ハニーチ

スロウ・エール 107





上ったら、下りなければならない。

至極当然な事実がずっっと頭から離れないまま、木の上でしばらく話をしていた。


「思ったんだけどさ」

「ん?」

「見つかんなくてもできるね、応援」


何のことがわからずにいると、さっき部屋で話したことだと教えてくれた。

やりたいことが見つかったら応援してくれるっていう、そんな話。

日向君は続けた。



「今、なくてもさ、応援はできる。さんがやりたいこと、見つけられるように」



間が悪くて、風が冷たくなってきたのもあってくしゃみをしてしまったのがはずかしい。

日向君は幹に片手をついた。


「もう下りる?」

「うん」

「夕焼けも見てほしかったけど、今日は雲も出てきたし。先、行くよ」

「えっ」


置いてかないでって顔、してたと思う。

日向君はなだめるような優しい声色だった。


「大丈夫、どの枝がいいか見るから」

「う、うん」


日向くんは慣れた調子で、枝に足をかけて、こっちがいいよ、そこを掴んでと時々振り返りながら教えてくれた。

猫は高いところに登ったら自分じゃ下りられないっていうけど、こんな風に教えてもらえたら降りれるんじゃないかな。

もうすぐそこが地上だ。



「!!?」


さん、だいじょーぶ!?」


「すべ、った」

「最後でよかったっ」


今しがた自分のいた位置を見返す。

もう少し上の方で足を滑らせていたらと思うと背筋がぞわっとした。


「日向くん、ほんとに本当にありがとう!!」

「ううん、そばにいてよかった」

「命の恩人……!」

「命の!?」

「あ、もっもういいよ! ほら、着いたから」

「そっそうだね」

「……、腕っ、その、大丈夫!? 私の全体重かかっちゃったし、その、折れたりは!」

「しないよ、ぜんぜん! さんくらいは、さ」

「そ、れなら、よかった」


日向くんに抱えられた感覚がまだ身体に残っていた。
次、何を言おう。

日向くんが先に口を開いた。


「部屋に戻ろう」

だーーー!」


聞きなれた声、認識するよりも早くタックル、いや、抱きつかれていた。


「コラ夏!!いきなり飛びついたら危ないだろ!」

「うち来てくれたー」

「話聞けって……!ほら、離れなさい!」

「やだーー」

「ダメだって!」


「いっいいよ、日向くん。夏ちゃん、文化祭のときはありがとうね」


飛びつかれた勢いのまま夏ちゃんを抱きかかえる。
やっぱり子どもって成長が早い。この間抱っこした時より確かに重たくなっていた。

あ、夏ちゃんがいる、ということは。

玄関の方を見ると、日向くんのお母さんがいて、お邪魔してますと慌てて挨拶した。
笑顔で迎えてくれたけど、やっぱりこうやって親御さんに会うと緊張してしまう。

日向くんのお母さんは日向くんに手招きして尋ねた。


「翔陽、他のお友達はあと何人?」

「他の友達? いないけど」

「え!?」

「ダメ?」

「ダメじゃなくて……、そういうこと」

「どういうこと?」


日向くんのお母さん、なんで私と日向くんを交互に見たんですか……!!
というか日向くん、私が遊びに来るとは言ってなかったの!?

留守中に許可なく上がり込んでいたという事実に気まずくなってくる。

日向くんのお母さんと目が合った。
まぶしく微笑まれた(やっぱり親子、似てる)


ちゃん、夕飯食べてってね!」

「いっいいえ、もう帰ります!!」

「「えぇっ!!」」


ダブルで驚きの声が上がって、こっちが同じ反応をしたくなる。
日向くんも夏ちゃんも声が大きい。

遊びに来てからけっこう時間が経ってるし、雲行きも怪しい。
空を見上げれば、さっきよりも暗くなっている。


「あ、あの、家に遅くなるって言ってないので帰ります!」


さすがに夏ちゃんを抱っこし続けるのも疲れてきて、下ろしてあげてから、ありがたいお誘いの言葉を『家に帰る』の一択で押しきった。
心の準備も何もしていないから、今日のところは絶対帰る。

でも、あと1時間だけ遊んでいくことにした。
だって夏ちゃんが全然遊んでないと泣きそうになるから。女の子の涙に弱いのはなにも男子だけじゃない。

部活動の成果をプレゼントすると機嫌が治ったのは、子供らしくてかわいかった。

お礼に、夏ちゃんの秘密基地、もとい押し入れの下の段に案内された。


「にーちゃんはダメ!」

「なっ!?」


ぴしゃっと勢いよく襖は閉じられた。

……日向くん、なんか、ごめん。


夏ちゃんは慣れた様子で懐中電灯を光らせた。

押し入れの中がぱっと明るくなる。

さっきから足に何か当たるなと思っていたら、そこには夏ちゃんの宝物らしきお菓子の空箱やお人形さんなどおもちゃが並んでいた。


「あ」


前にあげた編みぐるみ、もう1年以上も経つのに前に見た時と同じだった。


「夏ちゃん、……ありがとね」

「なんで?」

「大事にしてくれてるから」


そう言うと嬉しそうに顔をほころばせるから、つい夏ちゃんの頭を撫でていた。
もし日向くんの髪に触れたら、こんな感じかもしれない。

今日あげた編みぐるみも友達として並んだ。
名前もついていて、他の種類の違う人形たちとのやりとりに参加させてもらった。

明らかに怪獣のビニール人形もいて、そっと裏面を確かめると、『しょうよう』とサインペンで書かれていた。


「にーちゃんにもらったの」

「仲いいね」

「うん、も仲いいねっ」

「う、……うん」

「ちがうの?」

「違わないよ、あってる」


髪をわしゃわしゃっと愛情をこめて触れてから、優しくなでつけると、夏ちゃんも楽しそうに笑った。

襖の向こうで、二人とも楽しそうでいいなって日向くんの声が聞こえた。
にーちゃんはダメ、という妹さんの言葉を律義に守っているから、鍵のかかっていない秘密基地だけど日向君は入ってこなかった。


