ハニーチ

スロウ・エール 100





「これは」


差し出した写真には、確かに自分が映っている。
文化祭の準備をしているところだ。

日向くんがハッとした様子でズボンのポケットをまさぐった。
その仕草が、この写真をずっと持っていた証明に見えて、ますます混乱した。


「あれ、エントリー写真ですか?」


文化祭実行委員の人が、私の手にあった写真に気づいたらしい。

どうにも今日は風が強く、落ちてしまう写真もあり、さっきも同じように写真の届け出があったという(曲がりなりにも人の写真だというのにそれでいいのか疑問だ)

こっちで処理します、と彼が写真に手を伸ばした時だった。


「ちっちがいます!」


日向くんが代わりに写真を手にしてポケットにしまった。

委員の人が目を丸くしたところで、日向君は事務局のテーブルにすべてのスタンプが揃った用紙を差し出した。
声をかけてきた委員の人も、写真に特別興味があったわけじゃないらしく、仕事としてスタンプラリーの景品を用紙と引き換えに差し出してくれた。

景品はボールペンだった。学校の名前と文化祭の正式名称が印刷されている。

どこが豪華景品だ、とツッコみつつ、赤、白、青の3色から好きな色を選ばせてもらった。
日向くんが胸ポケットにボールペンを入れて、私はそのままボールペンを握りしめた。

広場が盛り上がる。
壇上にコンテストの特別賞に選ばれた人たちが並んで歓声を受けていた。

日向君は、何も言わない。

ちょうどチャイムが鳴った。


「教室、もどろっか?」


写真を持っていたわけを聞きたい気持ちもあったけど、この場で聞く気にもなれず、そう切り出した。

もしかして日向君の方から写真のことを話してくれるかと思ったけど、日向君は何も言わない。
一層賑わう広場とは裏腹になにも会話しないでクラスに戻ることになった。

教室もまた文化祭の余韻であふれていた。売り上げもよかったらしく、楽しそうな室内にいるには、少しだけ場違いに感じられた。

やっぱり、日向くんが持っていた写真が気にかかる。


、どうだった?」


友人に小突かれる。
この含み笑いは日向くんのことを指しているに違いなかった。


「どうって言われても」


楽しかったことはいっぱいあるのに、人間はどうして一番最後のことで記憶が上書きされるんだろう。

友人がさらに口を開きかけたタイミングで、文化祭終了のアナウンスが始まった。
放送に合わせてみんなその場で床に座った。

校長先生の話なんてまるで頭に入ってこない。

さっきの写真が思い浮かぶ。
写真の感じからして、コンテストのボードに貼られていたものだ。
日向くんがはがしたってこと?なんのために?


、後夜祭出るよね?」


友人が囁く。校長先生のありがたくも長いお話に飽きたのは同じだった。
もちろん参加するつもりだ。
片付けは来週で自由解散、生徒会と文化祭実行委員主催だけれど、後夜祭は有志で色んな人たちが参加して去年も盛り上がったイベントだ。

小さな声で友人と会話しながら、やっぱり向こうに座る日向くんが気にかかった。







広場は、後夜祭を心待ちにする生徒でいっぱいだった。
なんといっても、これが本当に最後の文化祭イベントだし、一般客のアンケート結果も発表される。
あっちの方で自分たちのクラスにはこんな客が来た、なんて男子たちが盛り上がっている。
その中に、日向君もいた。


、次、吹奏楽部の演奏あるって!」

「あ、聞きたい!」


軽快な音楽が気持ちを躍らせる。
外部の目がない後夜祭は生徒のはめも外れてよりいっそう熱量が増していた。先生たちもよっぽどのことがない限りは後夜祭はフリーにしてくれる。


「ミスターと写真撮ってー!」


どっからか黄色い声が聞こえる。あれ、アルバム委員のカメラだ。

となりの友人を見た。


「ねえ、ミスター雪が丘って他の人じゃなかったっけ?」

「辞退したんだよ、はずかしいからって」


コンテストの参加者になることすら嫌な自分としては、その気持ちが簡単に想像できた。
この世の中、前に出たい人ばかりじゃない。


「遠野もさ、特別枠、辞退したってさ」

「あ、そうなんだ」

「もったいないよね、図書カード5000円もらえるのに」

「いいなあー!」


確かに“豪華景品”という表現に誤りはないだろう。
スタンプラリーも同じ景品だったらいいのに、と思いつつ、それじゃ委員会の予算がないかと納得した。


さーん、さーん!」


友人に一言告げて、別のクラスの人に呼ばれて足を運ぶ。

卒業アルバム委員の人たちで、折角だから写真を撮ろうということらしい。
映すのはいいけど、自分が映るのはな。
同じ委員の翼君もそう思っていたようで、少しだけ端っこで今日の文化祭について話した。


