ハニーチ

スロウ・エール 112




ちゃんはいいの?「いいよ、全然!!」


長かったカラオケのフリータイム、ようやく終わりが見えてきたタイミングで、塾の子が遠慮がちに確認してきたから、食い気味に応えた。
だって、あの男子と連絡先交換していいかなんて、こっちに確認する理由がない。


「飲み物取りに行ったとき話したけど、なんか、急に嫌われちゃったみたいで」


月島君とのあんな光景を見せられてもまだ追っかけてくるなら、そのメンタルの強さを評したいところだけど、賢明な彼は他の女子と仲良くすることに方向転換していた。
その潔さは、ある意味すごいなと思う。


「もしかしてさあ、ちゃん、付き合ってる人いんの?」

「え!」

「遠野くんと仲いいのになんにもないっていうし、月島くんのことも興味ないんでしょ?ってことは彼氏いるか好きな人いるかのどっちかかなあって」

「えーー~~、誰ー? うちのクラス?」
「学校でしょ、塾じゃないなら」

「いやいやいや!」


こういう時の女子の盛り上がりと結託ってすごすぎる。
止まらない質問攻めにごまかしきれず、結局、好きな人のイニシャルは「T」とだけ答えてしまった。

T君と呼んでるけど、別に『ひなた・しょうよう』の名前には「T」は一切含まれていない。

ウソをついてしまったことに気が引けるけど、この人たちだって本当に私の好きな人に興味がある訳じゃない。

このカラオケが終わってしまえば、この関係も終わる。



「でもさ、ちゃんありがとね」



唐突に思考に入り込む、柔らかい声色。

内心を悟られる訳もないのに視線を上げると、さっきまで好きな人のフルネームを聞き出そうと質問攻めだった人たちと変わりなく、ギャップに戸惑った。


「な、なんかしたっけ、私」

「遠野くんたちに声かけてくれて」

「あぁ……、うん。月島君たちは、呼べなかったけど」

「うちらじゃね、声もかけらんなかったしね」「ね」「ほんとそう。楽しかったね」


「なら……、よかった」



ほんと、自分は単純だ。

月島くんとのこともあったけど、もやもやだってしてたけど、でも、今日みんなでカラオケ来て、よかった、と思ってしまっている。


カラオケのお店を出ると、外はぐっと冷え込んでいた。

さむーいっ

高めの声に振り返って、みんなを待った。






















「あれ、おつかい?」

「こっこんにちは!」


いや、この時間だと『こんばんは』と返すべきだったかな。

あのカラオケから数日後の夕方、嶋田マートに寄った時にめずらしく嶋田さんと店内で会った。

挨拶がどっちが適切だったかなんて嶋田さんは気にすることなく今日のおすすめ商品を教えてくれた。
ちょうど親に頼まれたのと同じ商品で、かごに一つ入れる。


「そういえば、バレーもうやんないの?」


さっきまでの世間話と同じ調子で、嶋田さんはバレーという単語を口にした。

小学生の時はたくさん、最近はちょこちょこお世話になっていたこともあって、話題にされるのはおかしなことではないのに、つい反応してしまう。
嶋田さんの方は、おすすめ商品の並び替えをしながらだから、特別な意味を含んでいないことはよくわかっていた。


