ハニーチ

スロウ・エール 103






「じゃあ、今度の土曜に!」

『土曜! その前に学校だけど!』

「確かにっ。文化祭の片づけあるもんね」


気を抜くとまた話が盛り上がってしまいそうで、話をまとめて日向くんとの電話を切った。

じゃないとずっとおしゃべりが続く。

もう、会う約束したんだし。

にやけそうになる口元を片手で覆った。
このフリースペースには人気がないから、周囲を気にする必要はないけど、気分的に隠しておきたい。

電話の向こうには夏ちゃんもいて、日向くんのことを呼んでいた。
本当に仲のいい兄妹だなと思いつつ、おかげでもう日向くんの家にお邪魔した気分だった。


よくやった、自分。


そこそこしゃべったおかげで熱くなった携帯電話を握りしめて、ぽつりとつぶやく。

自分の目的は叶った。家に遊びに行く日時を決めたことじゃない。
太鼓で元気づけてくれた冴子さんの言葉を借りるなら、好きの気持ちのままに動けたから。

開きっぱなしのノートと問題集、筆箱を眺めて、シャーペンはまだ握らない。
ウキウキした気持ちをもうちょっと味わっていたい。


今度の土曜、日向君の家に行く。その前に文化祭の片づけがある。

きっと、片づけている最中に終わってしまった事実を寂しく思うんだろうけど、次がある。

そうやってまた前を向いて歩いていくんだ。


なんて過去問の現国にあったような文章が頭に浮かんだ。

携帯をやっとカバンにしまって、気分よく次の年の過去問を解いていく。
昨日までの疲れもあるのに気持ちがハイだった。
早起きだってどうってことない。

調子に乗って北一の文化祭にまで足を延ばした。影山君がどんな顔して店番をしているか単純に興味があった。

とはいえ、向かうバスの中で友達何人かを誘ったけど捕まらないし(当日だから仕方ない)、到着するころには文化祭も終盤、影山君の姿も見つけられなかった。

よくよく考えてみれば、『影山さんの彼女』と勘違いしている後輩の人もいるわけで、会えなくてむしろよかったかもしれない。

特別おもしろかった訳じゃないけど、日向くんとの約束があったからなんでも気分がよかった。


その勢いのまま、家に帰って自分の卒業アルバムを引っ張り出した。

懐かしくて、気はずかしい。

こんなこともあったなと思い返して、こんなの日向君が見て楽しいんだろうかと想像したり、もしかしたら期待しているかもしれない“私”がいなくてがっかりするんだろうかと考えた。


バレーをしている私は、卒業アルバムにはいない。

学校外の活動だから別のアルバムに“私”がいる。


何不自由なくバレーをやってこれた過去。


望めば今だってやることができる。

日向くんにだって手を差し伸べられた。


私の祖父はバレーの監督だったの。

私の従兄だってバレーやってるの。


そうやって日向君になんでもないことのように話す自分を想像して、一人うずくまった。

日向くんはきっと気にしない。

私だけなにかを気にしている。


さん、ときどき、おれから、はなれていきそうになるから”


