影山くんは、どんどん先を歩いた。
足の長さも違うし、速さも段違い。
泣いていたからって私に合わせてくれることもない。
置いて行かれそうな、この速度がかえって心地よかった。
開いた距離のまま、これ以上離れないように足を動かした。
寒さもあって鼻を啜る。
自分じゃどうしようもなかった気持ちは、もう流れ去っていた。
途中、スポーツセンターの入り口のそばを通った。
横目で後輩二人がまだいるのかを確かめたけど、やっぱり、ここからじゃわからない。
「」
タイミングよく影山くんに声をかけられたから、びっくりしつつ、影山くんの隣まですぐ走った。
まさか、あの二人を気にしたことがばれた?
いやいや、そんな。
一瞬、向こうを見ただけでそんなことわかる訳ない、よね?
言葉の続きを待っても、影山くんは口を開くことはなく、また歩き出した。
今度はさっきより歩くのが遅かった。
何を考えているか知りたくて、影山くんの横顔を見る。
けど、いつもと変わらない表情、よく考えれば影山くんの方がこっちの泣いた理由がわからないだろう。
結局、私は自分のために泣いたんだ。
それを自覚すると急に居たたまれなくなって顔をそらした。
前を向く。
泣いたおかげで、思考はクリアーだった。
「あ、あのさ」
影山くんの視線がこちらに向く。
「今度、練習、付き合わせてもらってもいい?」
「?」
「その、バレーの」
この単語を出した途端、影山くんの雰囲気が切り替わる。
厚着をした服越しなのに、真剣みが帯びた熱を肌で感じる。
でも、今日はひるまなかった。
「かっこわるいところ見せちゃったから。ボール出しでも手伝わせてくれたらなって」
「……」
「やだ? お詫びできるなら他のことでも全然」
「そうは言ってねーよ」
「じゃあ……、次会うときは体育館履き持ってくる。服も」
影山くんは、何も言わない。
もうバス停だ。
ちょうどロータリーに、いつも乗るバスが入ってきた。
「行くね」
「」
影山くんが近づいてきた。
さらに、一歩。
近い。そして、怖い。
黙って接近されると、なぜだか恐怖心がわき起こる。
さすがに慣れてきたとは言え、直視されるとやっぱり身構えた。
「な、なに?」
心配してくれたものと仮定して、もう一回、目元をそれぞれ手の甲でこすってみせた。
涙はもうとっくに止まっているアピールだった。
面前の影山くんに効果があるとは思えない。
「!」
「じゃあな」
バスが停まって扉が開く。
同時、影山くんが離れていく。
さっきまで追っかけていた背中がどんどん遠ざかる。まるで早送り。
いま、何された?
くしゃっと髪、さわられた、よね。
「……?」
自分でも同じように髪を片手で握ってみる。
そう、今、こんな感じに触られた。
痛みはない。
攻撃、ではなかった。
影山くんが、私を、なでた?
なんで?
不意にカバンの中で何かが揺れた。
携帯。日向くん!
「乗りますか?」
背後からバスの運転手さんに声をかけられる。
「のっ乗ります!」
カバンの中の携帯がまだ動いている。このバスには乗らないとまずい。
自己主張を続ける携帯を後回しにして、車内に入ると、バイブはもう止まっていた。
*
バスの空いた席に座ってすぐ携帯を取りだした。
着信はやっぱり日向くんだった。
今すぐかけ直したいけど、さすがにできない。
先に届いていたメールを確認した。
全部日向くんからだ。
文句の一つもなく、ただ、私に何かあったんじゃないかって心配していた。
今の状況を急いでメールした。
嫌われてたっておかしくないのに、日向くんからはすぐ返事が来た。
『さんが無事ならよかった!待ってる!!』
それだけのメッセージ、これだけですごく安心した。
もっと怒っていいのに。
こんな遅刻した人間に無事でよかったって。
寒いのにまだ待っててくれるんだとか、色んな気持ちがこみ上げて、ただ、送られてきた優しさに胸がギュッとなった。
すぐに返事した。
ありがとうの気持ちと、会える時間も短いから帰ったっていいんだよって。
すぐ返事が来た。
大丈夫だからゆっくり来てね!!って。
人がいないのをいいことに前の座席に寄りかかって打ちひしがれた。
もう一回、膝の上の携帯を見る。
“大丈夫だからゆっくり来てね!!”
