ハニーチ

スロウ・エール 108





「リボンのやつさー」


日向くんの話は、時々、明後日の方向に飛んでいく。


「リボン?」

「前にさんに教えてもらった星」

「ああ、オリオン座!」

「もう見える?」

「どうだろ、冬の星座だからまだかな」


あの小さな神社に行ったときに見かけた星座を探して、木々の間から見える夜空を視線でなぞった。
残念ながら目印になる3連の星は見当たらない。


「11月……、うーん、芸術鑑賞終わったくらいならすぐ見つけられるかも?」

「そっかあ」


まだオリオン座を目で追っている日向くんの横顔を盗み見た。

冷たい風が日向くんの髪を揺らした。


「そんなに見たかったの?」

「うーー……ん、すごく見たかったわけじゃないけど、見えるかなって。なんとなく思い出してさ」

「てことは、見たかったんじゃ」

「そうかも!」


日向くんが見たかったなら、私も見つけてみようか。

しばらく空を眺めていたけど、そのうちに電灯の多い道になって、バス停が見えてきた。

残念だけど、この明るさじゃ見つけられそうにない。


「日向くん、もっと暗い場所でまた探そう」


もし一緒にまた見れるなら見てみたかった。

それに、星は人間の目で見えなくてもずっと輝き続けている。
時間帯と他の明るい星とのバランスで肉眼で見られるかが変わる。


「だからさ、時間変えたらすぐ見つけられるかも。すっごい早起きしたりさ」


明け方の星もきれいだって理科の先生が話してた気がする。あれ、教科書に書いてあったんだっけ。


「あんまり早いと」

「え?」

さんいないから」


唐突に自分の名前が出てきて、思考が止まった。


「いや、ほらっ。朝早いとさ、バスないから。自転車も、さすがに暗すぎるからやめろって言われてて行けないし」

「う、うん」

「だからっ、……だから、うん。冬になるのを待つっ」

「うん……」

「すぐだよ!」

「うん」


頷きながら、まだバスの来ない道路を見つめた。

よく、わからなかったけど、わかんなかったけど、つまり、その、一緒にオリオン座を見たかったっていうことなんだろうか。
二人で、というところが日向君的には大事だったってことで。

それは、その、そういう意味だったら、うれしいと思った。


「もし、日向くんが大丈夫だったらさ」

「ん?」

「早起きする?」

「え!」

「あっ、さすがに日向くんちに来れないよ!?」


その逆もしかり、私たちは中学生で星が見えるかもしれない明け方に家を抜け出して会うのはやっぱり難しい。


「でも、ほら、おんなじ時間に空見るのはできるかなって」

「同じ時間って?何時?」


日向くんの声からワクワク感がにじんでいた。


「明け方だったら……、3時?」

「目覚ましセットする!」

「待って、ちゃんと調べよう。図書館で図鑑見たら書いてありそうだし」

「そうしよう!!」


急にはりきりだす日向くんに、自分で言い出しておいて戸惑ってしまう。


「どうかした?」

「いやっ、ううん……、雲あるから晴れないと見れないなって」

「そういやそうだった!」


よくよく目をこらせば、雲も大きく動いていた。
この感じなら明日も晴れるんだろうか。
日向くん曰く、雨が降りそうな匂いはしないらしい(匂い?)

そんな話をしている内に遠くの方からヘッドライトが二つ伸びてきていた。


「バス来たね」

「だね」


どちらともなしに手を離した。

離した手でそのままばいばいした。


「今日ありがとう、さん!!」

「ううん、こっちこそありがとう」


夏ちゃんにもお母さんにもそう伝えてほしいと言ってから、バスのステップに足をかけたタイミングだった。


さん」


振り返った。


「おっ、……おやすみ」

「?おやすみ」


まだ早い気がしたけど、電話を切る時の合図みたいで同じように返してバスに乗り込んだ。

運転手さんが扉を閉める。

動き出しても日向君はバス停前から動かなかったから、私も見えなくなるまで手を振った。

見えなくてもこの道は日向くんと繋がっている。

バスを降りて駆け出す想像を一瞬だけして、一人首を振った。

















その晩、オリオン座について調べたら、11月に流星群が来ることが分かった。
いっそ、その星を一緒に見るのはどうだろう。
時間も夜の10時からだから、わざわざ早朝に起きなくても済む。

