「さん、部屋わかんなかったっ? こっち!」
大げさなほど肩が飛び上がったことに日向君は気づかないで、部屋に招き入れてくれた。
「お、お邪魔します!」
「それ、使って!」
「ありがとう。 私も手伝うよっ」
「いいよ、座ってて」
「でも」
「じゃあ、これ持ってて」
麦茶の瓶とコップを受け取って、手が空いた日向くんが折り畳み式のテーブルを広げた。
私の部屋と全然違う。
つい部屋の中を見回してしまった。勉強机の前にはバレーのポスターが貼ってあったし、その上には同じ教科書が並んでいる。
「さん、ここ置いていいよ」
言われるがままに預かっていたものを置いて、コップを二つ並べ、予め部屋に用意されていた座布団に勧められるままに座った。
日向くん、なんだかとっても楽しそうだ。
「ん、なに?」
「いやっ。部屋が、その、きれいだなって」
「おれの部屋、もっと散らかってると思ってた?」
「まあね」
からかうように頷くと日向くんが吹き出した。
「わかる? 昨日一気に片付けた。そうだ、卒業アルバム!」
そういえば、小学校の卒業アルバムを見せてもらうために今日は来たんだった。
昨日読んだ少女マンガのせいもあって、日向君の部屋で二人きり、というシチュエーションに引っかかったけど、気にする方がおかしい。
現に日向君はいつも学校で会う時とまったく変わらなかった。
金箔が押された紺色の大きな本がテーブルに広げられた。
「これ! 見つかってよかった」
話を聞くに家中探すことになったらしく、たかが私の“知り合う前の日向君が知りたい”というお願いのせいで大ごとになったのが申し訳ない。
それを告げると、日向君はなんでもないことにように笑った。探してたものが他にも見つかったって。
「夏が気に入ってたぬいぐるみが紛れ込んでてさ、大ゲンカになったのにこんなところにあったんだって。あ、お茶飲む!?」
「う、うん。ありがとう」
前に来た時と同じ、かもしれない麦茶を入れてもらう。
日向くんも座布団で床に座ってるから、目線の高さが同じでちょっとだけ不思議な感じがする。
日向くんも自分の分を入れて半分くらいコップの中身を減らした。
「日向くん、アップルパイ食べる?」
「さん食べたい?」
「私はー、まだいいかな」
お昼も遅かったからそこまでおなかがすいてなかった。
「だったら、後にしよっ。別のところで一緒に!」
自分の部屋で食べるのが嫌なのかな。
日向くんはアルバムを開いて、自分が映ってるところのページを見せてくれた。
知らない顔が多いかなと思ったけど、そんなこともなくて。
学区を考えてみれば同じ中学の人がいたっておかしくないし、いて当然だ。
学校で日向くんとよく話す人や声をかけてくる子の顔もあって、逆にちょっと安心した。
「つまんない!?」
「えっ!」
けっこう楽しんでるつもりだったけど、そうは見なかったらしい。
顔、かたかったかな。
自分のほっぺたを両手で触ってほぐしてみた。
「おればっか、すごくしゃべっちゃったし」
日向君の話を聞きたくて来たから、何の問題もないんだけど、日向くん曰く、いつもより気分が上がってるらしい。
それこそ、そうは見えなかった。
「ほんとに!? 親にもワクワクしすぎでうるさいってツッコまれたよ」
「そこまで!?」
「うん、朝も早く目が覚めたし、遠足じゃないんだから落ちつけって」
少しだけ視線をずらして日向くんが頬をかいた。
「言わないでおこうかなって思ってたけどさ」
「なにを?」
「さん来た時、迎え行っちゃったじゃん」
「うん」
「実は、その前のバスが着くときにも行ってて」
「えっ」
つまり、私が到着する時間よりも前にバス停を見に行って、また家に戻って、また更に迎えに来てと往復していたのか。
そりゃご家族じゃなくても落ちついてって言いたくなる。
つい笑ってしまった。
「なにやってるの、日向くん」
「いやっだって、楽しみだったから、さん来てくれるの。待ちきれなくて」
「学校でいつも会ってるじゃん」
「会ってるけど!! けど、さあ」
あ、ダメだ。
なんとなく直感が働いて、カバンから自分の卒業アルバムを引っ張り出した。
「今度はさ、私のも」
「おおっ、さんの小学校時代……!!」
「そんな盛り上がられるとちょっと困るけど」
「なんで?」
「日向君ほど目立ってないし面白くもないし」
「おれもそんな目立ってなかったよ」
「写真いっぱい映ってたじゃん」
日向君に見せるんだからとさすがに自分の卒業アルバムもチェックしていたけど、そこまで目立つポジションでもないし、家の住所的にも別の中学に行っている子の方が多いから、日向くんが見ておもしろいものとは思えなかった。
「でも、小学生のさんかわいいよ」
日向くんは何の衒いもなくそう言い切るから、誰にでも言うとわかっていても、つい照れてしまう。
髪を無駄に手ぐししてしまう横で、日向くんがアルバムのページを指差した。
「あ、ここ! ここにもいた」
「それ、わたし?」
「うん、さん。よく見て」
自分がいるとは思っていなかった写真の隅っこ、言われてみれば、確かに自分の姿だった。
こんな小さいのに、日向くんって本当に目がいい。
「言ったじゃん」
日向くんが得意げに笑う。
「おれは、さん見つけるプロだって」
急に、花火の音が聞こえた気がした。
本当はなんの音もしないのに。
強いてあげるなら、かわいいかなと思ってつけてきた腕時計の秒針の音、それに、“ここ”の音。
「そ、いえば、そんなこと言ってたね」
「さん忘れた?」
「……ないしょ」
「覚えてたっ」
「ないしょだって」
「うん、ないしょ」
日向くんの瞳がなんだかきらきらして見える。
勝手に私だけ平常心でいられないのがくやしくなって、でも嬉しそうにそばにいてくれることがうれしくて、舞い上がる気持ちを落ちつけるために麦茶で喉を潤した。
夏の味だった。もう長そでを着る季節なのに、香ばしいにおいが鼻を抜けた。
「あれ、なんか落ちたよ」
日向くんが、アルバムのどこかのページを開いた時だった。
ノートより小さめで、一枚のルーズリーフみたいなもの。
「それ、プロフィール帳だ」
「なにそれ?」
日向くんは男子だからなのか知らないらしい。
友達に自己紹介に関する紙を書いてもらうノートで、バインダー形式で取り外しができる。
そんなものも流行ったな、と思い出しながら、簡単に説明した。
卒業式の日に書いて渡しそびれたものかもしれない。その一枚を日向君は興味深そうに眺めていた。
「“好きなもの、のトス”」
日向くんが何を読み上げたのかと思った。
「これ、バレー友達の?」
日向くんが差し出してくれたそれを受け取って、表と裏を確認した。
もうすっかり見失ったはずの過去がちゃんと待ち伏せしていた。
next.