ハニーチ

スロウ・エール 118




翌朝は、自分でもびっくりするくらい、すんなりと目が覚めた。

いつもならあったかい布団から出るのが惜しくてもっとゴロゴロしてしまうのに今日ばかりは飛び起きた。
夕方の約束で頭がいっぱいだった。
寝て起きてもう会いたい。
日向くんと会って話がしたかった。

影山くんとの勉強会までの時間も、いつもならもっとのんびりするのに、もう家を出ている。
いってきますの言葉さえ弾みすぎて、親も驚いていた。

でも、しょうがない。
気持ちを落ちつけられるならとっくにしていた。

総合体育館に向かうバスも、休日のこの時間のせいか空いていた。

座って景色を眺める。

すべての葉が落ちた木々もみすぼらしさなどなく、朝日に照らされてどこか凛と眩しい。

日向くんの家の周りも同じ感じかな。

まだ寝てるかな、日向くん。

そんな想像をする内に、遅れて眠気が忍び寄ってきた。

抵抗しないで背もたれに寄りかかって瞼を下ろした。



「あれっ」


到着したフリースペース、いつもなら空いているスペースが埋まっている。


「影山くん、早いね。あ、時間はまだだよ」


影山くんが勉強会の時間を確認しようと携帯を見るから、すぐ補足した。
私がいつもより早く来たから、自分が時間を間違えたと思ったんだろう。

話を聞くと、今日はたまたま勉強の前にバレーの練習だったらしい。
確かに小学生のバレーチームの子たちもいて、半分のスペースか、もしくは入れ違いで練習したんだろうということが伺えた。

練習着から着替え終えている影山くんは、何か熱心に書いていた。


「なんだよ」

「何の勉強してるのかなって」


広げられたノートをのぞき込む。

自主勉強かと思いきや、そこには数式も英単語もない。
影山くんらしい文字で、色んな数や文字が並んでいた。


「これ、バレーの研究?」

「ああ」

「すごいね」


ノートはもう半分以上は埋まっていて、ノート自体使い込まれていた。
きっとこの1冊じゃないんだろう。


「ずっと、こんな風にやってるんだ。本当、……すごい」


影山くんから離れて向かいに座る。

バレーに対して真摯なのは知っていたけど、こうやって練習を振り返ったりする地道な努力が影山くんの才能を磨いているんだと密かに驚嘆した。

なんか、好きな人に浮かれている自分が薄っぺらい。

いや、でも、……スキだし、それとこれとは別だ。


「おい」

「ななに!」

「一人で何やってんだ」

「な、なんかやってた私!?」


影山くんは黙る。
きっとまた考えてたこと全部顔に出てたんだ。

ほっぺたを両手で挟んでもみほぐす。ポーカーフェイス、身につけたい。




「今度は何!?」

「今日、いつもと違うな」

「えっ」


影山くんから話しかけてくること自体めずらしい。まして、私に対して発言することもびっくりだ。


「ど、どこか変?」


実は、日向くんと会えるからと気合いを入れて服選びしてしまった。
さっきの指摘と相まって、ドキドキしながら返答を待つと、そのまま影山くんはそっぽを向いた。なんでもないと短く付け加えて。


「い、いいよっ、遠慮しないで言ってくれて。変なとこあるなら直すし」

「変じゃねえ」

「じゃあ、なに?」

「なんでもないっつってんだろ」

「本当に?こっち見て言ってよ」

「……見ねえ」

「そんなひどいの!?」


そんなやり取りをするうちに、ちょうどお昼を知らせるチャイムが鳴った。
いつもこの時間に来ることはなかったから、久しぶりにこの音を聞いた気がする。
小さい頃はご飯の時間だってワクワクしたものだ。

