ハニーチ

スロウ・エール 101






「すきって、書いてあったから、取っちゃった」


あっけらかんと、日向くんが言う。


さんに、見せたくなくて」


何も返せずにいたけど、日向くんはかまわず続けた。


「皆で写真見てるときにさ、さんのがあって。よく撮れてるし、いい写真だなって見てたら、ちょうど風 吹いて」


あれって思った。

写真の裏に、何か書いてある。

好きです、の文字が見えた。


「委員の人がさ、コンテスト終わったらその人に写真渡す決まりだから、みんな色々書いてるって。ラブレターでもいいって。


 ……やだなって」



日向君の声が、いつもより低く聞こえた。

なぜか緊張してしまって、手元の写真に書かれた文字をじっと眺めた。

誰かが、私のことを好意を持って推薦してくれた。
その写真を、日向くんが見つけて、外した。

ガタン、と音がした。


「へっ?」


日向くんがカーテンを引いた。

私は、私たちは窓ガラスとカーテンだけの世界にいた。

後ろは窓だけど鍵がかかっていて日向くん側にある。カーテンの分け目も堅く握りしめられている。

つまり、閉じ込められている。


「えっと?」

さん、どっか行きそうだったから」

「い、行かないよ!」


それでも日向くんはカーテンを掴んだままだった。


さん、おれのこと嫌になったかなって」

「ならないって」

「写真、はずしたのに?」

「それはっ、いいって今言ったよ」


前もこんなやり取りをしたことがあるなとデジャブを感じると、あの資料室での一件に思い返した。
あの時も、私がいいって言って、日向くんがそれでも謝って……


さん、ときどき、おれから、はなれていきそうになるから」


そんなことない、と言いたくても、この真っ直ぐな視線からはどうにか逃れたいと思ってしまった。
あの時も逃げたくなった。
嫌じゃないけど、近すぎる。


「日向くん」


カーテン開けて、の代わりに名前を呼んだ。
間髪入れずに日向くんが言った。


「おれのこと、嫌いになった?」

「なっならないって」

「じゃあ、すき?」

「そりゃ……っ」


そこまで言うと日向君はどこか安心した様子を見せてくれた。
やっと、こっち見た、って。

急に、気恥ずかしくなった。


「日向くん、いじわる」


恨めしく見つめると、それでも日向くんは嬉しそうに顔を綻ばせる。
自分一人こんな気持ちになってばかみたいだ。


「そんな、何回も確認してさ。そんな嘘つきに見える?」


写真一枚はずしてたからって、嫌いになるはずない。なれるはずがない。

こんな、気持ちにさせといて、その本人がよく言う。
文句のつもりだった。相手の対しての。


さん、こっちみて」

「……」

「おれはさんのこと好きだからずっと見てたいって思う」


日向くんのシャツの胸元にささったままのボールペンを興味もないのに見つめていた。

ゆっくりと視線で日向くんをなぞる。

シャツの襟、首筋、口元、そして、こちらをしかと映し出す両目にぶつかる。
好きなのに、逃げ出したくなる。何でそんな気持ちになるかわからなかった。

日向くんは何も言わずに笑顔を向けてくれる。
嬉しくてはずかしい。
顔から火が出てないだろうか。限界だった。
写真を持っていたけど、かまわず両手で頬と口元をおおった。


「もう、戻ろうよ」


勘弁して下さい、そんな声色になっていた気がする。

日向くんが笑って頷いてカーテンを開けてくれた。
まるで魔法が解けたみたいだ。
さっきまでの、まっくらな教室が広がっていた。

日向くんがカーテンを元に戻して、私は窓から距離を置いた。やっと酸素が取り込める気がした。

ぽつりと背後から聞こえた。


「自分でもさ」

「え?」

「びっくりした。貼ってあるやつ取るなんてしたことないし」


気づいたら、手が出ていた。

咄嗟に、はがしたい、って気持ちが沸き上がって、その衝動を理解したのも、ポケットにさんの写真を納めてからだ。


「ちょっと、自分が怖かった」


日向くんが両手をポケットに入れた。

戻ろう、そう言って出口に歩き出す日向君の後ろについて歩いた。

その背中を追いかけて、シャツを引っ張った。


さん!?」

「すきってさ、 いろいろあるよね」


このすきは、どのすきだろう。

もしかしたら、自分も同じことをしていたかもしれない。

たとえば、誰かが日向君に告白する。

それがどんな形であれ、想像しただけでこんな衝動が生まれた。


はじめてのこと、ばっかりだ。


「だから、ね。私も、この先、へんなこと、しちゃうかも」


ギュ、とシャツを離さなかった。


「その時は、謝るから。嫌いに、ならないでね」


今、そんなこと言われたって困るだろうに。
カーテンの中にいるより大胆なことしてるって頭ではわかっているのに。

ただ、シャツ越しに伝わるこの体温を感じていたかった。


「あ、あの、さ……!?」

「あと、5秒だけ」


ぴた、と日向君の背中にくっつく。

そういえばおばけ屋敷の時もこんなだった。

あの時は必死すぎて日向君の体温を感じている余裕なんてなかった。

5、

4、

3、

ゆっくりと数えてから、日向くんから離れた。ドキドキしていた。
でも見つめ合うより余裕があった。自分でもよくわからない。

動かない日向君の代わりにドアを開けた。


「行こっ、日向くん」

「……」

「日向くん?」


急に我に返った日向くんが慌ててこっちに来た。


「ずるっ……」

「え?」

さん、それ、さあ」


いきなり日向くんが自分の髪をわしゃわしゃとかき回した。
かと思えばすごい勢いで言われた。


「お、おれ以外に絶対こういうのしないでね! ぜったい!」

「う、ん」

「こんなん、されたら、さ」


どうしたものかと立ち尽くし言葉の続きを待ったけど、日向くんが深く息をついてから歩き出した。


「されたら、どうなるの?」

「どうって……」


日向くんが何か言わんと口を開いて、でもストップして、またそっぽを向いた。
秘密だと短く聞こえた。


「あ、ごめ、ごめんね」

「謝んなくていいよ」

「いや、なんか図々しかったよね、ごめん」

「そんなことない」

「もうしないから」

「して!! ほ、しぃ……」


消えかかる日向くんの声を聞き取ろうとしたけど、悩ましげな顔で今度は見つめられたから、こちらもそれ以上続けられなかった。

廊下の向こうで誰かが見えた。クラスメイトだ。
手にカバンがあるから、後夜祭ももうお開きと思われる。
相手が、私たち二人に気づいて、手を振った。


「日向、、うちのクラス1位だって、売り上げ」

「「ほんとに!?」」

「先生がジュースおごってくれたからもらってこいよ」


日向君と顔を見合わせて、広場を目指した。




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