ハニーチ

スロウ・エール 122





「こうしてるだけで、全部わかったらいいのに」


さんの考えてることも、
おれの考えてることも。

日向くんは真剣にそう言って指に力を込める。

遠慮がちに指を動かしてみた。
もっと、強く握られてしまった。


「あ、あのさ。全部わかっちゃったらさ、知られたくないことまで相手にわかるんだよ?」

「ある? 知られたくないこと」

「……日向くん、ない?ほんと?」


体重なんか知られたらまずいと真っ先に考えてしまった私がおかしいんだろうか。


「ないよっ。あっ、待って」


日向くんが空いている方の手を顎に当てて、なにやら考え出した。

かと思えば、やっぱり今のなし、と意見をが180度変わった。


「やっぱり全部わかんのはよくないっ」

「……そんなに知られたくないことあったんだ」

「そっそうじゃなくて! いや、そうなんだけど、でも、それはっ、今はってだけで」


日向くんは一瞬だけ焦った様子を見せたけど、代わりに手をぎゅってするから、私の方も密かにもっと動揺した。


「い、いつか、ちゃんと言うから。そん時はさ、こうやって、こんな風に……聞いてくれたらうれしい」


壁際の方にまた逃げたくなったけど、つないだ手でそれは叶わなかった。


「その時は聞いてくれる?」

「も、もちろん」

「やった!」


頷きながら、いつまでこうやって手をつないでいるんだろうって思ったときだった。


「!」

「本当にさ、おれにできること、なんもない?」


さっきよりすごく小さな問いかけだった。

日向くんが肩にもたれてこなかったらきっと聞こえてない。
お店のBGMはちょうど軽快な音楽に切り替わっていた。

聞き返す声が裏返りそうなほど動揺していた。


「な、なんで、そんなこと聞くの?」

さんになんでもいいからしてあげたいなって」

「してくれてるよ、十分! 時間つくってくれてうれしかったよ、ほんと」


寒い中ずっと待っててくれたし、バス降りるときにも助けてもらったし、どこ座るか決めてもらったし、ポテトの長い方を譲ってもらったし。

一つずつ嬉しかったことを挙げてみる。


「そっか……」


日向くんはそのまま黙った。

好きな人にくっつかれてる高揚感と、泣いたことがばれてるんじゃないかっていう緊張感。
色んな感情が折りまざる

こんな風に寄りかかられる状況に慣れない。

日向くんは今日の私はわかりやすいって言ってたけど、私の方は全然で、いっぱいいっぱいで。

こんな近くにいるのに、日向くんが何を考えてるか少しもわからなかった。

様子を伺おうとしたけど、近すぎて、日向くんの髪がほっぺたに軽く触れるだけだ。

くすぐったい。
すごく、近い。

もし、今、日向くんが顔を上げたら、たぶん。

慌ててすぐ前を向いた。

つないだ手があったかくて、日向くんのいる方が気になって仕方ない。

この近さ、このドキドキ、どれくらい伝わってるんだろう。

学校で、こういうことも教えてくれたらいいのに。
答えがぜんぜん浮かばなかった。



さん」


日向くんが体を起こした。


「そろそろ時間っ」

「あ」


言われて時計を見てタイムリミットが来ていたことを知った。

手も離れた。

その手で日向くんがテーブルの上を片していく。
手伝いながら、最後にもう一度ギュってしとけばよかったと少し後悔した。

あっという間だった。手は、まだ温かい。


「あ、あの日向くん」


トレイを片付け終えた日向くんが戻ってきたときに切り出した。


「なに?」


もちろんもっと一緒にいたいとわがままを言うつもりはない。


「あ、えっと、無理かもなんだけど」

「うん」

「あの、本当に、無理ならいいんだけど」

「うん」

「え、とね」

「うん」

「あ、明日なんだけど」

「うん」

「ママさんバレーでしょ?」

「そう、夕方まで!」

「その、私、待つから、終わったあと、「いいよ!!」


早押しクイズの解答者みたいな勢いで、日向くんは声を弾ませて言った。


「会うってことだよね?」

「そ、そうだけど、でも日向くん帰りがあるから」

「おれはへーき!」


余りに即答すぎてかえって困惑した。


「本当に大丈夫?」

さんって心配性だよな」

「いやっだって迷惑かけたくなくて」

さんがすることで迷惑だって思ったこと一回もないよ」


間髪入れずに続けられた。


「むしろ迷惑かけてほしいくらいだし」


日向くんは向かいの椅子に置かれたコートを取ってくれた。


「本当は、もっと一緒にいようって、言ってくれんのかなって、ちょっと期待した。


冗談だよ!」


そう言って笑った日向くんだったけど、その時は、ちゃんとわかった。
目の前に日向くんがいるから。
日向くんが、本気でそう期待してくれたって。


さん、行こう」

「うん……」


ちょっと前を歩く日向くん、その腕に飛びついて、もっと一緒にいたいって言えたなら。

自動ドアが開く。

暗くて冷たい冬の空気が出迎えてくれる。


「さっきより寒くなってる!」

「だね」


この寒い中を日向くんは自転車で帰るのか。

日向くんがマフラーを引っ張り出してぐるぐると巻きだした。

何か言いたくて、何かしたくて、でも、なんにもできなくて、代わりにカバンをギュッと握りしめた。


「日向くん」

「ん?」

「今日、ありがとう。……本当に」


伝われって思いながら、伝わらないんだろうなとも感じた。

日向くんは笑顔で受けとめてくれた。


さんも、ありがとう」

「なんで?」


お礼を言われるようなこと、全然できてない。


「元気、充電できたからっ。言ったじゃん」


