ハニーチ

スロウ・エール 109





「おぉ」

「なんだよ」

「すごいなって、前ならこの問題解けなかったから。がんばった成果出てるよ」

「……」


影山くんは素直だ。

うれしそうに笑顔をなる、なんてことはないけど、ほめられるとどこかそわそわと視線を外して口元に動きが出る。
たぶんどんな顔をしていいのかわからないんだ。

前に行ったバレー教室の時みたく笑えばいいのに。

そう思いながら、バツのついた問題のやり直しを影山くんに告げた。

真剣な眼差し、黙っていれば人気のありそうな容姿、圧倒的なバレー技術。
そう、それに身長だって高い。

もし、ここにほんの少しの人懐っこさでも加われば、いくらだって友達ができそうだ。

影山くんのチームメイトにだって好かれるだろう。


この間、影山くんと私を引き合わせた先生とのやり取りを思い出した。







先生は、祖父の家までまたお見舞いに来てくれた。

お見舞いと言っても、祖父は本当に入院していたのかと思うくらい元気になっていたから、ただのおしゃべりタイムだったようだ。

夕方に小学生の子たちがバレーをしにやってくる約束があって、先生も“らしいな”と笑っていた。


『一繋さん、元気そうでよかったよ』


まっすぐに玄関に向かった先生は、さっき並べ直した靴に足をいれながらそう言った。

挨拶もそこそこに出ていこうとする先生に、つい声をかけてしまった。


『なんで』

『ん?』

『なんで、映画一緒に行くように言ったんですか』


映画?と聞き返されて、影山くんとのことです、と付け足すと、先生はようやくこちらの意図を組んだようだった。


『ちゃんと行ったんだ』

『ぇ』

『いや、チケットは渡したけど、本当に飛雄がを誘うかはわからなかったから』


先生に言われたなら絶対誘うに決まっている。

そう思ったけど、それは私が真面目だから、らしい。


『中学男子がそうすんなり女子誘わないだろ?』

『先生、それ、私は女子じゃないって意味ですか』

『あっはは』


先生は盛大に声を上げた。バレーでビシバシ指導するだけあって、この人の声は玄関でひと際響いた。


『見当違いでもなかったと思うけどね。あぁ、女子じゃないって意味じゃなくてね』


先生はまだ笑いをかみ殺しながら言った。


『飛雄はだったら付き合えそうかと思ったんだよ』

『?』

『DVDも見ただろ?』


前に先生から強引に渡された試合、北川第一と光仙との決勝戦のことだ。

こくり、と頷く。


『飛雄が選手交代する直前のトス、誰もあのボールを追わなかった』


どんどん早くなっていくトスを思い出す。
相手チームのブロックもある。あれだけのボールの応酬だ。疲れもある。

でも、ボールに手が届かなかったのは、それだけじゃなかった。


『つ、疲れてただけじゃないですか』

『まあ、そうも考えられるな』

『先生は、そう考えてないってことですか』

はどう思った?』


質問を質問で返すのはズルい。

先生はわかっていて聞き返している。答えくらい、教えてくれたっていいのに。


『あれは……、でも、チームで問題があったなら、一方だけが悪いなんてことありません』


ケンカと同じだ。片方だけが怒ったとしても、ケンカ自体一人じゃできないことだから、全員に一因はある。

自分で言いながら、自分にも刺さる心地がした。


『そんな風に考えられるから、やっぱりはセッターに向いてるんだよ』

『え?』

『もう3年も前のことだから今更だけど』


“セッター、向いてないです”


そんな言葉を発した光景をふと玄関に映した。


『でも、こんなんだから、舞を怒らせたんだと思います』

『それは仕方ないでしょ。トスは誰だって欲しがるんだし、ポジションだって自分で奪えばいいんだから』

『でも……、ただ、私は』


かつて先生の教え子だった頃の自分に戻った気がした。

ただ、バレーを楽しくやれればそれでよかったんだ。あのチームで、みんなで、それだけでよかったのに。


間をおいてから先生は言った。



『だから、と飛雄は足して2で割るくらいがちょうどいいと思ったんだよ』









今になって気づいた。


影山くんの足りないものが私にあるなら、私に足りないものも影山くんにあるんじゃないか。


ふと思い至って、今のままだとフェアーじゃない気がした。

問題を解く制限時間はまだ残っている。
わかっているのに切り出した。


「私、手紙書いたの」


問題用紙とにらめっこしていた影山くんが顔を上げた。


「やりながらでいい。聞き流してくれて」


ただ、話したかっただけだ。

前に影山くんには話したから。
なんでバレーをやめたか。スパイカーと上手くいかなかったからだって。

そのスパイカーに手紙を書いた。

別に仲直りしようって言う訳じゃない。久しぶりに会おうっていうこともなく。

話しながら、この手紙の受け取り手はどんな気持ちになるんだろうと思った。
自分でも理解できていない。

影山くんに話しながら、自分の気持ちを整理できた。


ただ、手放した過去に向き合う気持ちになれた、それだけだった。


「……あ」


タイマーが鳴った。

本当なら影山くんが問題を解ききるための合図なのに、私の話を止めるきっかけになってしまった。

慌ててタイマーを止めると、影山くんはいつもの表情のままペンを置いた。


「なんで、んなこと俺に話す」

「悪いなって思って」

「悪い?」

「私だけ影山くんの決勝の試合知ってるから、不平等かなって」


影山くんが机を蹴った。いや、足がぶつかっただけみたいだ。

勢いで揺れた机の上でボールペンが転がるから、そっと手で押さえた。


「おまえ、いたのか。あの日」

「あの日?」

「決勝の日、会場に」


あまりの眼光の強さに押し負けて首を横に振った。
嘘だ、本当はあの会場にいた。


「ちっちがうよ、先生が、DVDくれて」

「ああ……」


さっきまでの勢いを消して影山くんは椅子に座り直した。


「だから、それがどうしたんだよ」

「……」

「俺が悪いって言いたいのか? あの状況であのブロック相手に他にどんなボールあげりゃよかったんだ。ああするしかなかった。実際、だから、あの試合は」


ハッと何かに気づいたように影山くんは顔を背けた。


「もう、やんねーのかよ」


やりかけの問題が書かれたノートが差し出された。


「ごめん」


私が悪い。私が、ぜんぶ。


「謝んな」

「……」

「今のは、……じゃない」

「でもっ、……そうだね。続き、やろう」


どっちかが悪いなんてことない。
ケンカと同じ。自分でわかってることじゃないか。
二人でいるんだから今この瞬間も二人のもの、どっちか一方だけで壊れることはない。

つぶしてしまった時間だけタイマーをセットし直した。



next.