ハニーチ

スロウ・エール 123




翌朝、講習がないからちょっと迷ったけど、先週と同じように早く学校に向かった。
この寒さだって、昨日おとといと日向くんに会えたからがんばれそうだ。


「早いな、日向」


ドキッと顔を上げる。

校門のところ、自転車で誰かが通り過ぎていったなと思ったら、日向くんだったらしい。

先生がこっちにも気づいたから、挨拶を返した。

日向くん、バレーの練習かな。
それともテスト前の補講か。
最近は烏野の過去問に頭を悩ませている姿もよく見る。

ちょっと期待して下駄箱に行くペースを調整したら、昨日と変わらない後ろ姿を見つけた。
すばやく肩をぽん、ぽんと叩いた。


「ん? ん!?」


振り返った日向くんのほっぺたに、人差し指。

見事、成功した。


「おはよ、日向くん」

さんっ、はよ。……やられた!」

「隙があったから」


ほっぺたを押さえたまま、どこか悔しそうな日向くんについ笑いを噛みしめた。


「早いね、補講?」

「今日は体育館っ。テスト近いと使わせてもらえるからさっ」


女子バレー部が練習しない合間に、体育館を使わせてもらうのは、これまでと変わらない。


「あ、おはようございます!」
「おはようございます!」


ちょうど貴重な男子バレー部員3人が階段から降りてきた。
体育館の鍵を借りてきてくれたらしい。
こんな冬の早い時間帯に集まってくれるなんてすごい。
隣の日向くんもどこかうれしそうで、すぐに外履きを荒っぽく下駄箱に押し込んだ。


「おれ、いってくる! さんまた後で!」

「うん、いってらっしゃい」


廊下を走るなと注意されそうだけど、忠告よりはその背中を押してあげたい気持ちの方が大きかった。

冬の朝日はまだここまで届かない。
4人のバレー部の影はもう暗い角を曲がっていった。

さ、私も行こう。

昨日もらった“がんばれ”と“がんばらなくていい”、今日はまずがんばる方を使うと決めていた。













「えー、オイカワさんの出待ちじゃない?」
「来てるの、今日!?」
「ほら、後輩指導とかさー」
「いいなー、私も指導して欲しい~!」


放課後、通り過ぎていく同学年の女子達の視線を浴びながら、一人校門の傍に立っていた。

がんばる、って決めた、とはいえ、さっきから視線が痛い。
よく見なければコートなんて似たような色なのに、女子はやっぱりファッション(なのかな)に敏感だ。

ここ北川第一中学校の校門のそばに立っていると注目されるのは、私自身と言うより、誰か素敵なOBが来てるんじゃないかと女子が浮き足立つからだ。

オイカワさんってあの“及川”さん?
今は確か青葉城西にいるはず、いくら私だってOBがここにいないことはわかっていたけど、彼女たちにそんな言い訳なんて出来ない。

こんなことなら、先生に教えてもらった家の電話番号に素直に連絡すべきだった?

どうせなら直接伝えたかった。

影山くんの後輩くん二人に、今度の週末、影山くんを交えてバレーしませんかって。







『二人の連絡先? が何に使う?』


日向くんと会って家に帰ってすぐ、バレーの先生に電話をかけた。

影山くんとのいざこざを説明した後、自分の考えを述べた。


『あの二人が飛雄にバレーを教わりたい、ねぇ……』


私の見解は、こうだ。

二人が突っかかってくるのは、私が影山くんを烏野に連れて行こうとしていると勘違いしているから。

なんで烏野高校に行って欲しくないか、きっと自分たちは一般的な北一のバレー部員同様、青葉城西に行くから。

同じ高校じゃない、ということは、影山くんとバレーが一緒にできなくなる。
あの二人は、単純に憧れの先輩とプレイがしたいだけなんじゃないか。


「3年はもう部活引退してますし、今のうちに影山くんに教わることが出来れば……。影山くんもプラスになると思いますし」


そう言いつつ、この間の影山くんの怒った姿が頭に浮かぶと、本当に上手くいくか不安もあった。


『連絡先ならあったけど。、メモある?』

「あ、はい。どうぞ!」


読み上げられる電話番号は、携帯ではなかった。

先生が自分から連絡しようかと言ってくれたけど、考えついた本人が伝えた方がいいだろう。
自分でも今しゃべったことが正解とも思わなかったから、相手の反応を見てわかることもあるかもしれない。