昨日からずっと、さんに会いたかったって。

日向くんがなんでもないように言うから、返事に困って、ただ一つ頷くしかできなかった。









翌日、日向くんとの約束のために夕方出かけようとすると、親に何をしに行くか怪しまれた。


「勉強だってば!いってきます!」


もっと上手いごまかし方があるだろうに、何にも浮かばなかった。

変に思われて当然だ。
塾も学校の講習も何にもないし、家で勉強すればいい。

日向くんが練習している体育館に向かうバスに揺られた。

どうせ明日学校で会えるのに、なんでこんな会いたくなるんだろう。

違うことを考えようとして、今度は影山くんたちのことに意識を向けた。

もっと、もっとなんか、上手くいかないかな。

ただ、フッと一つの考えが浮かんだ。

あの後輩くん二人、あそこまで影山くんに青葉城西に行ってもらおうとしてるのって、もしかして……
二人が突っかかってきたタイミングからしても、この推測はありえなくもない。

停止ボタンを押した。

今日は慌てないで、バスが完全に停止してから安全に降りた。

一つの推論、違うかもしれない。
でも、試してみる価値はありそう。

ただ、この間の時みたく、影山くんを怒らせる可能性はある。

いや、でも、だって、がたくさん浮かんで、でもやってみたいって気持ちが胸で燻ぶる。

いてもたってもいられなくて、日向くんのいる体育館に向かって走った。









日向くんに教えてもらった体育館を覗くと、もうバレーチームの人数ほどは残っていなかった。
ママさんバレーの練習だから家族の事情もあるかもしれない。

日向くんはちょうどサーブを受けていた。

恰幅のいい女の人が思い切りボールを放つ。
予想を遥かに凌ぐ勢いでボールが日向くんにぶつかった。

レシーブと呼ぶのは正直苦しい。なにより、すごく痛そうだ。


「誰か呼ぶ?」

「あ、えぇっと!」


雪が丘ビューティーズの一人であろう女性に声をかけられて言葉に詰まっていると、日向くんのほうが私に気づいた。

練習を止めさせたくなかったけど、こうなったら仕方ない。
日向くんがボールを持ってこっちまで来てくれて、事情を話してくれた。


「翔ちゃんも隅に置けないねえー!」

「ぐあっ!!」


日向くんが吉田のおばちゃんと呼ぶその人の一撃で、軽々と吹っ飛ばされてしまった。

大丈夫かと焦ったところで、いつものことだから、と日向くんがよろよろと立ち上がった。

他の雪が丘ビューティーズの皆さんは、もう切り上げている人たちも多い。
日向くんも着替えに行った。

ここで練習してたんだ。

ママさんバレーに混ぜてもらってるとは聞いてたけど、実際この目で見るのははじめてだ。
物珍しさで、なんて事のない体育館を見回していた。

着替え終えたメンバーの人が忘れ物を取りにきて、こっちに気づいた。


「何ちゃんだっけ?」

「あ、です」

「もしかしてさ、烏養さんとこの……」

「あ、そうです。あの、祖父です」

「やっぱりねえ。こないだ倒れたって聞いてねえ」

「もう大丈夫です、おかげさまで」

「隠れて飲みすぎないように言っときなね」

「あ、はい!」


ちょうど話が終わったタイミングで日向くんが来て、その人は帰っていった。


「何の話してたの?」

「え、と、ちょっと家族の知り合いで」

「?ふーん」

「早く帰ろっ」

「う、うん!」


日向くんの腕を引っ張った。こういう時はできるのに。

今日はあんまり一緒にいれないから、ほんのちょっとだけタイムリミットが背中を押してくれる。


「あの、日向くんにお願いがあって」


日向くんと自転車置き場に向かう時だった。

誰もいないし、お願いするなら今だった。


「なに?」

「がんばれって言って欲しいなって」

「がんばれ?」

「そう!」


一歩踏み出す勇気、失敗が待ち構えていてもチャレンジできるように。

やろうとしていることは、今は日向くんは言えないけど、でも、やってみたかった。

日向くんは少しだけ間を置いてから口を開いた。


さん、がんばれっ!」

「あっありがと!「でも!」


何が起きたかと思った。


「がんばんなくていい。さん、もうがんばってるから」

「え、と」

「なにがんばるか知んないけど、さんはもっと力抜いていいっ。ぜったい!」


そんな、ふうに、

 言われたらさあ。


「そ、れじゃあ、意味ないじゃん、応援してもらったのに」


なんで、撫でたりなんか……

今、私は頑張ろうとしてて。


ぽん、ぽんって日向くんの手のひらの感覚に、さっきまでの気合いが解けて消えそうだ。

私の気持ちとは裏腹に、日向くんは優しい声色だった。


「だから、がんばれ!とがんばんなくていい!の両方っ。いらないなら半分は捨てていいし」

「できるわけ、ない。そんなの」

「じゃあ、どっちもさんの、ってことで。おれからも一個いい?」


日向くんが自転車止めを蹴って、自転車にまたがった。


「今日はバス停まですぐだし、後ろ乗って」

「え、お願いは?」

「後ろ乗ってくれるのがお願い」


そんなのが、お願い?

日向くんは私が乗るのを待っていた。


「こないだカラオケの時、春が来たらって話だったけど、まだ先だから」

「お、……重いよ? 着こんでるし」

「大丈夫っ、烏野でバレーするために鍛えてるから」


日向くんはそのまま前を向いて待っている。
確かにほんの少しの距離だ。

自転車を壊さないように、おそるおそる後ろに座った。

ちゃんと乗った合図の代わりに、日向くんの上着をつかんだ。


「へへっ、ありがと!」


お礼言うの、私の方なのに。

日向くんが思い切り力を込めて、二人分の重さを踏みしめて前に進んだ。



next.