「おっさん達ずっと相手にする訳もないか」

「そ、そんなんじゃないです!」

「あ、そういえばさ、今度、あの体育館でやるんだよ」


あの体育館、と言われてもピンとこないでいると、嶋田さんは棚から身体を起こして人差し指を立てた。


「ほら、ちゃんが小学校最後の試合をした体育館。って思い出させないほうがよかった!?」

「あ、いやっ、ま、負けても大事な思い出なので」

「あそこ、来年から使えなくなるんだよ」

「工事、とかですか?」

「じゃなくて、閉鎖。立て壊すかまでは知らないけど」



近くの小学校が合併して一つになるのは聞いたことがあったから、別段珍しい話でもない。

私が小学生だった頃、よりはるか前から存在している体育館だから、子どもが少なくなって総合体育館もできた今、建て直しもないだろう。

そっか、なくなっちゃうんだ。


「よければその時おいでよ」

「ありがとうございます」

「けっこう来るんだよ、あの体育館にお世話になったやつ多いしさ。 ほら、マイちゃん?だっけ、よく一緒にいた子、誘ってもいいし」

「舞は、その」


もう、連絡のしようがない、というと大げさかな。

この間、意を決して出した手紙は住所不明で戻ってきてしまった。

あんなに書く内容を悩んだっていうのに、何の意味もない。



「あれ、でも、見かけたけどな、その子」

「どっどこで!?」

「ここで。 あ、ちゃん!?」



生鮮食品、乳製品、乾物コーナー、お菓子コーナー、缶詰、エトセトラ。

こんな時間だ、店内にはかごを押したりする親子連れやお年寄りの姿はあったけど、私と同じくらいのあの子の姿はない。

早足をやめてゆっくりと歩き出すと、向こうに嶋田さんの姿があって、わざわざ来てくれた。
と思ったら、ぱちんと勢いよく両手を合わせられた。


「ごめん、ちゃん!今日じゃない!」

「あ……」


ごまかしようがなく、早とちりしたのは自分だ。

そりゃそうだ、今日この時間に見かけるなんてそんな都合のいい話がある訳ない。

清々しくかんちがいしてしまった事実に赤面しながら、何度も謝って謝られもした。


「でもさ! 見かけたの先週だから」

「だ、だいじょぶです。ちょっとしばらく、連絡してなかったからいたら声かけようかなってくらいで」

「今度見かけたら声かけるよ!」

「いいです!嶋田さんに迷惑かけたくないですし! あの、呼んでますよ?」


まだ嶋田さんは話を続けそうだったけど、向こうで同じエプロンをした店員さんが手招きしていた。
はいはい、と慣れた調子で嶋田さんが肩をすくめた。

私も他の頼まれたものを選んで早く帰ろう。



「さっきの、2月だからっ」



お互いに歩き出した時、嶋田さんが振り返ってそう言った。
他のお客さんの姿もあるから、声に出さず、会釈した。

さっきの店員さんが『早く』って急かすと、嶋田さんも小走りで行ってしまった。

あの体育館で嶋田さんたちがバレーする日、それが2月。ちょうど受験のころだ。
行けるはずない。

それに、行ったところで何か変わる訳もない。
体育館だけあったって、中にはもう誰もいない。

















「誰かいんの?」
「うわあ!」

「おはよう、さん!」


もうすぐ芸術鑑賞の日が近づく11月下旬、講習のための早起きもつらくなる寒さだけど、体育館のドアが開いていたからつい覗きに来てしまった。
ら、探していたはずの日向くんが後ろから現れたからびっくりした。

学ランをばっちり着ているから、体育館の鍵を持ってきていたのは、日向くんじゃなさそうだ。


「あれ?」

「なに?」

「それ、体育館の鍵?」


日向くんがひょいっと空中に投げて、またキャッチする。


「そうだよ、1年からもらった」


よく見れば、日向くんは体育館履きだ。

中に入っていくから、まだホームルームまで時間もあるし、同じように体育館倉庫に向かった。


「その1年生達は?」

「日直と小テストの準備と委員会だって」

「それは忙しいね」


ってことは。


さん、トス出してもらっていい?」


きらきらした瞳、差し出されたバレーボール。

こうなることはわかっていたけど、実際頼まれると予想通り過ぎて一瞬だけ固まってしまった。


「だめ!?」

「いいよ、まだチャイム鳴んないから」

「やった、ありがとう!!」

「待って、ちゃんと準備体操しないと」

「わかった!」

「あ、日向く、ん」


それ、体操じゃなくってマラソンじゃん。

元気よく体育館の壁に沿って走り出す日向くん、それは違うよって追っかけてつっこむ気力はない。
代わりに端っこでひとり屈伸を始めた。


「そういえばさ、体育館で誰か探してた?」


ちょうど反対側の隅っこあたりにいる日向くんが大きな声で尋ねてきた。

もっと近づいてから話しかけてくれていいのに、と思いつつ、日向くんを探していたことを小声で伝えた。

きっと聞こえない。
思った通り、日向くんがこっちに向かって聞き返す。

近づいてまた遠くなるそのときに『日向くんだよ』って答えようか。

そんな想像をしながら膝をまた伸ばした。



next.