「まだダメー」

「夏ばっかさん独り占めすんなよなー」

「にーちゃんはいつも電話してるもん」

「いっいつもじゃないって! あれは、学校の友達っ」


ほんと仲いいなあと兄弟のやりとりに聞き入っていたところ、時計を見るとタイムリミットが近づいていた。


「夏ちゃん、そろそろごめんね」


しょげる夏ちゃんを前にすると心苦しいけど、さすがにこれ以上お邪魔するわけにもいかない。
押し入れから出ると、薄暗さに慣れてきたせいか目が少しくらっとした。

背を向けていた日向くんが勢いよくさんっ!とこっちに来たから、勢いがありすぎてびっくりした。
例えるなら大型犬がダッシュしてきた感じだった。


「帰る?」

「うん、バス停までの時間もあるし」

「送るよ!」

「いっいいよ、夏ちゃんと遊んでて」

「一緒に行くー!」

「夏はおうちで待ってんの!」


日向くんが夏ちゃんの目線に合わせてしゃがんだ。


さんのことは任せなさいっ」

「……」

「おれもさんといたいからさ」

「……ん」


夏ちゃんが頷くと日向くんがよしよしと優しく頭を撫でた。

確かにその姿は“お兄ちゃん”だった。


「夏と約束したし、さんを送ってもいい?」

「うん、よ、よろしく」

「やった!」


玄関までついてきてくれた夏ちゃんと日向くんのお母さんに挨拶してから、日向君と一緒に外に出た。


「けっこう暗いね」

「まだ明るい方だよ」

「これで!?」


日向君は住んでるから当然だろうけど、一人だと怖くなる道のりだった。
最初は遠慮もあって断ったけど、いてくれてすごく心強い。


「今日、ありがと」

さんもありがとう、楽しかった」

「私も楽しかった」


木の上から見下ろした景色もすぐ思い出せる。


「夏ちゃんにも会えたし」


文化祭の時も、まだうちに遊びに来てくれないって言われたから、今度こそ約束を守れてよかった。


「え?」


日向くんが何か言ったかと思って聞き返すと、なんでもないって返事をされた。

時々、こういうことがある。お互い様だけど。

気になって顔をのぞき込むと、日向くんが一歩遠のいた。


「ご、ごめん、そこまで驚くと思ってなくて」

「おれの方こそ……!」

「なにか気に触ることでもしちゃったなら謝りたいけど」

さんは悪くなくて、おれが……」


やっぱり最後の方が聞き取れない。

さらに追求するのも悪い気がして、歩き出したタイミングだった。


「夏と!!」

「夏ちゃん?」

「楽しそうだったから、最後の方っ。 基地の中で二人入ってたし」


寂しかったんだね、と納得しかけたら、違うとその案は却下された。

違ったのか。


「日向くんごめん、ちゃんとわかってなくて……」

「いやっ、あ! バスの時間」

「あ!」


時計を見ると確かにそろそろ急いだ方がいい時間だった。

二人で行きに通った道を早歩きする。

日向くんがあんなに楽しそうに説明してくれた木々がどこか不気味に見えた。
時々何かが草むらで動くような音もする。


「も、もっと一緒にいたかった!」


唐突だったけど、さっきの話の続きだとすぐにわかった。


「その、二人で……、そう思っただけで」

「うん」

「ごめん……」

「ううん」


日向くんはバスの時間あるねって言ったけど、私の方が歩く速度を落とした。


さん急がないと、「手、を」


つな、がない?


そう告げた後に周囲を確認した。

誰もいないけど。

からからと落ち葉が風で転がっていくだけで。

間隔の空いた外灯がぼんやりと光っているだけで。


あとは、私たちだけだってわかっていたけど、一番は日向くんだった。






「つなぐっ!!」





手が、重なる。






「……日向くん、これ、握手では」

「だね!」


一度離した手を、もう一度繋ぎ直した。

あったかい。


ぎゅっと握りしめられた。つないでよかった。



「あれ!」


日向くんが空を指さした。


「星!!」

「ほんとだ」


何の星かはわからなかったけど、日向くんが元気になったことはわかった。


「もっと暗くなるとよく見えるよ!」

「すごく……よく見えそう」

「暗いの弱かったもんね」

「日向くんもさっ、得意じゃなかったよね?」


夕闇に文化祭で一緒に入ったお化け屋敷を思い出していた。

また、手、ぎゅっとされた。

こわくない。


「大丈夫だよ」


返事はしなかった。

しなくても、繋がっていた。






next.