その言葉がリフレインしたのは、その時の感覚と同じものが襲ったから。

言葉に表現できないけれど、忍び寄ってくる感覚。
まだ正体を突き止めたくなかった。

正体はいくつかある気がしたけど、いつだって顔を出してくるのは日向君に向き合った時だ。
日向君の一生懸命さを目の当たりにすると、速度を上げて現れる。


手のひらを見る。

中途半端な手のひら、何も掴むものがないのに閉じて、何を求めるわけでもなく手を伸ばす。




『 いるよね、自分はできないからって応援と称して夢を押し付けるタイプ 』




違うから。




『 自分でやればいいのに 』





違うって。








自分でやればいいのに。






自分でやればいいのに。



自分でやればいいのに。






「だからっ! ……あ」





母親の呼ぶ声がした。夕飯を食べるようにっていう声。

足に乗せていた卒業アルバムを開きっぱなしにしたまま落ちかけた。


ぼんやりする。うたた寝していた。

変な夢。

月島くんに言われたことを思い出すなんてどうかしてる。すっかり忘れたつもりだったのに。


こんな風に記憶がよみがえるのは疲れてるから、らしい。

確かに疲れていた。
逃げ回っていた感覚に、あと一歩で追いつかれそうだった。
















「迷いそうなら絶対に電話してね!」

「大丈夫だよ、前にちゃんと行けたんだし」


あと何回大丈夫だって言えばいいんだ?ってくらい、日向くんは迷いそうなら電話するように繰り返した。
これまでと同じように大丈夫な理由を説明すると、日向くんもやっと納得してくれたようだった。
迎えに行こうかとも言われたけど、そこまで大ごとにされる方が困る。


「そっか、……そうだよな。じゃあ!」


日向くんが自転車をこぎ出す。

立ちこぎになったのに、振り返って手を振ってくれた。


さん、また明日!


その声は下校中の人たちの注目を集めるには十分で、日向くんが颯爽と姿を消すと、残された私の方に視線を移された。


「明日、何かあるんですか?」


部活の後輩が好奇心がちょっとばかし滲ませた眼差しでこちらを見た。


「なんでもないよ」

「ほんとですかあ?」

「本当だって」


言い訳のように、部活で作った作品をあげるんだって付け加えたけど、相手の方は気にしていない。
そこら辺はやはり女子らしい女子で、いくつかこの話題が進行したのち、友人が来てようやく話題が収まった。


実は、日向くんとの約束はずるずると延期になっていた。

文化祭の翌日に電話で約束したのに、その週末に熱を出してしまった。

そのあと、受験生らしく模試に学校のテストが重なってNG、ようやくテストも終わって約束が果たされようとしている。

テストからの解放感もあって、下校する生徒みんなどこか明るく見えた。


先輩も夏目先輩も、来週はかぼちゃのお菓子作るんで一緒にやりませんか?」

「いいね、ハロウィンも近いし」

は今日作った方がいいんじゃないの?」

「なんで?」

「明日持ってくためにさ」

「あのね」


友人がニヤッと笑うと、後輩たちも気になる話題ということで盛り上がる。
こんな風だと、そこまで部活を引退した実感もわかない。

いい部活だった。

過去形じゃないけど、もう過去形。


日向くんも前と変わらず空いた場所でバレーの練習をしていた。
早送りで高校に入れるわけもなく、中学最後の時間を各々が過ごしていた。


「ねえ、進展あったの?」


友人に聞かれて、ごまかしようもなく、特に何も、と短く答えた。

告白のことを伏せれば、本当だった。

文化祭の日にあれだけ近づいたかと思ったけど、いつもの学校生活が始まれば、夏休み前と変わらない気がした。

文化祭の準備期間中はどこか非日常的で、そのせいもあってあんなに電話をしたのかもしれない。
試験が続いていたのもあって、文化祭が明けてからは日向くんからもかかってきたことはない。

魔法が解けてしまったかのように、日向くんと私はこれまで通りだ。


が休んだ日のTくん、見せてあげたかったなー」

「またその話題!?」


散々冷やかされたけど、こっちは熱を出してそれどころじゃないし、自分の目で確かめたわけじゃないから反応のしようがない。

友人曰く、かなりいつもと違ってたそうだけど、知りようもないんだから仕方ない。


さあ」

「なに?」

「学力あがったけど、偏差値は下がったんじゃない?」


何を言われたかわからず、きっと間抜けな顔をしていたに違いない。


「成績じゃなくて、LOVEの方」


友人がやけにいい発音でLOVEと付け加えるから笑ってしまったけど、なんてこと言うんだ。
先生にとやかく言われないように、必死でテストがんばったのに。

やってきたバスに乗り込みながら、空いていた席に座った。
そこそこ混んでいる車内で、友人が声をひそめるからうまく聞き取れない。


「なに?」


もう一度尋ねると、今度は顔を寄せてくれたから聞き取れた。

バレーがないうちに何とかした方がいいんじゃない?、だって。


本当に、簡単に言ってくれる。




next.