「さん、荷物のっけていーよ!」
「重たいよ?」
「だからっ!」
ちょっと悩んでから、日向くんの自転車にカバンを乗っけると、少しだけ自転車が苦しそうな音を立てた。
「大丈夫?」
「へーき。何入ってんの?」
「古典の便覧が重いのかも」
「すげ!ちゃんと持って帰ってんだ」
そういう日向くんの机の中には、確かによく便覧とか資料集がそのまま入っていたなと思い出した。
「明日の1時間目、古典だよ?」
「なんかあったっけ? あっ!」
「そ、テストやるって言ってたから」
何とも言えない焦りをにじませる日向くんについ笑ってしまいそうになりながら、単なる小テストだからと励ました。
あの先生は、教科書に書いてあることをそのまま出すタイプだ。
「朝一番にやれば大丈夫だよ、直前にやった方が頭に入りそうだし」
「さんがそう言ってくれるといけそうな気がしてきた……!」
「ダメでもさ、先生優しいからさ、うん!」
「やっぱダメってこと!?」
バス停に着いてからも日向くんは一緒に待っていてくれた。
他のお客さんも同じ学校の人もいなかった。
もう少ししたらバスが来る。
いくつも自動車のヘッドライトが近づいたかと思えば離れていく。
そのたびに私達の影が伸びて、夜に消えた。
あたたまったはずの指先がまた冷えてくる。
なんでもない話をしながら、さっき繋いでいた日向くんの指を見つめていた。
「なにっ?」
なんにも気づかない日向くんに慌てて首を横に振って、指先から肩へ視線をずらしてずらした。
さっき、あの肩にもたれていたのが夢みたい。
またドキドキしてきた。
「さん、なにやってんの?」
「さ、寒いから身体のばそうかなって!」
さっきのこと思い出してきたから、なんて言えるはずもなく、両手から足先までぐーっと上に伸ばしてごまかすことにした。
「あ、向こう、バス来たから日向くん」
ガシャン、金属音がした。
日向くんが自転車を荒っぽく止めた。
「おれも伸ばす!」
「な、なんで?」
「なんとなくっ」
同じように日向くんも伸びをしている。
きっと他人が見たらさぞおかしな光景だろう。
バスが到着して、ストン、と二人して地面に戻った。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日!」
日向くんの自転車が一緒にいたときと違ってすぐ加速する。背中が見えなくなる。
もう明日が待ち遠しい。
バスの窓ガラスで自分の表情が緩んでいるのを気づくと、両手をほおに当てた。
*
翌朝の芸術鑑賞は、午後からだった。
けっこう大きな施設で観ることになっていて、大きなホールが東と西で分かれている。
どちらも有名ミュージカルを公演中、私たちは西ホールで観ていた。
「っちー、やっほー!」
「おー、やっほー!ってどこに連れてかれるの?」
1幕が終わって、休憩時間は30分、座っているのも疲れて席を立った。
ロビーはグッズを見たり、トイレの列に並んだり、飲み物を買ったりと私達の学校だけじゃなく一般のお客さんもいて、ごった返していた。
友達は楽しそうに向こうの通路を指差した。
「あっち行こう!」
「あっちは連絡通路でしょ、東ホールに行く」
なんでも東ホールでやっている方の演目が見たかったらしい。
ずるずると引っ張られるけど、もちろん止める。
「けっこう距離あるからダメだよ、先生も他校が来てるって言ってたし」
「あっちのグッズが見たいよー!」
「ダーメだってー」
半分遊びのように駄々をこねる友人をなだめている時だった。
「っち?」
「ごめん、ちょっと私!」
理由を告げる時間も惜しく、友達と分かれて駆け出した。
いや、気にしなくてもよかったんだけど、目にしてしまったら確かめずにはいられない。
人の間をすり抜けて、このミュージカルの出演者一覧の前まで来てしまった。
「……」
見間違い、か。
だよね。
「あ、すみません!」
「いや」
い、
や、じゃなくて。
「やっぱり……!!」
「なんだよ」
