ハニーチ

スロウ・エール 113




さん、あと一本!」


日向くんの声が体育館に響く。

ボールを手に取った。



「もー、おし、まい!」

「えっ!!」

「え、じゃなくて。もう教室行かないとチャイム鳴るよ?」

「でっでも!」


日向くんの主張を遮るように、予鈴がちょうど鳴った。
ナイスタイミングだ。

まだトスを上げてほしそうな日向くんには悪いけど、さっきから『もう一本』に何回も付き合った身としてはこれ以上はNGだ。
転がったままのボールを拾い上げて、体育倉庫に向かう。

日向くんも私に合わせてボールを抱えて走ってきた。


さん、あのさ!」

「ごめんね」

「!」

「昼休みは卒アルがあるから付き合えないんだ」

「な、なんでおれが言おうとしたことわかったの!?」


なんて言おう。


「……エスパー、だからかな」

「エスパー!? か、かっけぇ!!」

「そっそれに、昼休みなら1年生たちがボールやってくれるよ」


自分で言っておきながら照れてしまって早口で繋げた。

今日の昼休みは確か女子バレーの子たちと練習の予定だ。
その中に日向くんが混ざるのはもう珍しいことじゃなかった。


「日向くん、鍵は?」

「鍵、カギ!」


日向くんがズボンのポケットをひっくり返す。

ふと目についた置きっぱなしの上着。


「あっちの学ランのポケットは?」

「そっちだ!!」


練習が盛り上がって暑くなった日向くんは早々に学ランを脱ぎ捨てた。
腕もまくってシャツのボタンを開けて、すっかり夏の格好だ。


「あったよ!」

「よかった」


倉庫に鍵を閉めて、私も額ににじんだ汗を指先で払った。

朝は寒かったのに、これだけ日向くんに付き合うとすっかり身体がぽかぽかだ。



「ありがとう、さん!」

「ううん」

「おれ、職員室寄ってくから、先、教室行ってていいよ!」

「うん、じゃあ」

「また後でね!」


日向くんがしゃべりながらもう駆けだしている。
相手に合わせて手を振った。


「あっ!!」


日向くんの声に立ち止まる。

また何か忘れ物かなと様子を窺うと、日向くんが青空を両手で指差してジャンプした。


「今週、ずっと晴れるってさ!」


それだけ声を弾ませて言ったかと思えば、職員室への近道とばかりに上履きのままなのに日向くんは花壇の方の道を突っ切っていった。

今週、晴れ、そうだ、流星群だ。

温まったはずの両手をすり合わせて寒さをしのぎながら、校舎に入るとやっぱり暖かかった。

予鈴、もう鳴ってるんだったと、早足で教室に入るとまだ先生は来てなくて一安心した。











「楽しみだよな、舞台! どんなだろ」


日向くんが補習で、私が図書館の自習室。

こうやって並んで帰るのは久しぶりだった。


「ミュージカルって先生言ってたね」

「そうなんだ!」

「日向くん、見たことある?」

「ない!! あ、でも、小学校の時にも見た、かも!?」

「かもって、あんまり覚えてないんだ」

「席の近くまで悪いやつが来たのは覚えてる!」

「悪いやつっ」

「あ、でも、舞台に連れてかれなかったっ」

「ヒーローショーじゃないからね!」


金曜が芸術鑑賞で、その夜から週末にかけて流星群が来る。

日向くんが言ってた通り、晴れの予報が続いている。

今も空を見上げれば星が見えていた。


さん、時間ある?」


その言葉に身構えて、まさかバレーに付き合ってほしいと言われるかと思ったけど、日向くんが即座に否定した。


「じゃあ、なに?」

「ど、どっか寄らない!?」

「寄り道?」


思わず辺りを見回した。
こんな時間だ。さすがに登下校をチェックする先生も校門を過ぎれば姿はない。


「せっかくテストも終わったし、ずっと、その、さんとタイミング、合わなかったから……」

「えっと」

「むっ無理なら全然! さんを困らせたい訳じゃないしっ」

「ど、どこ寄る?」


つい視線を横にずらしてしまった。

日向くんからすぐに返事がなくて、的外れなことを言ってしまったかと思った。

おそるおそる様子を伺うと、日向くんも頭に片手を回してそわそわしていた。


「ど、こでもいい、んだけど」

「とっとりあえず、ここ、立ってるのもあれだし、歩く?」

「そっそうしよう!」


あてもなく歩き出す、けれど、どこかに寄るなら通学路は何があるかわかり切っている。

どこか公園でも空き地でもよかったけど、あいにく寒さをしのげそうにない。

あっちがいいか、こっちがいいか、話している内に、人通りから外れたところにあるカラオケ屋さんを発見した。
この間の塾の子たちといったお店より古そうだけど、学割でかなり安い。


「ここにする?」

「う、うん」

「やだっ?」

「嫌じゃないけど……、うん、誰かに見られないうちに中に入ろう!」


日向くんは自転車があるから、見る人が見たら一発でバレそうだよなと思いつつ、こんなところまで誰も来ないだろうと意を決する。

入ったカラオケの受付は見るからに年季が入っていて、順番待ちをしている人はいなかった。
親切そうな店員さんがすぐに部屋に案内してくれた。


「日向くん、カラオケよく来る?」

「たまに! 最近は行ってない」

「歌いっぱい覚えてるからよく来るのかと思った」

「行き帰りで歌う!」


それはずいぶんとオープンな練習方法だ。
コートを脱いで、室内にいる安心感に息をついた。

どっちから曲を入れるか少し悩んだけど、結局、じゃんけんで勝った私から入れることにした。


「あ」

「どうしたの?」

「いや」


マイクに音が入ってないわけじゃなくて、音量が悪いんでもない。

日向くんとカラオケ、はじめてだ。

前奏がもう始まる。

き、緊張する方がおかしい。この間と同じように歌えばいい。そう、同じ曲を入れたのに、声が出せない。


「始まってるよ?」

「う、うん!」


知ってる、ついこの間歌ったばっかりだ。
なんならノリよく声を出していた。あの時は、一緒にいる人たちに何を思われてもよかったから、これっぽっちも緊張せずに声を張り上げられた。

日向くんに歌うところを見られるなんて、音楽の授業でいくらでもあるのに。


「おれもこの曲歌えるよ」


もう一方のマイクを持って日向くんが流れていく歌詞を口にしていく。

遅れて一緒に歌った。

この曲、高めだけど、日向くんの方が上手いかも。

そう思ったとき、日向くんがサビの前のためより早く歌い出してテンポがずれて、恥ずかしそうにする横顔にスキがこみ上げた。



next.