ハニーチ

スロウ・エール 110





今度はきちんと“先生”をやりきった。タイマーが0秒になる瞬間にストップボタンを押す。

影山くんの答えを採点して、きちっと解説までこなした。
今日の勉強タイムはこれでおしまい、影山くんはこの後バレーの練習らしい。先生も今日来るはずだった。

帰り際にお菓子を一つ取り出した。


「あげる」

「なんだこれ」

「かぼちゃのケーキ。かぼちゃ大丈夫?」

「ああ」

「じゃ、おなかすいたときでも食べて。あ、手作りだから今日中に」

「なんでくれんだ」

「毒味かなあ」

「!?」

「冗談だよ、人にあげるものなんだし」


付け加えれば、自分でも食べるおやつだから、そこまで冒険するつもりもない。

いたってシンプルなパウンドケーキだ。


「あ」

「なんだよ」

「ううん」


そんなにすぐ食べると思わなかっただけだ。

影山くんからすれば頭を使ったから軽い糖分補給みたいなものだろう。
ぱく、ぱくっ、残りもあっという間に口に放り込まれた。


「んまい」

「そう」

「ありがとな」

「んーん」


影山くんの笑顔にする目的で作ったわけじゃないけど、影山くんがうれしそうにするのはやっぱりバレーかもしれない。

荷物を片付けて体育館に向かう背中は、さっきと比べればどこかワクワクとした高揚感をみせていた。


「!」


急に振り返られるとは思わなかった。


「なんでかぼちゃなんだ」

「え」

「好きなのか?」


不意打ちの質問にびっくりしつつ、すぐ答えた。

だって、来週は10月31日だ。
最近はイベントだってそこらでやっている、ハロウィーン当日。

そう告げても、影山くんの方はあまりピンときた様子はなかった。


「知らないの? ハロウィン」

「なんだそれ」

「トリックオアトリートって言ったり、仮装したりさ!」


っていうか、この間の英語の長文にハロウィーンのイベントの変遷があった気がする。

気になってテキストを取り出すと、ハロウィンを主題にした問題文が記載されていた。

そのページを持って、影山くんに近づいた。


「ほら、こないだやったやつ」

「?」

「やったって、文法満点取ったの忘れた?」

「……ああ」


この間(ま)がある感じ、絶対に覚えてないな。いいけど!

引き留めるほどハロウィンについて話したかったわけじゃないので、テキストを閉じた。

かぼちゃが特別好きなわけじゃないけど、オレンジ色は好きかもね。そんなどうでもいいことを口にしつつ、自分の荷物もまとめた。

影山くんも早く体育館に行きたいだろう。




「ん?」

「またな」

「おー!」


手をひらひらと振って見送る。

こんな風にしていると、私たちは仲良しだと錯覚しそうだ。

もう一回くらい、言ってみるべきなんだろうか。
青葉城西の過去問もやる?って。

それとも、これだけの凄い選手なんだし、コーチからのお誘いもあるんだろうか。
さすがに聞かないけど、聞いても怒鳴られはしない距離にいる気でいた。


そういえば、影山くんは、何が好きなんだろう。


決勝戦の話題でさっき荒れたことも忘れて、もうちょっと仲良くなれればいいのにとお気楽に思った。























さんの差し入れ……!!」


日向くんが飛び上がるほど、という比喩ではなく、実際に飛び上がって差し入れを喜んでくれた。

今日はハロウィン当日、後輩からのお誘いを受けて作ったかぼちゃのお菓子は、影山くんにあげたのと同じパウンドケーキだ。

今日作った方はナッツ入りで豪華だし、生地の寝かせ方も違うからふわっとしている。
両方食べた身としては、どっちもおすすめではあったけど、気持ちのこめようは今日の方が上と思われた。

部活終わり際の日向くんは「食べていい!?」って袋のまま今にもかぶりつきそうな勢いで尋ねるから、すぐにうなずいた。
1年生たちも嬉しそうだったし、家庭科部の後輩たちにも感謝だ。


ふぁん、んふぁひほ、ほれ!」

「うん……、ゆっくり食べてからね」


もぐもぐと口を動かす日向くんの代わりに、一口ずつ食べる1年生たちがおいしいと言ってくれたから一安心だ。

毒味と影山くんに言ったのは半分だけ本当だった。今日おいしく作るための練習でもあったから。


「日向くん、まだやってくよね?」


最終下校時刻までは時間がまだある。


「かっ帰るの? さん」

「今日はなっちゃん待っててくれてるから」

「そ、か」

「じゃ、がんばってね」


体育館の入り口から足を引くと、日向くんがジャンプして飛び出してきた。


「日向くん!?」

「教室までおれも行く。やってていいよ!」


後半は1年生に向けて言い切ると、日向くんは私の横に並んだ。


「行こう」

「いいの?」

「すぐ戻るよ」


歩き出しながら、本当にただ歩くだけの日向くんを見つめた。

視線に気づいた日向くんがこっちを向いた。


「なに?」

「な、なんかあるのかなって」

「なにが?」

「わざわざ教室までついてきてくれたから」

「行きたかっただけだよ」

「そっか」

さんと」

「!……そ、そっか」


これ以上、言葉が続かない。

困っていても歩けば進む。体育館から校舎に入ってしまえば、後は階段を上がっていくだけで3年生の教室もすぐだった。

人もまばらな廊下で、思いつくままに言った。


「トリックオアトリート」

「えっ?」


日向くんが目を丸くした。


「今日ハロウィンだから」

「はろうぃん?」

「わかんない?」

「わかるけど、おれ、何にも持ってないよ」


日向くんはTシャツに半ズボン、体育館履き、ポケットに手を突っ込んでみても飴玉一つ入っていないことは明白だった。


「じゃあ、悪戯するね」

さんが!?」

「ほら、目閉じて」

「わ、わかった」


言いながら、イタズラなんて普段しないから何をすればいいかわからない。

目を閉じた日向くんを前に、自分のカバンの中をまさぐった。別になにも面白いものは出てこない。

どうしよう。


あ、先生。


ちょうどいいや。

訳の分かっていない先生に目配せして、ほんのちょっとだけ協力してもらった。



「日向くん、目あけていいよ」

「ん……、うわあっ!!」


「そんな驚くか、日向」

「いやっだって、さんだと思ったら先生だったから。すげーびっくりした」


とても簡単なイタズラだった。

日向くんの向かいに立つ私が一歩下がって、その間に、先生に立っててもらう。
あとは日向くんが目を開ければ、まるで私が先生に、というトリックとも言えない仕掛けだ。

ばれると思っていた割にとてもいい反応をしてくれた日向くんに『いたずら成功?』って聞くと、『成功!!』って元気よく答えてくれたから、なんとなくハイタッチをした。


「ほら、先生も!」

「おまえらもう中3だろ」

「先生、おれとも!」

「何のハイタッチなんだ」

「今日ハロウィンなので」「なので!」


呆れた様子の先生の向こうに教室から様子を窺う友人が見えた。

早く帰らないと。早く戻らないと。

日向くんと私の声がまた重なると、今度は先生もこらえきれず笑った。



next.