すぐに日向君に連絡したくなったけど、学校で会ったときでいいかと連絡はやめておいた。

持ち出した卒業アルバムをカバンから取り出した。


「……」


はさんでおいたプロフィール帳を取り出す。

好きなもの、のトス、か。

引き出しから、最近ずっと使っていないレターセットを取り出した。

住所は、このプロフィール帳に書いてある。届くかどうかはわからない。

ただ、今なら、いや今日だったら手紙くらい書けそうだと思えた。


『久しぶり。元気ですか?』


書いてみて、その文章を消す。


久しぶり。

久しぶり。


その続きはどうしよう。


『 バレー、続けてる? 』


誰かのトスで、前と同じように。

そうは書かなかったけど、バレーは一人じゃできないから、続けているなら当然そういうことになる。
そんな想像も今までしてこなかったし、今こう考えられる自分が意外だった。

書いては消し、読み返しては直してを繰り返して、最後に封をした。

















ポストに手紙を入れに行った日曜の午前、いつもの体育館に向かった。

待ち合せは影山くん。


「あ」


珍しく私より先に影山くんは来ていた。
いつもの定位置で、問題集とノートを開いて鉛筆を持っている。

すごいやる気満々で、少しくらい遅れてもいいかと思っていたことを反省した。

いや、待って。

寝てる。

今にもノートに書きだしそうと見せかけて、文字にも数字にもならないぐじゃぐじゃの線が紙面に書かれている。


「あた!」


顔を覗き込んだ直後、影山君の頭が勢いよく振り下ろされ、見事にぶつかった。

こっちは痛みで声にならない声を上げているのに、『ん?』と影山君の方は目覚めただけだった。


……」

「おはよ」


あれ。


恨み事一つ言おうと思ったのに、違和感だ。

痛みの消えないおでこを撫でながら、仏頂面でテーブルのどこか一点を見つめる影山君を観察した。

なんだろ、今の感じ。

お互いに静止しているのもおかしい。

影山君の向かいに座った。


「起きてる?」

「寝てねえ」

「人の頭に思いっきりぶつかっておいてそれ言う?」

「ぶつかったのか?」

「このおでこに勢い良く頭突きしたからね!」

「……」


まあ不用意に近づいた自分に落ち度がないとは言えない。

いつまでも怒ってもしょうがないので、筆記用具や問題集を取り出した。


「悪かった」

「いいよ、下手に近づいた私も悪いし」

「冷やすか?」

「!」


影山くんの手が私の額に触れるから、すかさず後ろに体をそらした。


「なんだよ」

「……なんでもない」


ある意味、ドキッとした。

日向くんの時とはまったく違う感覚、誰だって急にこんなことをされればびっくりする。

ちょっとだけ悔しくて、向かいの影山君の前髪を軽く払った。


「!なんだよ」

「髪、変だったから」


実際、前髪が乱れていたから、一応、親切心もゼロではなかった。

しばらくまた黙ったかと思えば、影山君が片手でわしゃわしゃと前髪を払った。


「これでいいだろ」

「……もっと変になってる」


けど、さすがにもう手を伸ばさなかった。


「影山くんって」

「なんだよ」

「可愛くない」

「!」

「さ、やろう。まずはテストの結果を見せてください」


相変わらず愛嬌のない表情のまま、影山君がテスト問題と答案を出してくれた。

決して良くはないけど数か月勉強を見てきた身としては、成長が伺えてうれしかった。


、なにニヤニヤしてんだ」

「前より点数上がってるから喜んでんの!」


この返しに、ちょっとだけ得意げになってるのは、可愛くなくもなかった。



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