当然、というか、わざわざ別々に食べる理由もないので、影山くんと一緒にここの食堂に向かった。

影山くんはカレーに温玉をトッピング、私は別のを選んだけど、影山くんがどこかいつもより幸せそうに頬張って見えたから、今度食べる機会があったら同じにしようと決めた。

会話が弾んだ気がして、きっと日向くん効果だなと密かに思った。
自分の勉強もはかどったし、終わりの時間もぴったり、さあ、早く行かなくちゃ。


「えっ」

「なんだよ」

「いや、……びっくりして。今、何て言ったの?」

「食いたいなら行くかって。それだけだろ」

「だ、だよね」


自分の耳で理解したことは正しかった。

さっきまで参考書を広げていたテーブルに、お好み焼き屋さんの無料券。
これがあれば、好きなお好み焼きをどれでも1枚もらえるらしい。

まさか、あの影山くんが、こんな誘いをしてくるなんて予想できるだろうか。

本当に、影山くんだよね?

つい観察してしまうと、影山くんに仏頂面をされた。うん、やっぱり本人だ。

そんなに長くも短くもない付き合いの中で、勉強の後に誘われるのは、はじめてだ。
まさかこう、今日だけでこんなに予想もつかない展開になるなんて。驚きすぎてすぐ言葉が出なかった。


「まさか、また先生が何か言ってた?」

「なんでそうなんだよ」

「違うの?」


私達を結び付けた先生が、また何か考えがあって影山くんに私を誘うよう仕向けたのかと勘ぐってしまった。
どうやら違うらしい。


「行かないのかよ」


影山くんが文房具をカバンにしまう。

もし、この後の予定がなければ、きっと一緒に行っただろう。
お好み焼きが食べたい、というより、影山くんを知るきっかけになりそうだったから。

頭に日向くんがよぎる。


「今日は、ごめん。約束があって」


影山くんも気にしている様子はなかった、けど、なんだか申し訳なくも思う。

よし。


「あのさっ、後輩くんたちと行くの、どうだろ?」

「後輩?」

「さっきからずっとこっち見てるし」

「!」


前に突っかかってきた後輩達二人、よく気づかれてないと思ったものだ。

影山くんが何か言ってくれて以来、文句こそぶつけに来なかったけど、時々ここに来て私たちを監視でもしていることは知っていた。


「きっと影山くんのことやっぱり憧れてるんだと思うし。ち、ちょっと!」


影山くんが二人の方に走り出した。
まさか喧嘩はしないと思うけど騒ぎになっても困る。
荷物を持って慌てて追っかけた。

ふてくされている一人と、前にバレー教室で一緒になった方が気まずそうに立っていた。


「ここで何してる。誰に何言われた?」

「か、影山く、「は黙ってろ」


確かに、部外者ではある。
仕方ないから黙って二人分の荷物を持ち直す。

後輩君たちも何も言わない。言えないのかもしれない。

影山くんも怖い顔をしたままだ。

何か言ったらどうだ、と思ったところで、バレー教室で一緒になった方の子が言った。


「影山さん、やっぱり青葉城西行かないんですか?」


その学校名が出た時、影山くんが強く拳を握りしめたことに私は気づかなかった。


「推薦も蹴ったって、「俺がどの高校行こうがお前らに関係ないだろッ!」


ない、です、けど……

長い沈黙の後、私と話していた時とは段違いの弱々しい声色がなんとか聞き取れた。


、行くぞ」

「え、でも」

「行くんだ」


後ろにはあの二人はまだいて、俯いていて。

影山くんは私の腕を引っ張ったまま、振り返らずにどんどん進んでいった。


いいのかな。

まだ、後輩、二人、そのまま。



「どっどこ行くの?」


気づけば施設の外にいて、バス停のある方向とは真逆の駐車場スペースに来ていた。

車はそんなに停まっていない。
がらんと広がるコンクリートのこの場所で、ようやく影山くんは私の手を離してくれた。

数歩離れたところで、影山くんも立ち止まる。

11月の風は冷たかった。


「影山くん」


返事はない。


「あの」

「……用事、あるんだろ」

「ある、けど」

「行けよ」


影山くんは振り返らないで、もう一回、行けと言った。

腕の中には、まだ影山くんのカバンがある。
どうするか尋ねると、そこに置いておけばいい、とだけだ。

時計を見る。
日向君との待ち合わせを考えたら、もうバスに乗ったほうがいい。



next.