「あのね、なっちゃん。私たちは受験生」
「知ってる」
「文化祭も終わったんだし気を引き締めろって先生も、これなに」
「偏差値をあげたまえ。返すのはいつでもよい」
友人から差し出されたのは、ビニール袋に入った何か。
そういえば後輩とやり取りしていたから、貸していたマンガを返してもらったんだろう。
厚さからして数冊だ。
ここでいう偏差値は、学力ではないことは重々わかった。
「ありがたく読むけどさ」
「が好きそうなキャラ出てるよ」
「ほんとに?」
「ぜんっぜんT君ぽくないけど」
「そんなキャラいても困るから」
家に帰ってから即座に読む、ということはせず、明日の準備をしてから、いつもなら英単語一つでも覚えるところを試験明けを理由に開いてみた。
少女漫画の名作と呼ばれるそれは、確かに胸がときめかされる。
確かに相手の人はかっこいい。ライバルキャラだって。
ただ、日向くんと自分に置き換えてみるのはあまりにも難しい。
そもそもファンタジーの世界観ってのもあるけど、お姫様抱っこされたり、『俺じゃ不足か?』なんて腕を引かれたり、いきなり唇を奪われてしまったり。
これは、ない。
話は面白かったけどね、とマンガをしまいつつ、ほんのちょっとだけ日向くんで想像してみた。
お姫様抱っこ、は、自分の体重による日向くんへの負荷を考えてすぐやめた。
腕を引かれる、というのは、よくよく考えればされたこと……ある、か。
手は、つないだこと、あるし。
『俺じゃ不足か?』は……、……ないけど、日向くんの声で想像できなくもなくて、想像してしまった自分がはずかしい。
すきだと言われたことは、あるし、マンガの二人みたく手は掴まれていた。
同じような展開くらい……いや、いきなりキスは、いやいや。
いやいやいや。
「ダメだ、やめよ、寝よう」
明日、本人に会うんだから変に意識してしまう。
やっと平常心で話せるようになったんだから、こんなマンガに引きづられちゃよくない。
「寝よう!」
電気を消して目を閉じる。
こんな風に動揺するから、なっちゃんに偏差値低いって言われるのかな。
少女漫画の主人公みたく何度も迫られたら慣れたりして。
あ、考えちゃダメ、さっさと寝る。寝るんだ。
そう考えれば考えるほど意識してしまって、本当に眠れたのはかなり後だった。
*
「迷わなかったっ?」
日向くんの家に向かう途中、坂の上から足音がするなと思ったら日向くん本人だった。
あれだけ言ったんだから迎えに来るとは思ってなくて、つい笑ってしまった。日向くんもやっぱり笑った。
「大丈夫って言ったのに」
なんでここまで来てるの?ってニュアンスで返して、日向くんが立っているところまで追いついた。
「さんもう来るかなって思ったらさっ。持つよ」
「いいよっ」
断ったものの、紙袋から覗く編みぐるみは、前から話していた通り、夏ちゃんにプレゼントするものだったから、あまりここでやり取りするのもと思い、日向君にお願いした。
日向君の家まで、もうちょっとだけ歩かないといけない。
二人並んで歩きだす。
空を見上げると、ところどころ紅葉が始まっていた。
もう秋だ。
時々、鳥の鳴き声がする。
「けっこう寒くなったね」
頬を撫でた風がちょうど冷たかった。
日向くんの方はそうでもなさそうで、何気なく服装を観察すると変わらず夏仕様、根本的に身体の作りが違うんだろうなとしみじみ思った。
話を聞くに、走り込みは更に頑張っているらしい。
元から体力すごいのにどうなるんだろう。
そんな日向くんと並んで歩いても距離が離れないのは、きっと合わせてくれているからだった。
日向くんがふと鼻をきかせる。何かいい匂いがする、と。
「よくわかったね」
こちらが手にしている方の袋には、焼き立てのアップルパイがいくつか入っていた。
「さんが作ったの!?」