「なんだよじゃなくて!」
なんで、ここに、影山くんがいるのか。
「ど、ど、どうしてここにいるの?」
って、芸術鑑賞か。
他校が来ているとは聞いていたけど、まさか影山くんの学校だなんて思いもしない。
手には口の開いていない飲み物があるから、それを買いに来たんだろう。
ハッと気になって周囲を見渡したけど、日向くんの姿はない。
いや、いてもいいんだけど、だけど、あの一度きりの試合のことを思うとやっぱり影山くんに会わせたくはなかった。
「か、影山くんも同じ演目観てるとは思わなかった。どう?」
「なにが?」
「感想を聞いてるの!」
主人公の人の歌がすごかったとか、海の中の演出がすごかったとか話しながら、ばったり日向くんに遭遇しないように引き留めていた。
幸い男子トイレは真逆の位置だし、先生から反対側のホールには行かないように注意されていたから、ここまで来ない、とは思う。
影山くんが小首をかしげていた。
「な、なに?」
「主人公は動物だろ」
「動物?」
「それに海じゃなくてジャングルだ」
「……、……あのさ」
「なんだよ」
「影山くん、どこのホールで観てるの?」
「東」
「ここ、西……ホールなんだけど」
心底不思議そうな顔してるけど、こっちがその心境だった。
休憩時間は半分以上は過ぎていた。
「こっち来ちゃダメって言われなかった?」
「覚えてねえ」
「先生の話も聞きなよ!」
「どこ行くんだよ」
「連絡通路! 影山くんそろそろ東ホールに戻らないと休憩時間終わるよ?」
「ここ東じゃねえのか」
「西だって言ったじゃん!!」
本当は東ホールへの道だけ教えればよかったけど、あえて先導した。
万一日向くんがいた時に少しでも避けられるかもしれない。取り越し苦労ならそれでかまわなかった。
もうすぐ休憩時間が終わるのもあってロビーも売店も人が減っていた。
雪が丘の生徒も余りいない。
「えっ?」
いま、影山くんが話しかけてきたけど、上手く聞き取れなかった。
聞き返そうとしたとき、ちょうど東ホールのロビーが見えてきた。
影山くんと同じ制服を着た男子二人がこちらに向かっていた。
なんだ、よかった。まだ演目が始まってないみたい。
その人たちもこっちに気づいて歩みを止めた。
影山、という声も聞こえたから、きっとクラスの人だ。影山くんを探していたんだろう。
ずっと引っ張っていた影山くんの腕を開放して、背中をポン、と押した。
「ここまで来たら大丈夫だよね、友達も来てるし」
「友達?」
何か変なことを言っただろうか。
あの、なんというか、らっきょっぽい髪型の人、すごくこっち見てたし、影山ってその隣の人も言ってたし。
ふと時計が目に入った。
「うわ、遅れちゃうからもう行くね。じゃね!」
「!」
呼ばれても振り返る暇もないから、手だけで応えた。
2幕が始まっていたりしたら、中に入れなくなるかもしれない。続きだって気になっている。
影山くんを引っ張ってきた道のりを今度は一人走った。
*
「影山、お前がいないと俺たちが呼ばれんだよ」
「悪かったな」
「さっきの、誰だよ」
「あ?」
予想以上に低い声で、声をかけた方も戸惑っていた。
動揺をごまかすように、金田一はわざと鼻で笑って続けた。
「俺たち、友達だったか?」
影山は眉間にしわを寄せつつペットボトルのふたをひねった。
「アイツが言い出しただけだろ」
*
「ま、間に合った!」
2幕開演まであと1分、自分の席にたどり着けた。
少しはトスのために鍛えたことが役立ったかもしれない。
「」
「なに、翼くん」
「さっきの」
「さっき?」
まさか、と思ったけど、やっぱり影山くんといたところを見られていたらしい。
話をさえぎるように日向くんのことを尋ねると、関向君たちと休憩時間の後半はずっとしゃべっていたとのことで、一安心だ。
「え?」
「いや、とどういう関係かと思って」
「あ、さっきの人?」
ちょうど開演のベルが鳴った。息を整えながら答えた。
「友達だよ、私の」
next.