「もったいなかったね、ミスター雪が丘になれたのに」


言いながら、やっぱり日向くんが持っていた写真が気になって。

あの写真がボードに貼られていたというなら、誰かが曲がりなりにもミス雪が丘に推薦してくれたってことになる。

もしかしてふさわしくないから日向くんがはがしたんだろうか。
その想像が事実だったら、ちょっと、切ない。
自分が選ばれるとはこれっぽっちも思っていないけど、気分的に、好きな人にはやっぱり自分のことをよく想っていてほしい。
ってまた、自分の事ばっかりになっている、と即座に猛省した。


「すごいね、それ」


ひとり考え事にふけっている間に、翼君の手元にはコンテストで集まった彼自身の写真の束が届けられていた。
ご丁寧にアルバムにいれられていると思ったら、一枚一枚にメッセージが書かれている。

サッカーをやっているところがかっこいいです。
前に手伝ってくれてありがとう。
応援しています。

もはや一種のファンレターだ。


さん!」


その声は紛れもなく日向くんで。


「ちょっと、展示のことでいい?」

「う、うん。これごめん」


アルバムを一緒に見ていた子に渡して、先に校舎に歩き出す日向くんを追いかけた。

展示と言っていたから、まさかあのバルーンアートに何かあったのかな。
今日は風が強いし。

日向君は心なしか早歩きだったから、展示に何があったかは聞かなかった。
早めに現場に行ったほうがいいだろう。

そう思ってたどり着いた先には、今朝見た時より少しだけしぼんだ風船の展示物があるだけだった。
どこが壊れてるんだろうと、電気をつけるより先にしゃがんで展示物を注視した時だった。


「ごめん」

「え?」

さんと話したくて」


展示はなんともない、と日向くんが同じようにしゃがんで言った。


「それなら、その、よかったよ」


そう言いながら、よくよく考えれば、展示が壊れていたって文化祭は終わったんだからなんの問題なかったことに思い至った。
二人で話したくて広場から連れ出してくれた、という事実を今さら理解する。


さん」


遅れて心拍数が早くなる。いま、呼ばれただけなのに身体のバランスが崩れて倒れかけた。


「だいじょぶ!?」


日向くんが腕をつかんでくれたから倒れずに済んだ。


「あ……、ありがと」


日向くんも咄嗟に助けてくれただけで、すぐに手を離してくれた。

広場の方から聞こえる音楽が切り替わる。
合図のようにどちらともなしに立ち上がった。


「あの、話って?」

「これ」


日向君のポケットからはさっきしまわれた写真が取り出された。


さんに、渡さないとって」


差し出されたものを受け取る。

確かに自分の写真だ。


「本当にごめん。広場のあそこに貼ってあった。チラシ配ってた時に見つけて」

「そ、か」


だから私が見に行ったときには友達が見たっていう写真はなかったのか。

謎が解けて、ある意味すっきりした。


「ありがと、日向くん」

「……なんでありがとう?」

「なんでって」

「怒らないの?」

「怒る?」

「勝手に、はがしたから」

「でっ出る気ないから。日向くん知らないだろうけど、私の写真があるって教えてもらって、自分ではがしにいったの」


今日のドタバタの一因にもなっていた。

まかり間違っても、コンテストの参加者になんかなりたくないし、不特定多数から見られる場所に自分の写真なんて貼られたくなかった。


「でも、どうしてはがしてくれたの? 写真、気にいった?」


後半は、絶対そうじゃないと踏んで、わざと明るい調子で付け加えた。


「それもあるけど」


あるのか。


さんのこと、誰にも見せたくなかったから」


ふと、誰かの足音が聞こえた。

一人じゃなくて、グループが近づいてくる。
後夜祭は自由参加だから、もう帰るつもりなのかもしれない。


「あ」


日向くんが黙って私の手を握って歩き出した。

誰かに見られたら、そう思うのに、振り払うことはしない。握り返すことも。

真っ暗な教室の一つに入った。
ここも荷物置き場で、文化祭の出店には使われてなかったみたいだ。
今日はよくこんな教室に入ることになるなと、握られた箇所を気にする代わりに考えた。

窓に日向くんが近づく。室内は暗かったけど外灯の明かりで自分の写真を眺めることはできた。

今さら、気づいた。
裏面に書かれた、好きです、の文字。

これは、好意だ。私に向けられた、誰かからの。



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