間違っているなら、その非難も私がすべて受けるべきだ。

……どんな反応があるか、もちろん怖い。


『飛雄には話したの?』

「いや、まだ、です」


勝手なことをしている自覚はあって、なんで自分がこんなことをしようとしているかもよくわからない。

ただ、このままにしたくないって気持ちだけだった。

あの日、怒っていた影山くんのことも、俯いたままの二人のことも、確かに私には関係ないけど、知らないふりをしたくないだけで。


「先生……、もし3人から文句言われたら全部私のせいって言ってくださいね」


そういうのは大人の仕事だと、先生は笑って電話を切った。









くしゅ!


さすがに生徒達の帰る波が落ちつくまで外に立っていると、身体も冷えてくる。
二人の内のどっちかが出てくるだけでいいからと思っていたけど、やっぱり無謀だったか。

守衛さんもいなくなっていて、別の部活の人たちがぞろぞろと出てきた。

もう、ここまで来たら、と割り切って校門を通り抜けた。
暗くなってきたし、さっきよりは目立たない、はず。


「王様の……」


誰かの視線を感じて振り返ると、どこか見覚えのある顔だ。

そう、この髪型、こないだの芸術鑑賞で見かけた影山くんの友達。
ツンと逆立つ髪の形が、らっきょうっぽいから記憶にある。

一瞬、この人に後輩くん達のことを聞こうかと思ったけど、バレー部の人かどうかもわからない。
それに、今日ここで影山くんに会うのは面倒で、早足でその場を離れた。

校舎に入るわけにも行かないし、いつまでも歩き回って北一の先生に見つかるのもまずい。

やめよう、帰ろう。
そう思った時だった。

Volleyball club と書かれたバッグを持った男子生徒数人、その先の建物は校舎とはまた違う。
そう、部室棟だ。

テストが近いからどこも部活はないと思っていたけど、テスト期間は学校によって違う。
まだ部活があるなら、あの棟近くにいれば、二人に会えるかも。

最後、そこだけ見てから帰ろう。

こないだの、王様の、何も知らない彼女。

背後で聞こえてきた単語。
踵を返すと、さっきの人と、もう一人別の人が並んで立っていた。
肩にかけたカバンは、さっき見かけたバレー部のものだった。

目線をすぐ下げると、国見、金田一と上履きに書かれていた。


「影山だったら補講受けてるけど」


右、左、右、前。

私以外にこの人が話しかける相手はいない。


「そ、なんですね。親切にありがとうございます」


すぐに脇を通り抜けようとしたら、らっきょの人に通せんぼされた。


「君、よくあんな自己チューなやつと付き合えるね」


つい一歩後ずさりした。
もう一人からの視線も居心地が悪い。


「追っかけかもしんないだろ」

「追っかけ? 王様の?」

「及川さんじゃあるまいし、それはないか」

「ありえないだろ、あんな偉そうで無愛想なやつの。どこ行くの?」

「い、急いでるので」

「影山の補講、まだかかるよ。あそこの教室。もしかしたらこっから見えるかも」


言われるがまま校舎を見上げつつ、距離を置いた。


「王様のこと、教えてあげようか。他校だと色々知らないだろーし」

「王様、王様って……、それ、影山くんのことですか」


二人とも少しだけ表情を固めた後、滲んだ嘲りの色を見逃さなかった。

そっか、この人たち、友達じゃないんだ。


「やっぱり、今の答えなくていいです。も、行きます」


部室棟に向かって走った直後だった。



「コート上の王様っ。それで全部わかるよ」



笑顔で教えてくれたけど、きっと、好意からの助言ではなくて、もっと速度を上げてこの場を去った。


next.