ハニーチ

スロウ・エール 102





後夜祭で、どの模擬店が一番人気だったかを発表するのは一番最後。
しかも1位まで発表されているんだから、帰る人や片づけをする人でごった返していた。

担任の先生はウーロン茶のパックを手渡してくれた。
本当は他の種類があったみたいだけど、私たち二人が抜けている間にはけてしまったらしい。

先生からもう遅いから早く帰るよう促されて手にしたお茶を飲む間もなく、今やってきた道を戻った。

日向くんとは、なにも話さなかった。

さっきまでの話をこんなに人が行き来する中で持ち出せないし、かといって適当な話題を振る気にならない。
話したら、また一つ行事が終わることを実感しそうで、せめて明日になってからがよかった。

このまま歩き続けられたらいいのに。

まだ熱気の残る夜風は心地よかった。

校舎に入ると日向君に途中まで一緒に帰ろうと声をかける集団がいて、私もちょうど同じく声がかかって、ある意味いつもと同じように日向君と分かれた。

振り返ったタイミングで目が合った。

なぜか、すぐに顔をそらした。悪いことしたわけじゃないのに。一緒にいたかった気持ちもあるのに。


でも、これ以上に一緒にいたら、たぶん、そうなりそうだったから。
さっきは自分から近づいたくせに、いざ向かい合うと逃げたくなる。


自分が怖いって言ってたけど、私だって……同じだよ、日向くん。













「あっ」





文化祭が終わった翌日はお休み、だからいつもと同じように勉強を教えるために体育館のフリースペースに来た。
影山君の姿はない。

そうだ、今日は向こうが文化祭だった。

到着してから気づくなんて、何してるんだろう。

勉強道具が入っているカバンを椅子に置いて、いつもなら向かいに座っている影山君の席を見てため息をついた。

影山君からのメールを探し出し、前に確認した向こうの文化祭の日付がまさに今日であることを確認してうなだれた。
自分で聞いといて忘れるなんて、やっぱり疲れてる。

このまま帰ってもいいけど、わざわざ移動した手前、いつもと同じようにやっていくことにした。

ただ、文化祭という大仕事を終えた昨日の今日で、つい集中力が途切れてしまう。

昨日のことを思い出して、更にその前を思い出して、その前の夏休みまで遡ってしまって、ノートに無駄に線を引いてしまった。何の意味もない線を消しゴムでこする。

ノートがしわになるのを見て、またため息。


こんなことで動揺するなんて。

いや、そもそも、日向君にあんな風に言われると思ってなかったし。

手をつないだりするのだって、うれしいけど、何でつなぐのかなって思わなくもないし。
繋ぎたくないわけじゃないけど、はずかしいし。

さんに他の人からの好きを見せたくないって、それって……

もし他の人に聞かされたなら、彼氏さん嫉妬してるんだねーなんて軽く言えるけど、自分がいざ言われると、こう、なんでかな?って。

頭ではわかっている。

日向くんは、私のことを、すき。

だから、そう思ったっておかしくはない。ないんだけど。


じゃあ、なにがおかしいっていうの?って頭の中でイメージする友人が囁く。
それがわからないから困ってるんじゃん!っていもしない相手に主張する。


まだ、誰にも言ってない、日向くんとのこと。

受験に響いたらっていうのもある。日向くんに迷惑をかけたくない。それもある。



でも、それだけかな。


さん、どっか行きそうだったから”