「ううん、これは買ってきた」
今日は午後からお邪魔するから、おやつにちょうどいいと親に持たされた。
最近できたお店と聞いている。
店名もロゴもいかにもフランスっぽかった。
「さんち、おしゃれだ!」
「いやいや、みんな買ってるよっ」
日当たりのいい場所に来ると、落ち葉の山が出来ていた。
風の通り道でどこからか運ばれてきたらしい。
踏むたびに、がさっ、ざくっといい音がする。
「ミルフィーユって、日向くんわかる?」
「みるふぃーゆ?」
「あんま食べないか」
「それがなにっ?」
なんでもない話だから流そうかと思ったけど、折角なので簡単に説明した。
パイが何層にも重なったケーキの名前の由来が、千枚の葉っぱから来ている、っていうのを、この枯れ葉で思い浮かんだだけだった。
本当になんてことない話だったけど、説明し終えると、日向くんはすごい!を連発した。
まったくもってすごくないんだけど、こうも感心されると話してよかったなとうれしくなる。
「さん、また何か浮かんだら教えてよ」
「つまんなくない?」
「ないっ。 おれはさんみたくおしゃれなこと知らないし」
ミルフィーユは別におしゃれなものでもないけどな。
日向くんが軽く枯れ葉の山を蹴っ飛ばした。
「今教えてもらったから。このはっぱ見るたびに、さんの話、思い出せるじゃん!」
パッと落ち葉が空に舞って落ちる。
「あ!」
日向くんが急に走り出したかと思ったら、ちょうどどこからかわからないけれど、真っ赤なカエデがくるくると回りながら落ちてきていた。
日向くんが見事キャッチする。
小走りで追いついた。
「日向くん、それ、どうするの?」
特に意味はなかったらしい。
落ちてきたから取ってみた、と明るく言う。
「もらっていい?」
「いいよ」
「ありがとう」
「もっときれいなの探す?」
「ううん」
これがいい。
特に意味はないのはおんなじだった。
小さな秋を折れてしまわないように注意して鞄に入れた。
「あっちの方に一本だけおっきな木があってさ」
日向君の話を聞いていたおかげで、なんとなくこの辺の様子に詳しくなった気がする。
といっても木の種類がわかるんじゃなくて、こんな感じのおっきな木があるとか、あの辺は歩くと危険、とかそんな類のことだ。
あの木は登りやすい。そっちは春になると花が咲く。
もう少し行くと雪が積もったときに滑り台になる。
そんな道中のおかげで、あっという間に日向くんの家に着いた。
見慣れた自転車も止めてある。
日向くんが一緒だから、今回はインターホンを押さないで、玄関に近づいた。
「お邪魔します」
「どーぞっ」
日向くんがドアを開けて、中に入る。
前はここで夏ちゃんが出てきてくれたんだっけ。
またこうやって日向君の家に来ることになるとは夢にも思わなかった。
辺りはやけに静かだった。
「あれっ」
「ん?」
日向くんが玄関に置かれた一枚の紙を手にしている。
後ろから覗くと、チラシの裏紙で、ボールペンで走り書きされていた。
「ちょっと出てるって」
「あ、うん」
それは日向君のお母さんが書いたもので、用事があるから出かけてくる、といった内容だった。
私が遊びに来るというのは話していたらしく、お友達によろしく、とも添えてある。
靴をそろえてあがる。
「おれの部屋、あっちだから!」
「うん」
「どうかした?」
「いや、夏ちゃんいないなって」
ドアから顔を出さないにせよ、家に入ればどっから出てきてくれると踏んでいた。
日向君は居間の方に行っている。
「靴ないから一緒に出かけてんのかも」
「そっか」
ん?
それって、まさか。
「さん、先行ってていいよっ」
声だけ聞こえて足を踏み出すものの、つまり、今、この家には日向くんと私しかいないってことなんじゃ、と自分の推測になんともいえない緊張感を覚えた。
next.