ハニーチ

スロウ・エール 119





また北風が吹いて、影山くんの後ろ髪を揺らす。
どんな顔をしているかわからない。

日向君が待ってる。行かなくちゃ。

そう思っても、足が動かない。

影山くんの背中は私よりずっと大きくてたくましい。
何があっても揺るがなそうな、立派な体躯。

なのに、なんでか今は頼りなくみえる。

放っておけなかった。


「用事はあるけど、影山くんも一緒に戻ろうよ。ここは寒いよ。ねっ」


呼びかけても影山くんは一歩も動かなかった。

抱えている影山くんのカバンも、こんな冷たい地面に置くのもかわいそうだ。

代わりに両腕でしっかり抱きしめた。

ちらつく想い、今しかない。


「影山くん、ごめん……」


返事はないけど、もう一度、ごめんを口にする。



「なんで……が謝んだよ」

「二人が来てること言わなきゃよかったね。本当に、余計なこと……」


ただ、影山くんが後輩の子と仲よくなれたらいいかもってそれだけで、単なる思いつきだった。

私が黙って帰っていれば、影山くんだって二人にあんなこと言わずに済んだ。

影山くんにあんなことを言わせたのは私だ。


「いつから二人に気づいてた?」

「……」

「アイツらにも二度と関わるなって言ったのに」

「たぶん、やっぱり気になるんだよ。影山くんの進路」

「だからそれはッ」

「わかるよ、影山くんにしたらそんなの迷惑でしかないの。たださ」


あの二人も、先生と同じで、ただ、影山くんのことが好きなんだ。

圧倒的な、バレーの才能。

それが埋もれちゃうんじゃないかって、きっともったいないって思ってて、それくらい影山くんのプレイに惹かれてて、だから放っておけなくて、ずっと気にかけてるんだ。

影山くんからしたら余計なお世話になることも皆わかってるはずだ。

それは、私も含めて。



「青葉城西高校」


後輩の人たちも、たぶん先生も、影山くんに本当は行ってほしいと思っている高校名。



「北川第一の人はみんな行くって、聞いた。

 なんで、行かないの?」




ばかだ、部外者が口挟んで。




「やっぱり、あの試合?」




頭の中で、先生からもらったDVDの映像が再生される。

自分の目でも見た、あの会場での決勝戦。


影山くんの手から放たれた高速のボール。

点は線となってブロックを華麗に突き放し、さらにチームの誰からも手を伸ばされなかった一球。

直後の選手交代、そのあと、影山くんがコートに戻ることはなかった。

それ以降、公式試合はない。

一般的な中学三年生の部活動はここで終わる。

そこから始まるのが次の進路、高校受験だ。


言いながら怒鳴られる覚悟は済んでいた。

それだけのことを言っている自覚があったし、それでも言わずにいられなかった自分をちゃんと理解していた

ただ、影山くんのことが知りたかった。

怒鳴られてから帰ろうと思った。


冷たい風で運ばれた木の葉が横切っていく。




「お前、

  トス、

  ……誰も待ってなかったこと、あるか?」





影山くんが、真っすぐこっちを見た。

胸が詰まったのは、瞳の奥底に何かを感じ取ったからだ。

だって、影山くんがそう言うってことは、やっぱり、あの試合の、あのトスは……





「そんなんで、誰が行けんだよ」






北川第一の人、つまり、あの試合のチームメイトのほとんどが同じ青葉城西に行く。

影山くんが青葉城西に行くなら、イコール、同じチームメイトとバレーをすることになる。

たった一回、あの時限りのトス。

でも、あの時だからこそ重いトス。

決勝戦、次につながる一度きりの公式試合。

これまでの3年間、チームとしての集大成の場。

自分の僅かな経験をかき集めたって、想像でしかありえないけど、想像するだけで立ちすくむ。

あの局面でボールが繋がれようともしなかった光景、もし自分だったらどう感じるだろう。

影山くんにもう一度その中に入って行けなんて言えるはずなかった。


「影山くん、ごめん。ごめんね」