日向君の声がよみがえる。


昨日は、つい勢いに任せて、自分から日向君に(正確には背中だけど)くっついてしまったし。

なんでか、こう、さわりたくなってしまって。


……私、大丈夫かな!?やっぱりおかしいよね!?
嫌わないでって言ったけど、普通に引くよね!?日向くんは優しいから、言えないだけかもしれないし。

なんか、昨日、すごいことしちゃった気がする。


おでこを触ると熱っぽくなっていて、烏野高校の過去問じゃなくて日向くんとのことで知恵熱を出してるんだろうかと自分が情けなくなった。

なにしてるんだ、受験生。



「大丈夫?」

「わあっ!」


びっくりして顔を上げると、以前見かけた人だなと思った。
その人はいつもなら影山君で埋まる定位置に座って、自販機で買ったらしい炭酸水をかっこよく開けた。

そうだ、この間、自販機で当たりを出して飲み物をおすそ分けしてくれたお姉さん。


「さっきからため息ついたりすんごい顔をしてるからさあ。また彼氏と揉めた?」

「そんなんじゃないです!」


とっさに影山君とその後輩くんたちが浮かんだけど、日向くんのことで悩んでいたんだから、彼氏の悩みという指摘は正しい。

もしかして、全部、顔に出てたんだろうか。

そう思ってお姉さんを見ると、何故だか笑われた。


「ごめんごめん、なんか青春だなーって」

「えっいやっ」

「アタシもこんな風に悩んだことあったっけ。 高校生?あっ受験生か」


お姉さんは私が持っていた烏野高校の過去問に気づいた。


「うち受けるんだ」

「えっ」

「アタシも烏野だったからね」


その人は今大学生で、烏野高校出身、弟さんが今年同じ高校に入ったらしい。
話の流れで聞いた弟さんはバレー部ということで、勝手に親近感がわいた。


「あ、あの、冴子さん」


名前をお互い教え合った流れもあって、つい甘えてしまった。

誰にも相談できてなかった、日向くんとのこと。

ずっと好きな人がいて、つい最近告白されたこと。
相手に好きって言ってもらってすごく嬉しいのに、近づくと逃げたくなって、でも本当に逃げたいわけじゃなくて、どうしたらいいかよくわからないこと。

言い終わってから、取り留めのないことをずっと話してしまったと後悔した。
まとまりがない。
もし現代文なら、要点をまとめましょう、とよくて△、下手したら×をつけられてしまう。


「ご、ごめんなさい。勝手にしゃべっちゃって」


冴子さんが時折口にしていた炭酸水を思い切り飲み干して立ち上がった。

てっきり、缶を捨てるために立ち上がったのだと思った。


、来な」


冴子さんはそのあと貴重品は持ってきなと付け足して進んでいく。
今日はいつもより人気はないから、荷物はそのままでも問題なさそうで、言われた通り後についていった。


「あ、あの、どこに」

「大丈夫、そんな時間取らないから」


そう言って着いたのは、音楽の練習室で、一部の楽器なら置いてあるんだそうだ。
学校の音楽室みたいだなと思いながら、ついていくと、色々な楽器の中に大きな太鼓があった。
それを言われるがままに運び出して、きちんとセットする。

冴子さんは一つ息をついて笑みを浮かべた。


「じゃあ、1曲」


バチが思い切り振り上げられた。

冴子さんの眼差しが真剣みを帯びて、穏やかに刻まれていたリズムが徐々に加速する。
駿馬のごとくかけていくその音が時折飛び跳ねる。
ここは防音室で窓だってないのに、青空が広がった気がした。

ダッ、ダン、とバチが終わりを示すように叩かれると、夢中で両手を合わせた。



「どう?」

「す、すごいです、すごかったです! 元気、もらえましたっ」

「そりゃよかった」


私を励ますために1曲引いてくれたのがわかって、お礼に頭を下げた。
冴子さんは笑った。


「太鼓の音ってさ、パワーがあって、嫌なもの全部ふっとばせるんだって。ホントかウソか知んないけどさ」


確かにさっきまでのモヤモヤが飛んで行った気がする。
心が軽くなって、聞かせてもらったリズムのおかげですべてがクリアーだ。

冴子さんが太鼓を片づけだしたから、その手伝いをした。

もう一度ありがとうございますと告げると、冴子さんはその気持ちはどっから来てる?と言った。


「え?」

「だからさ、ここじゃなくて、こっちじゃない?」


冴子さんは自分の頭を人差し指で差してから、左胸をこぶしで示した。

そこは、心臓、“こころ”だった。

つられて自分の胸に手を当てる。鼓動を感じた。


「“ここ”……、ですね」


太鼓を元の位置に片付け終えて、さっきまでのスペースに歩き出す。

同じ調子で冴子さんは言った。


「それとさ、一緒だよ」

「一緒?」

「さっきの話。事情はよくわかんなかったけど、好きって気持ちのまんまぶつかってごらんよ。そしたらなんかわかんじゃない?」


心のままにさ。

冴子さんがぽん、と私の肩を押してくれた。


「こんなかわいい子が飛びついてくれたら、相手もイチコロだって」

「いやいやいやっ」

「あ、でも、自分は大事にしな。じらすのも秘訣だからね」


じらす、とは?

最後の方はよくわからなかったけど、ともかく元気が出たのは本当で、冴子さんが他の人たちと合流して分かれてからも急にやる気がわいてきた。


好きって気持ちのまま、か。


過去問を一通りやりきってからその勢いのままに日向くんに電話をかけた。

何の用があって?と思考はすぐつっこんできたけど、いいんだ。好きだから、好きの気持ちのまま。

電話に出た日向君はびっくりしていた。当たり前だ。

すぐに電話の理由を聞かれた。

即座に答えた。


「あの、日向くんの、声が聞きたくなって」


その一言を発するのにとても緊張したけど、遠くから漏れ聞こえた太鼓のリズムに背中を押された。

音色に感謝したのも一瞬、電話の向こうで大きな音が聞こえた。
何事かと思いつつ日向くんの返事を聞きながら、電話の向こうにいてくれる幸せを噛みしめた。



next.