そんな優しくしないでいいのに。怒っていいのに。
ほんの少しだけ目元をこすって、暗くなった窓ガラスの向こうを見つめると、すぐ吐息で白くなった。
そうだ、今日は寒い。ホッカイロあったはず。
カバンを探って見つけ出したパッケージ、今開けるとちょっと早い。
もうちょっとしてから開けて、日向くんに渡そう。
それと、他に何かないかな。今日はなんにも食べるもの持ってきてない。肩でも揉んだらいいかな、それはおじいちゃんにお礼する時だ。
もっといいアイディア閃けとばかりに髪をわしゃわしゃとかき乱した。
*
約束したバス停の名前が車内アナウンスされると同時に、停車ボタンを押した。
すぐに立ち上がると、バスが停車してから安全に立ち上がるよう注意のアナウンスされた。
逸る気持ちが抑えきれない。
もう飛び出したかった。
外は暗かったけど、日向くんをすぐ見つけた。
降りるのは私だけみたい。
ガタン、とようやくバスが完全停車するのをGOサインにして、すばやく降り口に向かった。
「遅くなってごめん!!」
踏み出した一歩。
二歩目がステップを捕らえてなかった。
おまけにバスと道路の段差もあって、視界がずれ落ちた。
日向くんに支えてもらわなかったら派手に転んでいただろう。
「さん、大丈夫?」
「ほんと……今日ごめん」
情けなさで一杯になりつつ振り返ると、バスの中の人は眠ったままで、バスをいつも通り出発していった。
再び向き直ると、すぐそばに日向くん。
慌てて離れ、自分にため息、そのまま頭を下げた。
「ほんとーーーにごめん、日向くん」
「いいよ、全然!」
「寒かったよね。そうだ、これ、ホッカイロ」
「え!!」
「使ってっ。日向くんの手、すごく冷たい」
わたしのせいだ。
そうだ。
「時間も!日向くんもうちょっとしたら帰らなきゃだよね」
携帯で時間を確かめる。
今はこの時間だから、ええっと。
「ストップ!」
日向くんが目覚ましを止めるように私の頭にポンと手を置いて離した。
その言葉の通り、携帯を握ったまま動けなくなる。
日向くんがいつもみたく笑った。
「さん、焦りすぎ」
日向くんの指摘に、一連の自分の行動にはずかしさがこみあげてくる。
「おれ、怒ってないよ。メールしたけど、さんになんかあったんじゃないかって心配しただけでさ。
さっきバスから降りる時の方がひやっとした」
間に合ってよかったけどさ。
さらっと付け加えられる。支えられた時の感覚が全身によみがえる。
「最後のメール見てない?」
「もうすぐ着くよってメールの返事?」
「のあと! 1時間、時間作った」
「え!」
携帯を見る、と、さっきまでなかった未読のメールが1通ある。
開けば、家に連絡して戻る時間は1時間後で大丈夫と書かれていた。
「夕飯は家で食べるけどこれならもうちょっと一緒にいれるっ」
「……」
「もしかしてさん用事あった?」
「ない、けど」
こみ上げてくる感情をどう表現していいかわからない。
日向くんにこんなに優しくされて、一体どうしたらいいんだろう。
「ここ寒いからどっか入ろう」
「う、ん」
「自転車はあっちに停めてるからどこでも平気。ホッカイロもありがとう。さんもほら!」
日向くんがさっき私がしたようにホッカイロを握らせてくれて、今度は私の手ごと握ってくれた。
「さんのおかげであったかいっ」
お礼まで言われたら身体の芯まで解けそうだった。
next.