでも長ぇ!!」


いつも目に触れることがない生き物、それを順路にならって見学していく。
途中で、触れ合いコーナーもあって、ヒトデやらカニやらを二人で触ってみたりした。
特別展示が終わると、次は通常の海の生き物たちのコーナーだ。
大きな生き物はこの水族館ではイルカショーのイルカだけだけど、カラフルな魚や近海に潜む深海魚はかなりインパクトがあった。目玉が飛び出ていたり、チョウチンアンコウみたいなのもいて、二人で笑った。
混み合ってはいない程度に他にもお客さんはいて、迷子になることはなかった。
日向君も時々、夏ちゃんと来た時のことを話してくれた。お兄ちゃんの顔になるところも、ひそかに好きだ。


「疲れた!?大丈夫?」

「ううん、平気」

「ソフトクリーム食べる?買ってくるよ!」

「いいよ、一緒に行く」

「おごる!!」

「え!」


お昼を食べ終えて、外のテラスで座っているところだった。
私が止める間もなく日向君は売店に駈け出している。
お礼だからと言ってお昼のハンバーガーセットもごちそうになりかけたのを必死で止めた後だった。
そんなに気を遣わせてかえって悪いな。
ソフトクリーム分の小銭を握りしめて、氷で薄まった爽健美茶でのどを潤した。
太陽の位置の関係で、日差しがじりじりと迫っている。
日向君が言うとおり、展示している場所は温度管理されているものの、展示と展示の移動は野外だから、かなり日に焼けた。今日、かえったらひりひりしそうだな。

二つ並んだハンバーガーセット、すでに食べ終わっているけれど、二人で来た記念に携帯で写真を撮った。
日向君がいる前だと恥ずかしくて撮れなかったけど、こんなことなら食べる前に写メればよかったかな。


「何撮ってんの?」

「!おかえり」

「お待たせ、はい、ミックス」

「あ、ありがとう。これ……」

「なに?あ、お金、いいよ」

「でも」

「気にしないで、これうまいよ。あ、そっち側溶けてきてる!」

「わっ」


慌てて舌で舐めとったソフトクリームは、甘いチョコレートの味だった。


「日向君、もうちょっと日陰に入った方が……」

「いいよ、これくらい」

「暑くない?」

「平気へーき、おれ丈夫だから」

「日向君、夏もずっと自転車で学校だよね?」


前に日向君宅に行ったときのことを思い返す。
バスならまだしも、自転車で登下校だとかなり時間がかかりそうだ。

慣れればすぐだよ、なんてすました顔で日向君は言うとあっという間にコーンも食べ終えていた。
私も遅れないようにしないと。
さくさくとコーンをかじる。ゆっくりでいいよと声をかけられて、優しさに一人ときめいた。
また風が吹いた。


「次はイルカショー行こう」

「うん、行く。行きたい」


早く、はやくしなくちゃ。
ショーを見るところで邪魔にならないようにと、コーンをさらに食べ進める。
日向君は待っててくれても、気持ちはつい急いてしまって風が一段と強く吹くのを忘れてしまった。


「あ」


麦わら帽子が風にさらわれてしまった。
帽子を押さえるのが少し遅れてしまった。
高く舞い上がる、その時だった。

私の向かいにいた日向君が、私の帽子を掴んでいた。

飛んだみたいだった。

これは一瞬の出来事で、日向君は前に学校で見た時と同じように着地していた。

胸がざわめいた。その時と同じで、純粋な驚きだった。
やっぱり、日向君はすごい。


「はい、さん」

「日向君!」

「!」


椅子に座っていた私に帽子をかぶせた日向君、お礼を言わなきゃと考えすら浮かばずに立ち上がっていた。
立ってみると日向君を少し見下ろす形になる。
やっぱり私の方が身長が高い。でも、そんなの関係ないんだ、日向君の前では。
日向君に私の影が被っていた。


「……すごい、ね」


絞り出した言葉は、これだけで。
もっと気の利いた言葉をどうして出せないんだろうと表情が歪んだ。


「前にたまたま、練習してる日向君、見たんだ」


その時も思った、日向君はすごいって。
こんなにジャンプできるんだって、見たこともない身体能力だ。
絶対にバレーで活かせる。絶対。


「私ね、こんなに飛べる人、初めて見たよ」


すごく、かっこよかった。


「日向君って、すごい」


この胸のざわめきを、そのまま言葉にする方法を私は持ち合わせていなかった。


「……すごいよ」


もっと本を読めばいいかな。勉強したらいいのかな。
この気持ちを届けられたらいいのにな。

日向君は照れた様子で頭をかいた。


さんに言われると……、うれしい」

「うん、だって、ほんとに、ほんとにすごいから」

「!へへ。ほ、ほら、行こう。始まるからさ」

「うん」


気持ち、届いたかな。
やっぱり日向君がバレーできるようになってほしい。
そんなことを思いながら、幸せな気持ちでイルカショーを見に行った。
日向君が見せたかったと言ってくれた親子のイルカは軽やかに水中から空へと飛び跳ねて、思い切り拍手を送った。

わたし、今日のこと、絶対に忘れない。


「これ」


帰り道、駅に向かう途中で差し出されたそれは、お土産コーナーの包み紙だった。
おずおずと受け取って袋のシールを丁寧にはがすと、ピンク色のイルカのストラップが入っていた。鈴は金色をしていた。
日向君が照れくさそうに続けた。


「お礼。何がいいかよくわかんなくて、他のがよかったかもしれないけど…」

「うれしい。かわいい、……嬉しい」

「そっか」


日向君は安心した様子で道路の白線の上を歩いていた。


「日向君、ありがとう」


日向君はどういたしましてと言う感じで頷いていた。
しばらくお互いに黙ったまま、駅に向かった。
日が落ちるにはまだ時間がかかりそうだけど、電車を降りるころには一番星は見つけられるかもしれない。

歩きながら並んだ影の長さは身長が変わらなく見えて、そっと手を伸ばして影だけでも手を繋いでいるように見せてみた。なんて、すぐに離れたけど。


「日向君、あのさ」


振り返った日向君と目が合った。


「がんばってね、バレー」


これからも応援しています。
そんな気持ちをこめて伝える。


「おう!」


日向君も嬉しそうに笑ったから、明日からも迷わずに応援できる。
そうしたいと切に思った。

どうか日向君がバレーできますように。

日向君と別れてからもバスに揺られながらそんなことをつらつらと願った。
ストラップ、どこに付けようかな。

親にばれないように家に入る前に表情を整えるのに必死だった。


next.