「謝んな!! が謝ることじゃねーだろ、いや、俺だって悪くない」


あの時、あの場面、あのトスは正しかった。

そうじゃなきゃブロックに捕まって終わった。
実際、何度も、何度も、何度も、あのブロックに阻まれて点が取れなかった。


「早くするしかなかった。もっと早く出して、相手のブロックよりもッ、あれは、あのトスは正しかった!!」


悔しさを、思い出させてしまった。

影山くんが地面を力強く踏みつけ踏みにじった。
石ころすらなく、ぶつける対象のいない蹴りがコンクリートを掠めた。

足、痛いんじゃないか。やめたほうがいい。

そう思うのにやめさせてしまって行き場のない感情をため込むほうが酷にも思えた。


「クソッ」


影山くんの拳が意味なく自身の太ももに振り落とされた。

けど、次の瞬間、影山くんが手を止めた。私に気づいたから。


「ご、ごめん」


今度は私のほうが背を向けた。


「なんで、が泣く」

「き、気にしないで。ごめん、止められないだけで」


ぼろぼろ、涙、あふれる。


日向くんの時から変わってない。
なんにもしてあげられない、無力な自分。こんなに苦しんでいるのがわかるのに。
私は影山くんみたいなトスをあげたことなかった。
慰めも共感もなんにもできない。

気の利いた言葉の一つも出てこない。

そのくせ、こんな風にひっかき回して。


なんとか涙を止めようとしても無理で、半分無抵抗に泣いていたら、なんでか少しだけ先生が言っていたことがわかった気がした。

影山くんと私を足して2で割るとちょうどいい。

それはきっと影山くんみたいな、自分のトスへの絶対的自信のことだ。

私にはそれがない。
いつだって先を行くスパイカーを見つめていた。頼っていた。
だから、目を逸らした瞬間、どこにボールを繋げればいいかわからなくなった。

もっと、あの時、ちゃんとしてたら。


そんなことを考えるとまた涙があふれる。

涙を拭きたいのに両手はカバンでふさがっていた。
カバンを持ち直そうとすると重たくて上手くいかない。

涙、とまれ。とまってよ。



「こっち向け」

「気にしないでって」

「気になんだよ」

「わかるけどっ、無視していいから、ぐしゃぐしゃなの」

「向けっつってんだろーが」

「!!」


真正面、回り込まれて目が合うとさすがに涙も一瞬引っ込む。

かと思えば、影山くんが自分の長袖を引っ張って、私の目元をぬぐった。

何をされたかすぐ理解できなかった。予想外すぎてまぬけな顔をしていたに違いない。

影山くんの袖に、当然、濡れたあとが。


「ごっごめん!」

「なんだよ」

「いや、ティッシュ、私、カバン中に」

「持ってねーよ、悪かったな」

「ちっちがくて影山くんの服が濡れちゃって!」

「乾くだろ、騒ぐことか」

「騒ぐでしょ!」

「俺が、泣かせただろ」

「これはっ、そういうんじゃ」

「貸せ、カバン」


渡そうとするより早く影山くんの手によって、影山くんのバッグは私から離れた。
急に身軽になって、思い出したように自分のカバンからティッシュを取り出した。

「使って、袖!」

「いいって」

「よくない、よくないよ」

「!、またっ」

「泣いてないっ。泣いてないから」

「……そうかよ」


なぜか影山くんの手首を握って、袖の涙の後をティッシュでなんとかしようとしたまま、また泣けてしまった。

後になって考えれば、そのティッシュを自分の目元に当てるなりした方がよっぽど影山くんの迷惑にならないのに、その時は、もうそれしかできなかった。

少ししてから影山くんの袖からティッシュを外すと、涙の痕跡はちょっとだけ消えていた。
今度は自分の目元をぬぐった。


「よく泣くな」

「……ごめん」

「謝んな。次、謝ったら怒るぞ」

「ごめ、……ん」

「帰んぞ」

「うん」


影山くんが先を歩くのに続く。


「次、お好み焼きだからな」

「うん……」


濡れた頬に風がふれる。

前を行く背中、かける言葉も浮かばないのに、何か出来たらと考えてしまう。



next.